一方、1950年頃からミュゼット自体にも次々とスターとして、アコーディオン奏者が活躍しています。

《スタイル・ミュゼット》の作曲者アンドレ・ヴェルシュラン。

400曲以上も作曲したエマーブル・プリュシャール

女流アコーディオニストのイヴェット・オルネ

ミュゼットの真髄を保ちながらジャズと融合させた巨匠マルセル・アゾラなど。

この頃のアコーディオン・プレイヤーには枚挙にいといません。

 

バスチーユにあるバル「バラジョー」で演奏するジョ・プリヴァ*1)

 

彼らはバルから飛び出し、当時普及してきたテレビやラジオ、そしてSP盤に代わるLPレコードといったメディアの発達によって、活躍の場を広げてゆきます。

日本人がアコーディオンを聞いて、いかにも「フランスっぽい~!」な音色は、ほぼこの時代までで確立されます。
しかしながら、1960年代にはフランスにもイギリスからのロックの波。

そしてアメリカ文化に押し寄せられ、ミュゼットの興隆に陰りが生じてきます。

ダニエル・コランは「この時代にはアコーディオニストいなくなった。私しか弾いていなかった。」と後年語ります*2)。

もちろんそんな事はないのでしょうが。

聴衆の年齢層も徐々に上がっていき、アコーディオンの音を古くさいと思う若い世代のミュゼット離れが起きてきます。
そんななか、アコーディオニスト達はロックやジャズなど、次の新しい試みへと模索し始めます。

次にミュゼットが注目を集め始めるには、1980年代を待たなければなりません。
世界的にもアコースティック・ギターなど楽器本来のサウンドや、民族音楽などへ関心が向けられるようになる時期でもあります。

当時若手のリシャール・ガリアーノ

1970年代はロックの可能性を追及し、電子音での試みを見せていましたが、1983年渡仏していたアストル・ピアソラに出会い「その音楽に触れたとたん,私は楽器のプラグを抜いた」と語っています*3)。


また、かつて表舞台で活躍していたダニエル・コランやジョエ・ロッシ、ジョ・プリヴァ,マルセル・アゾラ等々が次々とアルバムをリリースしていきます。

21世紀に入ってからは、その賑わいも落ち着きますが、ミュゼットも一ジャンルとして確立し、フランスではガリアーノを筆頭に次の展開を見せています。

ミュゼットやマヌーシュを経てジャズの世界で活躍する、優れたヴィルトゥオーゾのリュドヴィク・ベィエ(Ludvic Beier)。フレデリック・デシャンの1番弟子ジェローム・リシャール

ファドやジャズの影響が混じり合いドラマやドキュメンタリー番組、映画の音楽数多く手がけるマルク・ベルトゥミユ(Marc Berthoumieux)など、表舞台で活躍しています。

またさらに若い世代でも、日本にも度々来日しているル・バルーシュ・ドゥ・ラ・ソグルニュ(Le Balluche de la SAUGRENUE)はミュゼットを土台にジャズ・レゲエ・ダブなど様々なジャンルの要素を取り込み、アングラな雰囲気を持ちながらも独特のサウンドを聞かせてくれます。


その他、ジョゼフ・コロンボやギュス・ヴィズ-ル。

ウィリー・スタケット(Willy Staquet)ら往年のナンバーをさらに洗練させたミュゼットスウィングを聞かせてくれるバンド"Toupie Jazz Musette"。

ナント出身でフランスやベルギーと各地で演奏するミュゼット・トリオ"Swing of France"など。

これからの展開が期待されます。

 

Le Balluche de la SAUGRENUE

 

*1)Krumm,Philippe "L'accordéon - quelle histoire ! "I(ed.Mathilde Kressmann,France,2012) 112p.
*2)ビデオ『パリ・ミュゼット2-新しい息吹-』(GPS GX-8)
*3)Galliano,Richard "Interviews réalisés par Frank Cassenti" dans DVD'Piazzolla forever en Concert' (Sony BMG music entertainment France [distrib.], [DL 2006])

