福澤諭吉が「学問のすすめ」という著書の中に「一身独立して一国独立する事」を提唱しました。そして「学問のすすめ」の第三編に非常に面白い文章があります。それは、

「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐る者は必ず人に諂うものなり。常に人を恐れ人に諂う者は次第にこれに慣れ、その面の皮鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる習い性となるとはこの事にて、慣れたることは容易に改め難きものなり。」

それに、「独立の気力なき者は、人に依頼して悪事をなすことなり。」とはっきりと書きました。

世の中に「人に依頼して悪事をなす」人は結構います。では、どうすれば、人は「独立の気力」を得られるのでしょうか?それはやはり、福澤氏が主張する通り、「学問」に励むことです。「無学なる者」は人に依頼して生きるしかないからです。

実は、「大学」にも学問の重要性を指摘しています。途中からですが。

「欲修其身者、先正其心。欲正其心者、先誠其意、欲誠其意者、先致其知。致知在格物。物格而后知致、知致而后意誠、意誠而后心正、心正而后身修、身修而后家斉、家斉而后国治、国治而后天下平。」

日本語に訳すると、

「その身を修めんと欲する者は、まずその心を正す。その心を正さんと欲する者は、先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。知を致すは物に格るにあり。物格りて后に知至る。知至りて后に意誠なり。意誠にして后に心正し。心正しくして后に身修まる。身修まりて后に家斉う。家斉いて后に国治まる。国治まりて后に天下平なり。」

つまり、一人一人が一番低いレベルで励むべきなのは、自分の知識レベルを高めることです。そのために、物事を学び、道理を十分に理解しなければなりません。知識があってはじめて「意誠」できることです。知識のない者は「知識の無さ」を隠すために、うそもつくし、他人に依頼して生きるので、ただ他人を喜ばすから、誠実にはなれません。誠実でない者は正しい思想を持つ(心正)こともできません。だから、まずは、勉強をして知識レベルを高めて、誠実な人になることです。誠実な人が次第に正しい思想を持つようになり、そして国民の皆がこのように正しく行動するなら(修身、斉家)、国が治まり、天下も平和になるのです。

「平和」と「学問」の関係が見えてきましたね。これこそが「勉強の意義」です。「何のために勉強するのか?」と子供に質問されたら、このように「平和のため」と答えましょうね。