十の輪をくぐる 辻堂ゆめ著 小学館 2020年12月1日初版第1刷発行 平石地区生涯学習センター図書室所蔵

 

辻堂ゆめの著書から選んで予約。

 

2月1日予約 貸出中なし

2月3日受取(返却期限3月3日)

2月26日から読み始めて、28日未明読了

 

2019年10月

20年前に中古購入した江東区の自宅にて、オリンピックのマラソン競技の件でのニュースyで、「私は・・・・・・東洋の魔女」「金メダルポイント」「サーバーは、宮本。今夜、2つのサービスイエス」「泰介には・・・秘密」と口走った。1964年時点では泰介は3歳。

 

1958年9月

一色紡績で勤務の万津子。寮生活で地方出身の子たちと標準語ごっこをしたりしていた。兄は家で農業をしているが、姉二人もまた愛知県で働いていた。

 

2019年11月

萌子のバレーボール部の公式試合で都代表校が決まる大一番。万津子の部屋の壁に新聞の切り抜きが貼られているのを見つける。愛知県一宮市の紡績工場閉鎖から20年目という記事で、矢島文子がインタビューにこたえていた。萌子の学校は3番めの枠になった。

 

1959年8月 万津子19歳

真津子宛に縁談の話があり、きっぷ同封で送られてきて、工員をやめて汽車で帰ることに。大牟田駅まで汽車で行き、駅前からバスで20分、さらに徒歩20分で、宮崎家のある熊本県荒尾市の北の外れにつく。大牟田の伯父(母の兄)の近所で建設業を営む佐藤家の長男で三井鉱山に職員として勤務しているという。相手方が写真を見て、姉ではなく万津子を指名したという。お見合いは盆明けの下旬に大牟田の料亭で行われ、その年も冬に佐藤家に嫁ぐ。

 

1960年夏 万津子20歳

三井鉱山新町港住宅内の4件長屋のうちの1室が佐藤満と万津子の家だった。労使関係が悪化し、満は毎日家にいるようになり、万津子に暴力をふる日々、妊娠が判明する。

 

2019年11月日曜日

朝、万津子の様子がおかしく、妻に言われて散歩にでた万津子についていく。

橋から川を覗いている子どもたちに向かって、「ヨシタカくん、そげんかこつしたらでけん!」と叫ぶ。なお、子どもたちはヒロキとダイゴであった。通行人を見て「・・・ミツル」さんと怯えるような目つきに。

 

1963年11月 

下の子・徹平が生まれて7ヶ月のこと。泰介(2歳半)は長屋の子に遊んでもらっていたが言い合いになり叩いてしまったと。新町港社宅の隣の長屋の中村家の上の子・勘太、山下家の娘・芳子は諏訪小学校の一年生、勘太の弟・洋二(3歳)。泰介の癇癪餅は近隣に知れ渡る。万津子が二人の子供と中村家の洋二を連れて諏訪川に行くと、洋二が拾ったラムネ玉を泰介が奪い取ろうとして喧嘩が始まり、泰介が洋二を強く押して、水の中に落とそうとしたことも。

泰介が叱られた腹いせにミツルが買ってきた酒を割り、満は泰介にも暴力を振るう。身の危険を感じ着の身着のまま新町港住宅の長屋を飛び出して実家へ、翌日(昭和38年11月9日)泰介がテレビテレビとせがむので、やむなく新町港住宅に帰るが、15時過ぎに大牟田駅前に来たところで「どどおん」と爆発音があった。坑内で粉塵爆発が起こり、多数の死傷者がでた。満はガス中毒で、翌朝無言の帰宅をした。中村家の主人は、軽傷で生還したものの、ガスを吸い、廃人となってしまった。

 

2019年12月

万津子が、嚥下障害からの肺炎で病院に搬送された。快方に向かった母に、水は嫌いだっけという問には、「水は、こわかけんねえ」、ヨシタカは誰かと尋ねるも、「あんた、知らんとかね」「大変なことよ・・・・・・ほんなこつ」という返事で、「いつ」という問いには「東京オリンピックの前、昭和39年8月29日」と返答。さらに問うものの顔を見て「泰介か。あんたには、絶対に言わん」

泰介は、病院から出て図書館で当時の新聞を探すと、30日付けに「川に流された小学生男児死亡」のみだして、熊本県荒尾市での水難事故が載っていた「関川で男児二人が転落し、橋本良隆(7歳)が死亡、もうひとりは近隣住民に助けられ軽傷。」という記事だった。

その足で病院に戻らず、神田駅近くの喫茶店モカを尋ねる。上京して10日目にして働かせてほしいと、万津子が二人の子を連れてきた。2階の部屋を貸したが当時家賃は受け取ってなかったと聞かされる。女工時代の記憶から、純喫茶にこだわっていたと。泰介が学校の備品を壊した、同級生の紙を引っ張ったと、教師がしょっちゅう報告にきていた。泰介の有り余る元気を消耗させるために、バレーボールをさせていたという。

 

1964年4月

爆発事故から5ヶ月、万津子は二人の子を連れて実家に戻った。次兄の実は独身だったが、冬の間に肺炎にかかり、布団に臥せっていた。泰介の鳴き声で、かつては中の良かった実との関係もぎくしゃくしていた。

午後は学校を終えた小学校3~4年生が近所の小さい子を連れ出して遊び相手になるのが地域の風習であったが、真津子が家事をしていると、隣家の子が泰介が良隆を怪我させたと伝えに来た。これで5度目である。

 

2019年12月

萌子とともに万津子のお見舞い、帰りに歩いて帰る時に、萌子が最近発達障害の講話を聞き、少し調べたところ泰介がADHDではないかと言ってきた、泰介はネット診断を経て渋谷のメンタルクリニックを予約受信し、ADHDであると診断をうけた。