参考文献
・Billard,Francois Roussin,Didier "Histoire de l'accordéon"(ed.Climats,Framce,1991)
・Faugeras, Laurent "Accordéons : De la Java au Jazz"(ed.Du May,France,2008)
・渡辺 芳也『パリ・ミュゼット物語』(春秋社,1994)

ミュゼット初期にもう一つ欠かせない形式に「ジャヴァ(Java)」があります。


シャンソンでは《青色のジャヴァ》にはじまり。

ピアフ《アコーディオン弾き》に歌われ。

ボリス・ヴィアン《原子爆弾のジャヴァ》。

クロード・ヌガロ《ジャズとジャヴァ》。

そしてゲンズブールの《ジャヴァネーズ》等々。

ミュゼットの代名詞的扱いを受けている形式です。

 

《青色のジャヴァ:Java Bleue》『フランスシャンソンの1世紀 1929 - 1939』

 

名前の由来ははっきり分かっていません。
諸説によると。

エミール・ヴァシェが弾いていた“バル・ドゥ・ラ・モンターニュ”の店の主が、客席を回る時にかけた言葉「サヴァ?サヴァ?」がなまっていて「シャヴァ?」→「ジャヴァ」になったとか。
その時に演奏されていた曲《ロジーナ》[Rosina]が、ジャヴァの原型のマズルカでした。

リズムとしてはどちらも3拍子で強拍が1拍目にあります。

マズルカの場合、曲頭から3連符や16分音符など細かい音の器楽的旋律で始まるのに対し。

ジャヴァでは歌謡的メロディのものが多く、それがヴァリエーションで装飾されます。


聴いている印象だとマズルカの方が古典的で、クラシックのように楽譜に書かれている音を演奏し技巧的なのに対し。

ジャヴァは、リズムをより重視しているように感じられます。
 

マズルカ:《Coup de Tete》『ミュゼット:110曲 Vol.2』

 

ジャヴァ:《Chaloupee》『ミュゼット・ヒット曲集 Vol.1』

 

そしてこれら初期のミュゼットの次に来る新しい響きが、「ジャズ」の影響です。


ミュゼットへのジャズの影響は、1930年代から顕著に見られるようになります。
それまでにもタンゴやスペインのパソ・ドブレなど。

パリの都市大衆音楽らしく、多様な要素を取り込んできたミュゼットですが。

響きの面で言うと、やはり、ジャズの影響は革新的なものでした。


もとより。

ミュゼットには3連符が頻出し、スウィングのリズムに適応しやすい基盤があったとも考えられます。


1930年-50年代には、インプロヴィゼーションの鋭い感覚と、並はずれたテクニックを持つアコーディオン奏者が、次々と活躍していきます。
その先駆者としてのギュス(グス)・ヴィズゥール。

ジョゼフ・コロンボ。

節度あるエレガントなスタイルのトニー・ミュレナなど。
彼らはバルでアメリカのスタンダード・ジャズを演奏しながら、ミュゼットにジャズ特有のシンコペーションやモダンコードをを取り入れていきます。

そしてこの頃もうひとつ。

ミュゼットに影響を与えた人物が、ギターリストのジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt:1910-1953)です。
マヌーシュの影響も受け《モントーバンの火》・《アンディフェランス》・《パッション》・《スウィング・ワルツ》といったマイナー・スウィングが作曲されます。


《Je t'aime… (SWING 39)》:ジャンゴ・ラインハルト

 

ここで、面白いのは。

ジャズ・ナンバーには2拍子系が多いのに、ミュゼットはダンス曲として3拍子系が多いこと。

ミュゼットの中へジャズが取り込まれることによって、いわゆる「スウィング・ワルツ」や「マヌーシュ・スウィング」といった独特の曲想が発展していきます。

そしてこの頃、若手として、またマヌーシュ・スウィング奏者として、素晴らしいメロディを生み出したジョ・プリヴァがいます。

彼は1960年のこの時代に『Manouche Parti:マヌーシュ・パーティ』というレコードで、ラインハルトの《ニュアージュ》や《マイナー・スウィング》といった曲とともに詩的でエレガントな録音を残しています。
つづく


