父・宮脇俊三への旅 宮脇灯子著 グラフ社 平成18年12月30日第1版第1刷発行 東図書館所蔵

 

SNSとかで見かけたので借りた。

 

 

51歳で27年勤めた中央公論社(退職時は常務取締役)から、著述業へ転身。

自宅を平屋建てから3階建てのミニマンションとして、1.2階は賃貸として貸す。晩年は家賃収入にたすけられたとも、「テルミニ宮脇」テルミニはイタリア語で終点を意味する。

※2020年時点で現存している様子。

 

旅行かばんは、自ら用意し、服などもタンスから自分で取り出して詰めていくという。グラビアで撮影される場合の服は夫人が見繕っていた。

 

 

『想を練るのは布団の中で』P57~60

新婚当時の宮脇俊三「お布団大好き。この世で一番好きなのはお布団、その次は君(宮脇俊三夫人)」。ベットで布団にくるまって、まどろむことが多かった。P57

書斎で仕事しているはずの父が、書斎の手前の寝室の布団から父の足が飛び出していることも。P58

夕食後は「じゃあパパは寝るからね」と夕食後は布団に直行。午後10時まで布団でまどろんで(音楽を聞いたり、ぬいぐるみと会話したりして)、その後書斎と寝室を行き来しつつ夜明けまで執筆活動を行う。

夫人が「パパは本当によく寝るわね」と皮肉をいうと「寝てるんじゃない、原稿について考えているんだ、人が怠けているように言うな!」と怒鳴り、以後禁句となった

俊三の死後、俊三のベッドはすぐさま処分され、その場所には夫人の新しい洋服ダンスが置かれた。

 

 

『食事のわがまま』P66~69

自然にちかい状態で口にすることを好み、魚なら刺し身や塩焼き、肉ならステーキ、ほうれん草はおひたしまで。ステーキやとんかつなどの油ものを晩年でも好んだ。しかし、ステーキでも肉が硬いと食べず、魚も青魚は食べず、塩焼きでも生臭さを感じると残す。たくさん盛り付けてあるのも、「健康に良いから食べろと強要されている」と感じ嫌がった。

 

『隣人 北杜夫さん』P78~

北杜夫のベストセラー著書『どくとるマンボウ航海記』の執筆を依頼し担当編集者をしていたのが宮脇俊三であった。所帯をもつにあたって北杜夫からいい土地はないかとたずねられ、すすめたのが自宅隣であった。

1961年10月、空き地だった土地に、北杜夫の新居が完成した、1968年生まれの著者は、物心ついたときから「隣のおじちゃん(作家の北杜夫)」であった。

 

著者は、父41歳、母38歳のときの子