中学の時に一番たくさんの本を読んだと思います。あの時は中国文学にはまっていて、孔子の「論語」、老子の「道徳経」、それに「三国演義」、「水滸伝」、「楊家将演義」、「岳飛伝」、「封神演義」、などの原著を読みました。とくに「水滸伝」は非常に面白いと思って、三回も読みました。唐詩と宋詞も好きでした。今でも時々読みます。特に李白、白居易、李後主、岳飛の作品が好きです。特に白居易の「長恨歌」、「琵琶行」は何回読んでも感動します。不朽な作品です。李白の「将進酒」も大好きです。

高校になると、文学やフィクションは実用ではないと思って、理系に進学することを選びました。そして、物理や化学のテキストを読むようになりました。しかし、当時は成績のことしか頭になくて、そんなに物理が好きでもありませんでした。結局は試験のためにやっていました。

大学生になって、相対論と量子論に出会って、やっと物理の面白さがわかったのです。特に、量子論がとても不思議で、「もっと知りたい」という気持ちがものすごく強くなったのです。あの時から暴走しはじめたのです。量子力学に関係する本をいっぱい買って読んだのです。しかし、量子力学の応用(例えば、摂動論や散乱など)に興味がなくて、「なぜ物理現象は線形代数で記述しなければならないのか」にだけ興味があります。今も問い続けています。卒論のときからは量子光学、大学院では量子情報に興味が広がったのです。これらに関係する本は百冊以上持っています。気がついたら、量子の研究は「趣味」になっています。お金もらわなくても暇のときにもやりたいです。

このまま文学と縁を切るかというと、そうにもならなかったのです。数年前に、気づきました。人間というのは、科学技術だけでは生きていけないのです。じっくりと人生の意味を考えてみたら、結局、科学技術の研究などは人生のほんの一部にすぎないことに悟りました。「科学に人生を捧げる」のはさすがにしたくないのです。一生懸命に書いた論文は十年も経てば、何の意味もありません。虚しい感じばかりです。あの時に出会ったのがゲーテの「若きウェルテルの悩み」です。たまたま本屋さんで見て、買ったのです。その後、僕はまた文学に興味を持ち始めたのです。哲学も知りたくなりました。西洋の名著、中国の近代文学や日本の歴史と文学にも触れたいと思います。日本のいいところは、このような本は大体文庫になっていて、安い価格で買えることです。週末にどこかに遊びにいくのを我慢すれば、二、三冊買えますね。

文学が自分の人生にとっての意味をようやくわかったのです。「心の糧」というものです。