映画ノベライズ 島守の塔 映画「島守の塔」製作委員会、柏田道夫執筆 言視舎 2022年12月31日初版第1刷 県立図書館所蔵

 

県立図書館に行った時に目についたので借りてみた。

 

4月21日 返却期限

 

映画「島守の塔」を小説化したもの

 

冒頭、凛がなくなる2年前に高校野球大会「島田杯」を見たいと孫娘にいい出した。凛は、(結婚後も)比嘉凛といい、旧姓も比嘉であった。一目惚れされて猛アタックされたが名字が変わらないのが決めてだそうだ。球場で試合を観戦しているときに、島田叡と荒井退造のことを思い出し、当時のことを語りだした。

 

 

1943年(昭和18年)10月、19歳の凛は警察部警防課防空監視隊本部配属となった。

当時知事は政府から任命され、内政部長は副知事ともよばれる重職、警察官を束ねるのは警察部長だった。

 

7月17日、荒井退造は、妻と子を九七式輸送機で本土に疎開。よし子は妻から同行を求められたが、家族や荒井退造の世話を理由に断った。

 

8月21日 疎開船、対馬丸出港。対馬丸で疎開の対象となった名護署の国吉巡査長の妻子が不安がるのを荒井がなだめて送り出した。

23日夜、荒井の官舎玄関が激しく叩かれ、住み込みお手伝いのよし子が飛び起きて玄関に行くと、すでに荒井が対応していた。7月に赴任した内務省防空総本部救護課主任事務官で、荒井の官舎に住んでいた川嶋が尋ねると、荒井は「対馬丸が米軍の魚雷で遭難した」とつぶやくように言った。

 

1944年(昭和19年)10月10日、米軍の空襲(十・十空襲)で、那覇の比嘉家は庭で、祖母・ウシのカジマヤー(数えで97歳のお祝いで、旧暦の9月7日に行われる。風車という意味もあり、これを当人にもたせる)の準備をしていた父母と祖母、たまたま魚売りにきていた魚売りの女性が死亡した。凛と由紀は、家屋内で作業していて無事だったが、家族の遺体を目の当たりにした。凛は防空監視隊の任務のために、県庁に向かい、由紀は防空壕に入るように言った。遺体は巡回していた消防団により安置所に移された。泉知事は防空壕に引きこもった。

・同年11月、泉知事の信用は失墜し、荒井退造が実質的に県の最高責任者扱いされる状況に。

 

1945年(昭和20年)1月、島田叡沖縄県知事就任。前知事は香川県知事に。

那覇市長が九州視察名目で行ったっきり、またある人は疎開船に忍び込んだりして行って、沖縄に帰らず。衛生課長が疎開見送りのはずが寸前で飛び乗り鹿児島へ。

 

1945年2月 巡視中に民家からにぎやかな声が聞こえ、凛が偵察に行くと泡盛で宴会して民謡

を奏でていたが、方言を使うとスパイとされる ぬちどうたから(命どう宝)と叫んだところで、島田や荒井退造の存在に気づいて、平服した。島田は泡盛をのみたいと宴会に加わり宴会は続いた。

 

1945年3月23日、ひめゆり学徒隊結成。由紀もこのなかにいた。

(4月は読み飛ばした)

1945年5月23日 島田は凛(女性たちは、豊見城への脱出に加わるよう命令された)に非常食として粉ミルク缶を与え、「ぬちどうたから。沖縄で教えてもらったいちばん大切な言葉だ。比嘉君、死ぬな、生きろ!」と叫び、凛を追い出した。

25日、島田は、雨のなか南の野重一連隊壕へ向かう。道中は兵士たちの遺体が折り重なっていた。島田はムネユキをみかけ、声をかけた。そのころ、由紀の仕事は瀕死の傷病人の死体処理だった。助かる見込みのないものは、死体置き場に放り込まれた。