 

1964年8月29日

朝から積み木遊びしたい泰介は、癇癪を起こした。午前中、夏休み中の橋本良隆が泰介を迎えに来て遊びに連れ出した。昼ごはんの時間になってももどらなかったので、探しに行こうとした矢先に、隣家の奥さんが末の娘を連れて、家に来て泰介が流されたと。

泰介は助け出されたが、良隆は発見時既に水死した。他の子達は鬼ごっこしていたが、井上家の修二が、泰介が良隆を川に押したと証言した。鬼の番になった泰介が嫌がり、良隆がなだめて川に石投げていたというが、真実は不明。

翌日、泰介は良隆と遊びたがったが。。。

 

 

2019年12月27日

泰介がADHDと診断されてから一週間。いろいろと心がけを重視してきた。仕事の納会までに与えられた仕事をこなして、二次会にも参加すると、本部長の肥後から、新企画に参加しないかと声かかる。

 

1964年10月

良隆が亡くなって2ヶ月、万津子と泰介は村八分状態に。東京オリンピックが開幕~閉幕。万津子は二人の子をつれて実家から出ていく決心をし、まだ暗いうちに徒歩で大牟田駅を目指す。

 

2020年1月。

1月5日、万津子が高熱を出し緊急入院した。

萌子の高校は逆転勝利して優勝。泰介病室の中継テレビでみていた。泰介が何度も見ている夢のことを万津子に話すと、「もう泰介は練習せんでよかね」「バレーボール、もう、しなくてもよかよ」といい、静かに深い眠りについて、萌子や医師に看取られて、そのまま息を引き取った。

 

 

登場人物等

スミダスポーツ

泰介が入社当時は、墨田区周辺でのスポーツクラブ運営の小規模の会社だったが、合併や買収で業界大手の会社に。

マーケティング部アドミニストレーション課勤務。

 

佐藤泰介 58歳。スミダスミダスポーツのマーケティング企画部勤務(55歳で役職定年)。大学のバレーボールで由佳子と知り合い結婚したが、スポーツ史には不慣れ。学生時代のアルバイトからそのまま正社員採用、店舗勤務の後本社勤務で51歳から4年間は管理職をしていて、今月よりマーケティング部勤務。大雑把な性格で学生時代のバレーボールのスパイクでも正確性を欠くと周囲から指摘されていた。定年まであと一年半。

・由佳子 妻。泰介より5歳下。水戸市出身。

・萌子 娘。高2、身長174cm、銀徳高校バレーボール部のエース。

・チロル ペットの猫。

・万津子(まつこ) 母。80歳認知症気味。五月にくも膜下出血で倒れて一命はとりとめたものの、認知症が判明。旧姓・宮崎。夫は、泰介の弟が生まれてまもなく死亡し、家族3人で上京。

徹平 泰介の弟。頭が良くてメガバンク勤務。バレーボールはやらせなかった。

 

北見賢吾(きたみけんご) データーアドミニストレーション課長 30代なかば。高学歴、

立山麻美(たちやまあさみ) データーアドミニストレーション課の若手

木村将太(きむらしょうた) データーアドミニストレーション課の若手

肥後太一(ひごたいいち) 53歳。スポーツジム運営本部長就任。泰介が6年目のとき新人教育したと周囲に何度も自慢。

 

戸田雫 萌子と同学年。

長谷部奈桜(はせべなお) 銀徳高校バレーボール部キャプテン。練習で捻挫して松葉杖。

 

宮崎万津子 九州の熊本県荒尾市の農家の3女で、中卒後に愛知県一宮市の一色紡績女子工員。18歳

・悟 万津子の長兄。

・・諒子 兄嫁。

・・薫 兄の娘。

・実 次兄、病気がち。ひとつ上。

・香代子 姉

・千恵子 姉

・小夜子 末の妹。中学生。優秀なので、高校へ進学させようと仕送りしていたが、(見合いで帰郷したときに)姉三人が働きに出ているので、自分も働きに出るという。 

あやちゃん 寮で同室、鹿児島県霧島市出身。18歳。

常子 つねちゃん 寮で同室、秋田出身。18歳。

弘子 寮で同室。組長。23歳。鹿児島出身。前は大阪の工場にいた。

悦子 女子バレーボール部部長。23歳。鹿児島県霧島市出身。

光子 15歳の新人で、長崎出身だったがホームシックで1ヶ月前に帰郷した。元同室。

昭子(あきこ) 17歳、天草出身で万津子たちの一年後輩だったが、同室の常子にお金をせびるようになり、駆け落ち同然で行方不明に

 

吉田家 宮崎家の隣人。

・光恵 末っ子で、1964年当時小4

 

橋本家 宮崎家から徒歩5分ほど。良隆(小1)、弟(2歳)

井上家 橋本家のとなり。次男は修二で良隆と同い年

田中家 長男・卓也(小4)

 

佐藤満

 三井鉱山の技術系社員。大学を半年弱で退学して入社した。

・仁(ひとし) 弟、会社を次ぐ予定。

 

古賀 社宅の隣室。事務部門勤務。1963年時点で小4の子もち。

池田 社宅。職員婦人会の役員。

中村 坑内業務部門勤務。上の子・勘太(諏訪小学校の一年生)、弟の洋二(3歳)

山下 社宅のとなり長屋。事務部門勤務。娘・芳子は諏訪小学校の一年生

 

金沢実男(かなざわさねお) 神田駅近く喫茶店モカ主人。万津子が働いていた。現在90歳。喫茶店3階に住む。

・祥子(さちこ) 夫人。15年前に死去。

・孝(たかし) 金沢家の一人息子で10年前に喫茶店を継いだ。泰介の4歳上の62歳。喫茶店2階に住む。