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8月も今日で終わりですね。
数日前、ようやく【ツクツクボウシ】が
鳴き始めました(遅ッ)
2011年も2/3が過ぎ去りました。
そして、節電の夏も、2/3が大規模停電無しに、
過ぎていこうとしています。
2011年は、波乱に飛んだ年になりました。
○能としか言いようのない、
前総理が口にした、歴史に残る年に。
※ 彼の名前は、歴史に刻まれるでしょう、
彼の思惑とは違って、
最○な○能な○身にばかり走り、
○○時を知らなかった首相として、きっと…。
未曾有の大規模大震災、原発の爆発、
そして、その後の処理の甘さのため、
いまだに避難所暮らしの方々がいます。
東北地方は、これから、駆け足で寒い季節に向かいます。
今、日本は、お先真っ暗、
どこに向かうのか、行き先も定まらない状態。
情けないというか、どうしてと疑問ばかりが先立ち、
イライラが募りますが、力のない個人がどうする事も出来ず、
今に至ってます(ホントに情けないですね)
でも、過去、日本は、何度も立ち上がってきました。
鎖国から開国。原爆を2発も浴び、焦土と化した敗戦からも。
これほどの大規模大震災(地震・津波・原発)では
なかったのかもしれませんが、
関東、阪神、からも立ち直りました。
今また、日本人は、試されています。
きっと、同じように立ち直ってくれるであろうと、
そう考えて、前に進む(自分の出来る事をやる)しかないのでしょうね。
さて、話は変わりますが、
このブログを始めてから、早、1年半。
そんなに長く続くとは、自分でも思っていませんでした。
それは、アメブロオーナーの皆様の暖かさゆえ。
しがないニュース系ブログなのに、
コメントをくださったり、読者登録をしてくださったり、
挙句には、アメンバーさんにまでなってくださったり。
ひっそりとペタッとしてくださったたくさんの方々がいらっしゃったり。
少し、更新が続かなければ、大丈夫かと声をかけてくださったり、
どんなに励みになったことでしょう。
ですが、
そう、
『ですが』
なのです(ーー;)
超忙しかった8月お盆以降…
いえいえ、その前から、
丁度、6月のPC騒動(アメンバー限定記事)辺りから
どんどん興味が薄れ始めていました。
ニュースサイトを訪れても、
興味の持てるニュースがなく、
記事数が、極端に少なくなってきていました。
それをPCの所為にしていましたが、
結局は、自らの気持ちの問題だったのでしょう。
そういうことになれば、
ニュース系ブログとして、
成り立たないのは、目に見えています。
なので、気持ちが落ち着く、というか、
興味が持てるようになるまで、
休止する事に決めました。
廃止とも考えましたが、
つたない記事に付いた、
たくさんのコメントの事を
考えると、このブログを削除るのは、
気が進みません。
ず~と、お休みしていると、
いつかは、削除されてしまうのでしょうけれど。
それまでは、休止と言う事で、
未更新ブログとして、このままの状態に
しておこうと思います。
そこで、感謝の気持ちと言うのは、
変なのですが(^^;;
初めて、動画モドキを作りました。
といっても、ビデオが撮れるわけでもない(持っていないから、笑)ので
画像のスライドショーですが・・・(゚_゚i)タラー・・・
※ 撮り溜めたフォト画像を
無修正で繋いだだけσ(^_^;)アセアセ...
もし、お時間があれば、
観てやってくださいませ。
カクカクしますし、使った画像もつけたキャプションも
全て今一ですが、そこは初めてと言う事で、
ご勘弁願います(苦笑)
※ 何故フォントが潰れてるのがあるのかなぁ(# ̄З ̄) ブツブツ
でも、音楽(BGM)は、いい曲ばかりですよ。
ご提供してくださった多夢さんに感謝♪
5分ほどと長いですが、目をつぶって、
BGMで癒されてくださいな(笑)
※限定公開です。
そんな奇特な方はいらっしゃらないとは、
思いますが、他で公開なさいませんように。
なんちゃって、いないよねぇ、そのな方は(T▽T)アハハ!
長いようで、短い、
そんな気がしますが、
今まで、本当にありがとう。
いつかどこかで、
また、巡り合える事を祈りつつ…。
どうぞ、お元気で。
長期予報では、
去年ほど暑くはないらしいけれど、
長い晩夏になるそうです。
夏バテ(残暑バテ)等なさいませんように。
どこかで、ドジユウを見かけたら、
(*~▼~)ノ ハロー元気~?? と声かけてやってくださいね♪
本当に、ありがとうございました。
また、お会いましょう♪
その日まで、
☆⌒(*^-゚)ノ~♪see you again♪~ヾ(゚-^*)⌒☆
数日前、ようやく【ツクツクボウシ】が
鳴き始めました(遅ッ)
2011年も2/3が過ぎ去りました。
そして、節電の夏も、2/3が大規模停電無しに、
過ぎていこうとしています。
2011年は、波乱に飛んだ年になりました。
○能としか言いようのない、
前総理が口にした、歴史に残る年に。
※ 彼の名前は、歴史に刻まれるでしょう、
彼の思惑とは違って、
最○な○能な○身にばかり走り、
○○時を知らなかった首相として、きっと…。
未曾有の大規模大震災、原発の爆発、
そして、その後の処理の甘さのため、
いまだに避難所暮らしの方々がいます。
東北地方は、これから、駆け足で寒い季節に向かいます。
今、日本は、お先真っ暗、
どこに向かうのか、行き先も定まらない状態。
情けないというか、どうしてと疑問ばかりが先立ち、
イライラが募りますが、力のない個人がどうする事も出来ず、
今に至ってます(ホントに情けないですね)
でも、過去、日本は、何度も立ち上がってきました。
鎖国から開国。原爆を2発も浴び、焦土と化した敗戦からも。
これほどの大規模大震災(地震・津波・原発)では
なかったのかもしれませんが、
関東、阪神、からも立ち直りました。
今また、日本人は、試されています。
きっと、同じように立ち直ってくれるであろうと、
そう考えて、前に進む(自分の出来る事をやる)しかないのでしょうね。
さて、話は変わりますが、
このブログを始めてから、早、1年半。
そんなに長く続くとは、自分でも思っていませんでした。
それは、アメブロオーナーの皆様の暖かさゆえ。
しがないニュース系ブログなのに、
コメントをくださったり、読者登録をしてくださったり、
挙句には、アメンバーさんにまでなってくださったり。
ひっそりとペタッとしてくださったたくさんの方々がいらっしゃったり。
少し、更新が続かなければ、大丈夫かと声をかけてくださったり、
どんなに励みになったことでしょう。
ですが、
そう、
『ですが』
なのです(ーー;)
超忙しかった8月お盆以降…
いえいえ、その前から、
丁度、6月のPC騒動(アメンバー限定記事)辺りから
どんどん興味が薄れ始めていました。
ニュースサイトを訪れても、
興味の持てるニュースがなく、
記事数が、極端に少なくなってきていました。
それをPCの所為にしていましたが、
結局は、自らの気持ちの問題だったのでしょう。
そういうことになれば、
ニュース系ブログとして、
成り立たないのは、目に見えています。
なので、気持ちが落ち着く、というか、
興味が持てるようになるまで、
休止する事に決めました。
廃止とも考えましたが、
つたない記事に付いた、
たくさんのコメントの事を
考えると、このブログを削除るのは、
気が進みません。
ず~と、お休みしていると、
いつかは、削除されてしまうのでしょうけれど。
それまでは、休止と言う事で、
未更新ブログとして、このままの状態に
しておこうと思います。
そこで、感謝の気持ちと言うのは、
変なのですが(^^;;
初めて、動画モドキを作りました。
といっても、ビデオが撮れるわけでもない(持っていないから、笑)ので
画像のスライドショーですが・・・(゚_゚i)タラー・・・
※ 撮り溜めたフォト画像を
無修正で繋いだだけσ(^_^;)アセアセ...
もし、お時間があれば、
観てやってくださいませ。
カクカクしますし、使った画像もつけたキャプションも
全て今一ですが、そこは初めてと言う事で、
ご勘弁願います(苦笑)
※ 何故フォントが潰れてるのがあるのかなぁ(# ̄З ̄) ブツブツ
でも、音楽(BGM)は、いい曲ばかりですよ。
ご提供してくださった多夢さんに感謝♪
5分ほどと長いですが、目をつぶって、
BGMで癒されてくださいな(笑)
※限定公開です。
そんな奇特な方はいらっしゃらないとは、
思いますが、他で公開なさいませんように。
なんちゃって、いないよねぇ、そのな方は(T▽T)アハハ!
