エクセネット物流は一部上場の自動車部品メーカー㈱エクセディの子会社です。私たちにとっては取引の窓口であり荷主です、エクセネット物流の人たちはよく私らは管理会社と言ってました。数社ある協力会社(下請)を管理する会社ってことでしょうか、下請が利益を出しすぎてないか?下請の社長が高級車に乗ってないか?等々を「管理」しているのです。利益が出てるなと思えばそれを取りに来て良い車に乗ってると見れば難癖をつけるのです、そんなことを日々管理会社のエクセネット物流はやっているのです、だから本来の仕事のことは全然手が回りません、本来この人たちがわからないことがあるのはおかしいのですがハッキリ言って何も知りません、たった一つのルートをとっても時間割も知らないどこで何をするかも知らないのです。自動車不況で仕事が減っていった時の打合せでこんなことがありました、協力工場Aの便を週に2日協力工場Bの便を週に3日にしたいと言うような案件でした。その時は私とI君が話し合いに挑みました、エクセネット物流はKが対応しました、I君が一度全部の便を一から見直して効率よく組み直したらいいんじゃないですか?とKに進言したのです。私もI君も運送業務に関してはプロですからそう考えて当然なのです。そのことに対してKは「Iさん、それ私にご指導いただいてるんですね」となんとも小馬鹿にした態度で言いました。
さらに「そんなんやってる間ないんですわ」I君の顔色が一瞬変わりましたので私は机の下で足を蹴ったものです、私の場合はKの上からの物言いも見下した態度も慣れっこでしたがI君は慣れていませんでした。何度も書きますがエクセネット物流は運送を専門とした会社のはずなのに本来この仕事に携わる誰もが考えることを「そんなんやってる間ないんですわ」の一言で終わらせてしまう素晴らしい会社です

お盆明けから何故か多忙を極めております。今の私の仕事は中小企業等の資金繰り支援や再生のコンサルタントをしております。本当に私と似たような事例が多いのでびっくりしています、そんな話を聞くたびに以前のことを思い出してしまいます。確かに中小企業の体質として元請(親会社)におんぶに抱っこでたいした努力もせず大手だから大丈夫と過信してしまうこともあります、やはり中小企業と言えども日々努力することは大切だと思います。エクセディの子会社エクセネット物流にはよく事故のでっちあげもされました、こちら側は全然悪くないのに後からクレームをつけ起こしてない事故までこっちのせいにされ対策書まで書かされます。いちいち反論するのも面倒なので適当に書類を作って提出したこともあります。なぜ反論しないのか?とにかく面倒くさいんですこいつら。冤罪で逮捕され取調べの過酷さに耐えかねて思わずやってしまいましたって言うようなものなのです。こんなこともありました、ある日エクセディの看板の入ったトラックが無謀運転をしていると投書があったそうです、実際の事実関係は正直わかりません。ただデジタルタコグラフや運行記録を見る限り不審な点は見られませんでしたが外部からの通報とエクセディの看板車ということでそれはそれは針小棒大に騒ぎ立てられました。休日に全従業員を会社に集めさせそこへKがわざわざ来て話をするという事態です、これによりそのドライバーは退社してしまいました。注意を促すならともかく退社にまで追い込むとは何事か!何の信憑性もない投書で騒ぎ立てるのですからこんなブログが世間に公表されてると知ったら一体どんなことになってるのやら

これまで下請法違反の実態を書いてきましたが、この会社労働派遣法違反も行っています。前出に常駐の従業員を配置してた件を書いたと思いますが、常駐のM君とそしてI君の2人がエクセディ本社工場で仕事をしていました、本来であれば雇用している側が指示なり命令なりをして動くのですがそうではありませんでした。出勤から退勤まですべてエクセネット物流の指示で動かされていました。それゆえにこちらの緊急事態ですら対応させてもらえなかった件は書いたとおりです。日常的によくあることなのかも知れませんがこれは明らかに派遣法違反なのです。エクセネット物流の社員たちは19時前後に退社しますが残った仕事は全てI君M君にやらせていました、彼らは毎日夜の10時頃まで仕事をしてました。そのことで改善要求をしたことがありますがあちらの答えは「労働時間が長いのであればもう一人投入するとかすればいい、もちろん費用はそっち持ちで」と抜かしました。後半には適当に理由をつけて抜いたのですがその時もKは「M君を外すとかI君を交代さすとか嫌がらせですか」と言いました。もともとお宅の小間使いさせるための2人じゃないのです、おそらくKは私の会社を傘下におさめたつもりでいたのでしょう。上がそんなだから下っ端の者まで常に上から目線でした。今はどんなふうになっているのか知るすべもありませんがこの会社は私たちが参入する前からこのような風潮だったと後から人に聞かされました。