高円宮殿下 久能靖著 河出書房出版社 2003年11月20日初版印刷 2003年11月30日初版発行 宇都宮市立上河内図書館所蔵
11月23日の上河内の羽黒山梵天祭のときに、上河内図書館で、タイトルにひかれて借りてみた。
著者と殿下の初顔合わせは、著者が日本テレビで皇室番組を受け持ち、各宮家に挨拶に出向き、高円宮邸の邪魔したとき、殿下は不在だったので、日を改め、取材を兼ねて根付けの会のよりあい会場の店先であった。
約束の時間より先に到着し、殿下の到着を待った。車から降りられた殿下に「はじめまして。」と挨拶すると、「やあ、いつもテレビ(午後はまるまるおもいっきりテレビ)でみてますよ。」との返答で面食らった。
薨去された日の高円宮御一家のことも、より具体的に記載。
国際交流基金で勤務の様子や国際交流基金に決まった経緯、勤務中のエピソードなど。
・勤務中に某代議士から理事長宛に高飛車な電話があっても平静に対応し、あとで事情を知った代議士が恐縮したという(結婚前なので「三笠です」と返事)
・ピアニストの中村紘子さんに外国文化紹介の講演を札幌でしてほしいと依頼を快諾され、当日の航空券は羽田空港の貴賓室で三笠という男性チケットを手に待っておられるときき、(人づてに三笠宮家の三男が勤務していると聞いていたので)、羽田空港の貴賓室へ向かうと、殿下が立って待っておられて、北海道までカバン持ちとして同行された
・黒柳徹子も殿下から講演を頼まれた一人で、公演中もステージ袖でたったままで、終了後に「ありがとうございました」と挨拶を受けた
38歳のときにチェロ奏者であるヨーヨ・マの演奏に魅せられ気持ちが動いたが、始めるには(38歳)はおそすぎると躊躇したが、ヨーヨ・マから勧められたのと、チェロを演奏される天皇陛下より「もし(チェロを)やるのなら、二本あるから」と、一本のチェロを賜ったことが大きかった。
練習は高円宮邸の応接室で、チェロ奏者の寺田義彦より指導を受けた。
なくなった二日後に予定していた寺田氏の教室の演奏会のプログラムには、生徒による独奏として高円宮憲仁親王がチャイコフスキーの「夜想曲」、お子様の高円宮絢子女王がバッハの「アリオーン」でそれぞれ記載されていた。
※読了したのは第5章まで。