参考文献
・Billard,François Roussin,Didier "Histoire de l'accordéon"(ed.Climats,Framce,1991)
・Faugeras, Laurent "Accordéons : De la Java au Jazz"(ed.Du May,France,2008)
・Krumm,Philippe "L'accordéon - quelle histoire ! "I(ed.Mathilde Kressmann,France,2012)
・渡辺 芳也『パリ・ミュゼット物語』(春秋社,1994)
 

アコーディオンを弾いていて、最近気になる箇所がいくつかあったので。

大阪・九条にあるアコーディオンの修理・調律をしてくれるネネロロさんへ診てもらいに行ってきました。

 

 

訪ねるのは今回で2回目。

街中にひっそりと佇んであります。
中に入るといかにも工房という感じ。

アコーディオンが並んでいるのを見ると、もうそれだけで楽しくなってしまいます♪

店主は、リュクサンブール公園(このネーミングも良いですね!)で演奏活動もされているOさん。


今回気になる点というのは、3か所あり。
①左手ベースの低音が鳴り終わりに、「カラカラ」と音がする
これは、「リードが長い低音では、楽器によっては、年数が経つと振動に馴染んだリードが音が鳴り終わっても、振れているために、その振動音のみが残る」ということらしいです。
調整をして、ある程度抑えらるかもしれないけど、そんなに大きくは変わらないとのこと。
それより、蛇腹のコントロールで止めたほうが良いということで。

どうやら私の腕の問題のようですね。

まだまだ精進がたりません(+o+)。

 

②右手高音域を弾いていると、時々かすれた音がでてしまって、音にムラが出てくる
これは、内部を空けてもらうと、リードブロック(リードがズラーッと並んでいる部品)を本体に止めている部品がネジの緩みで外れていたのが原因。
そのため、微妙に空気が漏れていました。
音ムラの原因は、「ハンドメイドリードのためどうしても個体差があるので、それを調整するにはちょっと時間がかかる」とのことでした。


③右手中音部の良く使うボタンのひとつだけ、タッチの感触が他と異なり気になっていた
これは、「ボタンからバルブまでのレバーのどこかが、何かに当たっているかもしれないの、外して見ないと分からない」ということでした。
左手側の症状と右手側のボタンの調整を診てもらうため、楽器はいったん入院することに。

そんなこんなで2時間ほど。
色んなお話を伺うことができ、またうちのお店のことも話したり。

超可愛い看板猫、社長の接待を受けたり(笑)してました。

最近ネネロロさんは、「ペパニカ」という「紙で作る手のひらサイズのアコーディオン」のワークショップを、いろんな場所で開かれているようです。

 

この楽器は少しでもアコーディオンを知ってもらいたいと、その入り口として、気軽に作って楽しんでもらいたいと想いから発明されたそうです。

 

同じ関西に住むアコーディオン仲間として、何かできたらいいね~と、お店を後にしました。

My楽器を受け取りに行くのは2週間後。
その間は、もう1台のピエルマリアに,久しぶりにいっぱい空気を送り込んであげようと思います♪

 

  sold out merci !

 

彼の音楽については、多数の著書も出ていますし、店主よりも詳しい方がたっくさんいると思うので。

ここでは、ミュゼットへの彼の影響を綴ってこうと思います。

ジャンゴの初期の時代は、バンジョーを弾いていましたが。

バンジョーはその頃、よくアコーディオンの伴奏をしていたようです。
1926年。

バル「ラ・ショーミエール」のアコーディオニスト、フレード・ガルドーニが、ジャンゴを自分のバンドに加わらせ、彼はミュゼットの伴奏の中で独自のテクニックを編み出していきます。

そしてこの年には、初めてのレコーディングにも参加します。

アコーディオニストのジャン・ヴェサードの伴奏を担当し、その中でトリプレットや跳躍コードを披露しながら、アコーディオンのメロディに対して、忠実にリズムを刻んでるのが聴き取れます。