6月4日、壕内の野戦病院は解散となり、残された・残ろうとした人はガス弾で殺処分され、由紀も壕から出たところで、凛に看取られながら命の炎を消した。

 

6月5日、島田は道中でムネユキの遺体をみつけ、嗚咽した。

6月8日 島田と荒井は残っている職員を集めて激励し、警察を含む沖縄県庁の解散を宣言し、職員には生き残りことを第一にしてほしいと言う。

6月23日早朝 牛島司令官・長参謀長、自決

6月26日 島田と荒井は、それぞれの腕章を引きちぎり、ただの人になった。洞窟から出てその後の足取りは不明に。

 

 

エピローグ

凛は92歳まで生きた。6月のある日、安らかに眠っているようで、身体は冷たくなっていた。

 

孫娘は大学を卒業し、那覇市の会社に勤務していた。亡くなる一月前に、凛と孫娘の二人で、摩文仁の丘を訪れた。凛は島守の塔への階段を、杖をつき一人で登った。島田と荒井の終焉の地とされ二人の名を刻んだ石碑を穏やかな顔で見つめ続けた。

 

 

 

登場人物

立川美菜 凛の孫(凛の娘の子)。琉球大学人文社会学部二年生。凛のことを「凛ちゃん」と呼ぶ

太一郎 美菜の友人。

 

比嘉凛(ひがりん) 当時19歳。1945年赴任の島田知事の秘書に配属。

・由紀 妹。姉のことは「凛ねえ」と呼ぶ。凛は「由紀ちゃん」と呼ぶ。

・ウシ 曾祖母。数えで97歳。 P14では「ひい婆ちゃん」、P84では「祖母」

・哲治 父   ※P15-16では「哲治」、P83-84・P87では「鉄次」

・弓枝 母

P14の1年後がP83-84かな?

 

 

 

大城成実 高等女学生。大柄。

 

島田叡  元野球少年。1945年1月に大阪府内政部長から沖縄県知事に単身赴任。余興で「テルテル坊主」を口ずさむ。

・美喜子 妻

・黎子(れいこ) 長女

・幸子 次女

 

小渡信一 知事付秘書官。

伊場 内政部長

 

泉守紀 政府任命の知事。恰幅の良い体型。沖縄空襲時は官舎で床にいた。1945年1月に香川県知事に栄転。

田宮 泉知事の書生。

 

荒井退造

・きよ子 妻。

・京子 娘。1943年時点で8歳。

・紀雄 1944年時点で10歳。それまでは、きよ子の実家に預けていた。

・わか 母。栃木の実家にいる。

・甲一 兄。栃木の実家にいる。

・りえ 兄嫁。栃木の実家にいる。

 

足立 退造の宇都宮中学時代の同級生だが、士官で戦死の一報。

 

具志堅よし子 凛とは幼馴染で、凛より2歳下。大阪で写真の勉強をしていたが戦争で家に戻り、荒井退造の家のお手伝いさんのツテがまわってきた。。

 

国吉真成 警部補、名護署勤務。家族のうち軍の学校に進学予定の長男・真昭を残して対馬丸で長崎まで疎開させようとしたが、9人家族のうち生き残ったのは長男だけであった。国吉は地上戦で戦死。妻、次男(中1)、長女(小5)、次女(小2)、三男(年長)、四男(2歳7ヶ月)、五男(生後2ヶ月)は疎開中に海の藻屑に。

 

宮城 警務課。

 

平良トミ子 凛の同僚

 

太田寛 沖根司令官 明治24年千葉県長柄町生まれ、 海軍兵学校卒業後、23歳で海軍少尉、肺結核を患いブランクはあったが、海軍士官野道を進んだ。スポーツマンで野球と相撲が好きだった。

 

 

金城雄太 沖縄日日新聞。凛の幼馴染で、年齢はひとつ上の20歳。

小山 沖縄日日新聞記者。

 

ムネユキ 国民学校の生徒で新聞少年。毎朝、沖縄日日新聞を配達。