審査会は試験であって試験ではない | 円心空手秋田支部の活動記録

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5月の終わりに昇級審査会やりました。そうすると時々言われるんです。「うちの子は落ちたんですか?」と。

 

他の子達が昇級認定状を受け取っている中で、何人かは渡されない子が居ます。できていない項目があるからです。

 

ここが問題なんですよね実は。審査は「試験」とも言います。試験の次に連想されるワードは何ですか?はいそうです「合否」というワードです。自分が合格か不合格かを知る「発表」を待つ事になる訳です。日本語の解釈としてはこれは全然間違っていないのですが.....

 

 

ここは私の考えを先ず皆様にお伝えしない事には、皆様の脳内から「?」が消えないと思うので、改めてここに記します。

 

私の考えとやり方はこういう感じです。

 

認定状(合格した時に受け取る賞状)をもらえなかった人は「克服項目」があります。その項目を1か月かけて私と一緒にトレーニングします。その期間マンツーマンで稽古後に残ってトレーニングすれば、できない子はいません。その段階で認定状を渡します。しかも「名前記入済みの昇級認定状」を本人に見せて「1か月間、先生と一緒にこれとこれを練習しようね。できたらこの認定状渡すからね」と本人に伝えています。だから不合格とは明らかに違います。

 

私は審査で誰かを落とそうとする考えは毛頭ありません。昔はできていない子を遠慮なくバンバン落としていました汗。今思えば何と愛も慈悲も無い対応だったのかと、恥ずかしくなります。それで失った道場生も戻らないし、やってしまった過去も消えません。

 

しかしそんな未熟な対応を繰り返したお陰?で、落とされた子が異常なほどショックを受けている事を知ります。できてないんだからしょうがないじゃん、という正論は子どもの心には通用しません。それどころじゃなく落胆しています😢

 

それ以来、できていない項目を補習するスタイルにしました。「落ちた」や「ダメだった」というワードは使わないようにしました。その言葉は子どもの「自己信頼感」を低くしてしまうからです。自分はできないやつだ、自分はダメなやつだ、そんな思い込みはこういうきっかけで生まれます。

 

 

親・先生・上司など、人を教育する立場の人間はこの事を正しく理解するべきです。子どもの頃に必要なものは「自分は受け入れられた」と感じる体験です。これは何級に昇級したという評価よりずっと大切なものです。できなくても頑張れば可能性は開ける!そう思える自己信頼感とマインドを育てる方が子どもには必要ではないでしょうか?

 

 

じゃあ試験なんて言わなきゃいいじゃん、と思う人もいるでしょう。しかしそれはそれで別の問題も生じます。いつまでに〜を、これぐらいできるようにする。という課題を不明確にしてしまうからです。ある程度の緊迫感が無いと、真剣に取り組まないのは人間の性です。

 

特に子どもの場合は自分で「どうしても二宮館長のサバキがやりたくてこの道場選びました」って人は居ないですから笑。導く側がそこをしっかりサポートする必要がある訳です。

 

 

まとめると、私は審査会を「教育の機会」と捉え、それぞれの課題を発見するものと考えております。機械的に合否を決める「試験」とは考えておりませんし、それにメリットがあるとも思えません。

 

親御さんもどうか可愛い我が子には温かい言葉がけをお願いします。くれぐれも「落ちた」だの「ダメだった」などの無慈悲な言葉がけはしないであげて下さい。その呪いの言葉はその後何十年もその子の心を苦しめ続けます。

 

緊迫感を保つ為に審査や試験という名前は使う。でも合否ではなく成長の機会にしている。という意味で「審査会は試験であって試験ではない」というタイトルにしました。

 

 

今後の参考にしていただければ幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました!