一線の湖 砥上裕將著 講談社 2023年12月11日第1刷発行 上河内図書館

 

2月20日受取

3月5日 返却期限→返却 所蔵7冊(中央、東、南、河内、上河内、国本、田原)予約総数22

 

 

線は、僕を描くの続編

 

青山霜介(あおやまそうすけ) 瑞野文化大学3年生。2年前の湖山賞公募展で翠山賞受賞

篠田湖山(しのだこざん) 水墨画家。西濱が湖山邸から独立以降は独居老人なみにカップラーメンを食べることも。

篠田千瑛(しのだちあき) 水墨画家、湖山の孫、2年前の湖山賞公募展で湖山賞を最年少で受賞。西濱だよりで料理は今までしてこなかった。

西濱湖峰(にしはまこほう) 水墨画家、湖山門下生筆頭。風景画を得意とする。湖山の個展でパネルづくりなどの雑用引き受ける。事務的なことは苦手。1年前に茜と結婚して子供もできた。田舎に家を新築した。

斉藤湖栖(さいとうこせい) 水墨画家、完璧な技術を有する。2年前に湖山会派を離脱。本名は「斉藤右(さいとうあきら)」。年齢的には霜介とは10歳も離れてはいない。西濱は「斉ちゃん」と呼ぶ。

古前巧(こまえたくみ) 大学生。霜介の親友。いがぐり頭にサングラス。川岸と付き合っている。川岸を「美嘉」と呼ぶ。警察官に就職予定。

川岸美嘉(かわぎしみか) 大学生。霜介と同じゼミ、大学近くの喫茶店でバイト。成績優秀で給付型奨学金を受けている。大学院に進学予定。

椎葉朋美(しいばともみ) 轟清水小学校教員で1年担任。霜介の母の生前の同僚

矢ケ瀬弥生(やがせやよい) 轟清水小学校の校長。霜介の母を知る。

青山敬子(あおやまけいこ) 霜介の母で、轟清水小学校教員。4年前に事故死。

 

巴山水帆(はやまみずほ) 轟清水小学校1年生の児童。

友田元気(ともだげんき) 轟清水小学校1年生の児童。

 

湖山会派で、時間的に融通がきいて、肉体労働ができるのは、霜介と西濱の二人のみであり、社中展の搬入などもこなさなければならなかった。斉藤が抜けてからの湖山会派は、二人以外は高齢者が多い。

 

揮毫会で、霜介は震えから失敗したが、千瑛がそれを補うような大きな牡丹を描く中、余白に小さい水墨画を描こうとして、再度失敗し、湖山が指墨画で、ハサミを落としたサワガニを描いた。

湖山からは、しばらく筆を置くように言われるが、挽回しようと描き続ける。

 

ある日の大学の講義中に西濱から呼び出し電話があり、水墨画体験教室の助っ人を求められた。場所は、轟清水(とどろきしみず)小学校で、そこは霜介の母が生前勤務していた学校でもあった、

 

(轟清水小教員視点)

事故死した元同僚のお子さんである霜介が湖山展で入賞したことをきっかけに、小学校で水墨画体験授業をやってみたくなり湖山に連絡したら、西濱湖峰が派遣された(教員たちは霜介をと思ったが、学生であるためそれは言わないでおいた)、体調不良になった西濱の助っ人として霜介が呼ばれて、轟清水小教員にとっては、奇跡的な出会いになった。

 

小学校から湖山邸へ車を返すために移動中、疲れを感じたのでコンビニでコーヒーを買い一休みしていると、千瑛から道具一式を忘れたので持ってきてほしいt電話連絡があり、バンを走らせて指示された美術館へ。霜介は自分の道具一式を差し出したが、千瑛は筆を使うのには躊躇したものの、牡丹を描ききったが、霜介の筆は柄と分離してしまった。

 

翌日、湖山に話すと一番使い込まれた筆を見せられ、「この筆に教えを請いなさい」と言われた続けて、霜介が先生から教わりたいことがありますというと、「まだ早い」「描こうなんて思うな」「完璧なものに用はない」と3つの言葉を発した。

湖山邸を出ようとしたタイミングで、千瑛が帰ってきたので、成り行きで朝食作りをし、千瑛にも少し手伝わせた。

 

轟清水小学校の水墨画体験の集大生として、体育館で児童の描いた水墨画を展示し、霜介が揮毫会をした。挨拶の最後で、母・青山敬子のことに触れ、小学校に向けてのお礼を言った。霜介は描ききったものの失敗したと思った次の瞬間、水帆が、次いでゲンキが、指に墨をつけて菊の花を描き、高学年の子どもたちも霜介に一礼して描いた(霜介は、彼らは母の教え子なのだと察した)

 

このときの動画が出回り、大学理事長より大学祭でも揮毫や千瑛とのインタビューを求められた。

理事長としては地域貢献名目(就職困難な学生の就職先)も兼ねて

準備に霜介に全権が集まり、祝の花が相次いで届いて、児童の水墨画を移動して場所を開けようと脚立を使用した時に落下して、右手を負傷した。心因的な事も重なり「筆が持てなくなった」。

 

湖山からは、山のアトリエに行くように言われる。

 

途中まで千瑛に送ってもらい、山道を徒歩で通って、アトリエに行くと、管理人として常駐していたのは、斉藤であった。斉藤曰く会派離脱して半年は世界を巡ったが、どうしようもなく湖山に相談すると、アトリエに行くように言われたという。

 

 

 

最後、湖山の引退の揮毫会後に、篠田千瑛→篠田湖瑛(しのだこえい)の雅号を授けた。