長いようで、短い、
そんな気がしますが、
今まで、本当にありがとう。
いつかどこかで、
また、巡り合える事を祈りつつ…。
どうぞ、お元気で。
長期予報では、
去年ほど暑くはないらしいけれど、
長い晩夏になるそうです。
夏バテ(残暑バテ)等なさいませんように。
どこかで、ドジユウを見かけたら、
(*~▼~)ノ ハロー元気~?? と声かけてやってくださいね♪
本当に、ありがとうございました。
また、お会いましょう♪
その日まで、
☆⌒(*^-゚)ノ~♪see you again♪~ヾ(゚-^*)⌒☆
戦場で歌に励まされた 西条八十作詞「かなりや」
童謡「かなりや」がなければ、詩人の西条八十(1892~1970)は昭和前期の歌謡界を率いる作詞家にならなかったかもしれません。1918(大正7)年に児童雑誌「赤い鳥」に発表した詩に翌年、曲がつけられ、それ以来、広く愛唱されています。
1920年代からは西条は流行歌で次々とヒットを放ちました。「東京行進曲」「銀座の柳」「東京音頭」・・・。パリ留学中の光景を歌った「お菓子と娘」(橋本国彦作曲、29年にレコード化)も流行歌の一つです。「お菓子の好きなパリ娘 二人そろえばいそいそと 角の菓子屋へボンジュール・・・」
時は流れて、45年3月末。那覇市の南東5キロにある南風原町の陸軍病院壕に、この歌が響きました。看護要員として動員されて来た「ひめゆり学徒隊」の引率教師、親泊千代さん(当時23)の声でした。女学生らは壕を掘る手を休め、聴き入りました。沖縄県立第一高等女学校4年だった宮城喜久子さん(82)は「疲れた私たちを励まそうとして下さったのでしょう。ハイカラな歌なのに、壕で聴いた時だけは、なぜかふるさとが思い出されて懐かしくて」。暗闇に拍手が響きました。
「ひめゆり学徒隊」は、沖縄師範学校女子部と第一高女の生徒たち222人と、教諭18人から成ります。彼女たちは当初、勝ち戦で、すぐ帰れると思っていました。でも、4月1日に米軍が沖縄本島に上陸。艦砲射撃や空襲も激しくなり、負傷兵が次々と運ばれてきました。まるで地獄でした。
5月下旬に米軍が迫ると病院は南へ移動します。6月中旬、学徒隊は解散を命じられ、戦場に放り出されました。南へ南へと逃げた末、宮城さんは6月21日に最南端の荒崎海岸で米軍に保護されました。組織的な戦闘は同23日に終わりましたが、ひめゆりの最後の一人が保護されたのは9月になってから。生き残ったのは、学徒99人、教師5人だけでした。
親泊先生は糸満市の壕で米軍の攻撃で亡くなりました。状況が悪化しても「お菓子と娘」を口ずさんでいたそうです。宮城さんは言います。「きっと心の支えだったのでしょう。そんな歌を作った西条さんが戦意を鼓舞する軍歌も作った。複雑です」
「同期の桜」などの軍歌を西条は作り、その数は日本の作詞家として最多ともいわれます。でもそれは、西条にとっても苦渋の選択だったかも知れません。「唄を忘れた金絲雀(かなりや)」にならないための・・・。
続きは8月27日付け朝刊の別刷り「be」で…
※この記事はasahi.comより引用しています。
http://www.asahi.com/shopping/tabibito/TKY201108250325.html
うーん、今回のこの記事は、
なんだかなぁ、尻切れトンボ(ーー;)
毎回、紙面を読もうと、
その時は、思うのだけれど、
忘れてしまうドジユウ(苦笑)
asahi.comさんももう少し、
長く書いてくれればいいのにね(笑)
そっか、この歌がね、
45年なら、ハイカラだったでしょう、きっと。
皆、15~6才の少女だものね。
残酷で過酷で、容赦ない時代。
でも、その上に成り立っているのが、
今の日本。
若い命を散らした彼らが、
今の日本の現状を見たら……
確かに、軍歌は…。
でも、それらを口ずさみ、
死地へ赴いた若者がいたのは事実ですし、
彼らがいたからこそ、
今の日本があると…。
情けなすぎる日本ですけどね(涙)
また、当時は、
作らざるえない状況でも、
あったのでしょうね、きっと。
昭和4年の東京?
ラインダンスの映像には、
思わず噴出してしまったドジユウですが、
貴重な映像ですよね♪
こちらは、1932年の
銀座?
着物でダンス?
女給さんとか言ったっけ?