この時代のなかで、ジャンゴは、彼独自の「ポンプ奏法」も編み出します。

ミュゼットのワルツにおいては、1拍目と3拍目に特徴がありますが。

彼の奏法では全ての拍を力強く弾き、その上でメロディが自由に歌います。

それからも、ジャンゴは、当時パリのバルで活躍していたアコーディオニスト、エミール・ヴァシェ・ゲリーノ・ペギュリ3兄弟などのバンドで伴奏を務め、ミュゼットの3連符やトリルなどの奏法をギターで再現する方法を模索していきます。

そしてジャンゴ自身、現在でもミュゼットのレパートリーとなっている『サント・ジュヌヴィエーヴの山:Montagne Sainte-genevieve』や『シェ・ジャケ:Chez Jaquet』といったナンバーを作曲します。

これらの時代のジャンゴは、同時に、ジャズにも傾倒していて。

1930年以降、次第にミュゼットから離れていきます。
彼は新たにジプシーの音楽表現を加え、さらにジャズの技法も持ち込み、アコーディオンの伴奏者を務めながら、ミュゼットの新たな進歩のきっかけを生み出したと言えるでしょう。
ジャズは、何も彼だけではなく、ギュス・ヴィズールやトニーミュレナなど、初期のジャズ・アコーディオニストにも見られ、20世紀初頭フランス音楽(大衆音楽だけでなく芸術音楽も)に影響を与えます。

 

ジャンゴの存在は、この時代のミュゼットの歴史において、おおいに特筆すべきアーティストの一人といえるのではないでしょうか。

 

 

昨夜行ってきました!
フランスのアコーディオニスト、リシャール・ガリアーノのライブです。

 

『リシャール・ガリアーノ7重奏団』:ビルボード大阪

 

あっという間の90分。
一夜明けても、興奮冷めやらぬ状態なので、その間に書きとめておこうと思います。

前回のライブは東京まで出向いたのですが、今年は大阪でのライブ。

第2部を予約していたんですが。

ビルボードへの道すがら、第1部を聞いて帰るアコーディオン仲間と度々すれ違い。

皆さん、矢継ぎ早に、ライブの感動を伝えてくれるので、アンコールの曲目まで知ることになります。

そして、嬉しそうに、ガリアーノさんと撮った写真を見せつけてくれます。

いいないいな~、気分が高まります。

今回は、1月に国内盤最新アルバム『ヴィヴァルディ:四季』のリリースにあわせての来日。
プログラムも当然ヴィヴァルディの《四季》と、そしてピアソラの《ブエノスアイレスの四季》を織り交ぜた、面白い構成となっています。

ヴィヴァルディの《四季》。

言わずと知れた、クラシックの名曲ですが。

今回の演奏。アンサンブル力の繊細さと力強さの振り幅の大きさに、圧倒されます。

例えば、ギドン・クレーメルのヴィヴァルディ&ピアソラの《四季》にも似た、現代的解釈に基づいた気迫のある演奏でした。


それにしても、ガリアーノさんの音色は素晴らしい。

弦楽器のように、アンサンブルと同調したり。

管楽器のように、弦楽とコントラストを為したり。

実に様々な響き。

息を飲んで、聞き入りました。

 

ピアソラの曲に関しても、完全に自らのものに昇華されていて。

表現することの喜びにあふれた音楽が、聴き手の身体と感情にダイナミックに、かつ気持ち良く入り込んでくるものでした。

そのほかにも、ニノ・ロータの曲やガリアーノさんの《マルゴーのワルツ》。

《クロードの為のタンゴ》《シャ・ピトル》といった、お馴染みのナンバーを聴かせてくれました。

個人的には《マルゴーのワルツ》で、思わず、胸を揺さぶられ、涙するほど感動してしまいました。

アンコールではピアソラの《Oblivion》と再度《ブエノスアイレス》を演奏。
目を皿のようにして見て。

聴いた時間は本当にあっという間で。

このままずっとここで聴いていたいなぁ…という名残り惜しさをもって終わりました。

 

そして最後に。
後半の部を聴いていたアコーディオン仲間と、ガリアーノさんを待ち。

キャーキャー!言いながら順番待ち。

フランス語で、ライブの感想を伝え、少しお話できました。

 

そして。

念願のサインをいただき。

握手もしていただきました。

やわらかい、大きな手でした。

これで、アコーディオンも上手になるかな。

 

 

あと、持参した楽譜にもサインを書いてもらったんですが。

まさかの、水性ペン!!!