1920年代からは西条は流行歌で次々とヒットを放ちました。「東京行進曲」「銀座の柳」「東京音頭」・・・。パリ留学中の光景を歌った「お菓子と娘」(橋本国彦作曲、29年にレコード化)も流行歌の一つです。「お菓子の好きなパリ娘 二人そろえばいそいそと 角の菓子屋へボンジュール・・・」
時は流れて、45年3月末。那覇市の南東5キロにある南風原町の陸軍病院壕に、この歌が響きました。看護要員として動員されて来た「ひめゆり学徒隊」の引率教師、親泊千代さん(当時23)の声でした。女学生らは壕を掘る手を休め、聴き入りました。沖縄県立第一高等女学校4年だった宮城喜久子さん(82)は「疲れた私たちを励まそうとして下さったのでしょう。ハイカラな歌なのに、壕で聴いた時だけは、なぜかふるさとが思い出されて懐かしくて」。暗闇に拍手が響きました。
「ひめゆり学徒隊」は、沖縄師範学校女子部と第一高女の生徒たち222人と、教諭18人から成ります。彼女たちは当初、勝ち戦で、すぐ帰れると思っていました。でも、4月1日に米軍が沖縄本島に上陸。艦砲射撃や空襲も激しくなり、負傷兵が次々と運ばれてきました。まるで地獄でした。
5月下旬に米軍が迫ると病院は南へ移動します。6月中旬、学徒隊は解散を命じられ、戦場に放り出されました。南へ南へと逃げた末、宮城さんは6月21日に最南端の荒崎海岸で米軍に保護されました。組織的な戦闘は同23日に終わりましたが、ひめゆりの最後の一人が保護されたのは9月になってから。生き残ったのは、学徒99人、教師5人だけでした。
親泊先生は糸満市の壕で米軍の攻撃で亡くなりました。状況が悪化しても「お菓子と娘」を口ずさんでいたそうです。宮城さんは言います。「きっと心の支えだったのでしょう。そんな歌を作った西条さんが戦意を鼓舞する軍歌も作った。複雑です」
「同期の桜」などの軍歌を西条は作り、その数は日本の作詞家として最多ともいわれます。でもそれは、西条にとっても苦渋の選択だったかも知れません。「唄を忘れた金絲雀(かなりや)」にならないための・・・。
続きは8月27日付け朝刊の別刷り「be」で…
※この記事はasahi.comより引用しています。
http://www.asahi.com/shopping/tabibito/TKY201108250325.html
うーん、今回のこの記事は、
なんだかなぁ、尻切れトンボ(ーー;)
毎回、紙面を読もうと、
その時は、思うのだけれど、
忘れてしまうドジユウ(苦笑)
asahi.comさんももう少し、
長く書いてくれればいいのにね(笑)
そっか、この歌がね、
45年なら、ハイカラだったでしょう、きっと。
皆、15~6才の少女だものね。
残酷で過酷で、容赦ない時代。
でも、その上に成り立っているのが、
今の日本。
若い命を散らした彼らが、
今の日本の現状を見たら……
確かに、軍歌は…。
でも、それらを口ずさみ、
死地へ赴いた若者がいたのは事実ですし、
彼らがいたからこそ、
今の日本があると…。
情けなすぎる日本ですけどね(涙)
また、当時は、
作らざるえない状況でも、
あったのでしょうね、きっと。
昭和4年の東京?
ラインダンスの映像には、
思わず噴出してしまったドジユウですが、
貴重な映像ですよね♪
こちらは、1932年の
銀座?
着物でダンス?
女給さんとか言ったっけ?
96歳チェリスト、大輪の音色 青木十良、伝記と新譜
96歳の現役チェリスト、青木十良(じゅうろう)の歩みを振り返る伝記「チェリスト、青木十良」(大原哲夫著、飛鳥新社)と新譜CD「バッハ 無伴奏チェロ組曲第4番」(N&F)が同時に出た。商業主義から一線を画し、自らの心と対話しながら音楽を掘り下げてきた、その虚心の歩みを文字と音が立体的に活写する。
一つひとつの音やリズムを豊かに呼吸するかのような演奏は、チェリストで指揮者の故斎藤秀雄も魅了。桐朋学園で指導にあたったが、音楽が世事に巻き込まれてゆく時代の空気に違和感を感じ、一線を退いた。
伝記は、青木が時代に翻弄(ほんろう)されながら、音楽への献身を深めてゆく過程を対話形式でつづる。父の仕事が貿易商だったこともあり、自宅にたまたま名チェリストのクレンゲルの弟子が出入りしていた。手ほどきを受けた日、自らの身体と一緒になって響く、深々とした音色のとりこになった。
反骨精神たっぷりの少年は、科学と音楽という合理性の世界に希望を見いだしてゆく。米国留学して核物理学者になる夢は開戦で断たれたが、残された音楽という夢は手放さなかった。そうしていま、バッハに向き合いながら、大輪の花を咲かせようとしている。
「この年になって、ようやくバッハがほぐれてきた」と語る。バッハの力学的な構成やリズムは自然の写し絵。細部にこそ神が宿る、とも。
無伴奏チェロ組曲は全6曲。87歳の時に第6番を出して以来、さかのぼって全曲録音を目指している。
「弾けるうちに、難しい方から弾いていかないとね。思考が深まって自らへの要求がどんどん高くなってゆくのに、手は動かなくなってゆくばかり。音楽をするのは、私にとっては喜びであると同時に、生涯の闘いなのかもしれません」
※この記事はashi.comより引用しています。
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201108240130.html
96才で、ようやくって…
頭が下がる思いです。
それに比べりゃ
ドジユウなんて、
またまだ青いですよねぇ(T▽T)アハハ!
生涯の闘い、
今、世に存在するアーティスト
ミュージシャンの内、
幾人が、こういう風に考えているのでしょうねぇ…。
凄いな、何かしら、
少しでも、見習えたら、
いいなぁ(シミジミ)
ず~と聴いていたいな…
チェリスト、青木十良
バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番
おまけ
チェリスト:Mischa Maisky
6番v-Gavotte
多分、聴かれた事があると(笑)
残念ながら、青木十良さんの動画はなくて…。
バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番![](https://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=&l=as2&o=9&a=B00007G7S1)
おまけ2
こちらはYo-Yo Maです。
ちょっと長いですけど、
チェロの音色を存分にどうぞ。
バッハ:無伴奏チェロ組曲第5番![](https://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=&l=as2&o=9&a=B000GFKXH4)
(超小声で)
6曲中、3曲まで…
最初の曲が2002年で
3曲目が2011年
10年がかり…
後3曲、後10数年。
頑張ってくださいね。
一つひとつの音やリズムを豊かに呼吸するかのような演奏は、チェリストで指揮者の故斎藤秀雄も魅了。桐朋学園で指導にあたったが、音楽が世事に巻き込まれてゆく時代の空気に違和感を感じ、一線を退いた。
伝記は、青木が時代に翻弄(ほんろう)されながら、音楽への献身を深めてゆく過程を対話形式でつづる。父の仕事が貿易商だったこともあり、自宅にたまたま名チェリストのクレンゲルの弟子が出入りしていた。手ほどきを受けた日、自らの身体と一緒になって響く、深々とした音色のとりこになった。
反骨精神たっぷりの少年は、科学と音楽という合理性の世界に希望を見いだしてゆく。米国留学して核物理学者になる夢は開戦で断たれたが、残された音楽という夢は手放さなかった。そうしていま、バッハに向き合いながら、大輪の花を咲かせようとしている。
「この年になって、ようやくバッハがほぐれてきた」と語る。バッハの力学的な構成やリズムは自然の写し絵。細部にこそ神が宿る、とも。
無伴奏チェロ組曲は全6曲。87歳の時に第6番を出して以来、さかのぼって全曲録音を目指している。
「弾けるうちに、難しい方から弾いていかないとね。思考が深まって自らへの要求がどんどん高くなってゆくのに、手は動かなくなってゆくばかり。音楽をするのは、私にとっては喜びであると同時に、生涯の闘いなのかもしれません」
※この記事はashi.comより引用しています。
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201108240130.html
96才で、ようやくって…
頭が下がる思いです。
それに比べりゃ
ドジユウなんて、
またまだ青いですよねぇ(T▽T)アハハ!
生涯の闘い、
今、世に存在するアーティスト
ミュージシャンの内、
幾人が、こういう風に考えているのでしょうねぇ…。
凄いな、何かしら、
少しでも、見習えたら、
いいなぁ(シミジミ)
ず~と聴いていたいな…
チェリスト、青木十良
バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番
おまけ
チェリスト:Mischa Maisky
6番v-Gavotte
多分、聴かれた事があると(笑)
残念ながら、青木十良さんの動画はなくて…。
バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番
おまけ2
こちらはYo-Yo Maです。
ちょっと長いですけど、
チェロの音色を存分にどうぞ。
バッハ:無伴奏チェロ組曲第5番
(超小声で)
6曲中、3曲まで…
最初の曲が2002年で
3曲目が2011年
10年がかり…
後3曲、後10数年。
頑張ってくださいね。