 

手に抱えて消えないように、家に何とか持ち帰りました!

あとでカバー装備して、保存版にしようと思います♪

 

度々ご依頼頂いてるトイピアノの修理。

続いて、ジェイマー社(Jaymar)の戦後に作られたトイピアノ。

 

 

珍しい白い塗装のキュートな卓上トイピアノです。

残念ながら天板が割れて外れてしまい。

鍵盤下の板が割れて、鍵盤自体が下がって弾きにくくなっています。

戦後のものになると、膠(にかわ)ではなく普通の接着剤が使われているので。

本体を割らないように部品を外すだけでもかなり時間がかかります。

お子さんが弾くので丈夫にしてください、とのご依頼を頂いていたので。

底板は2枚張り合わせにして、釘で止めている部分もねじ止めに変更して強度を持たせています。

 

 

外観は出来るだけオリジナルの風合いを損なわないようにしたいので。

天板は既存のものを使い、割れた部分を補完して閉じるようにしました。

現役で実奏できるトイピアノなので、どんどん弾き倒してもらえると嬉しいです♪

皆さんのお家にも飾っているだけで音の出ないアンティークのトイピアノがありましたらぜひご相談くださいませ。

度々ご依頼頂いてるトイピアノの修理。

 

おそらく1900年前後に作られた、弦のトイピアノ。
こちらのお客様は度々当店でお買い物をしてくださっていて。

『東京蚤の市』にもご来店いただきました。

 

外観は古び味わいがとても良く、可愛くもあり、ディスプレイするととても雰囲気があるんですが。

内部は積年の埃や弦のサビ。

アクションの部品も無くなっています。

 

 

アクション全ての部品を外して。

ほぼ全て新しく作り直し。

弦を張り替え。

鍵盤をアンティーク塗装で塗り直しました。

 

お客様のご感想。
『こんばんは。
本日トイピアノが届きました。
このトイピアノが出来た当時の音が蘇り、何十年も前にこんな音色で誰かに弾かれていたんだと思いつつ弾いてみました。

東京方面にご出店の際には、新発見を楽しみにまた是非出向きたいです。
この度はたくさんお世話になりありがとうございました。
またお会いできることを楽しみにしております。』

 

トイピアノを修理していて何より嬉しいのは、見た目がとても可愛いのに、弾かれなくなって放置されている「もの」を蘇らせることが出来ること。
そして、その嬉しさをご依頼者の方と一緒に共有できるところにあります。

 

皆さんのお家にも飾っているだけで音の出ないアンティークのトイピアノがありましたら、ぜひご相談くださいませ♪

 

大衆音楽として20世紀初頭パリで交流した「ミュゼット」。
現在では、ひらたく言うとアコーディオンを伴った(または伴わない)演奏形態の音楽として知られています。

「ミュゼット」=「パリ・カフェの音楽」は大衆のなかに生まれ、パリっ子の下町の生活から生まれた独得の伝統音楽と言えるでしょう。

将来的には楽譜や録音を交えて分析などしていきたいんですが。

この音楽についてまとめるために、初めは覚書程度に大まかにミュゼットの歴史を俯瞰してみようと思います。

 

1930年頃のバル・ミュゼット *1)

 

ミュゼットについてお話するのに、この成立に欠かせないのが、パリに出稼ぎにやって来た2つの地域の人たち。
それは「イタリア人」と「オーベルニュ人」。


時代は1800年代後半。

イタリアの人たちはパリにアコーディオンをもたらしました。
そして同時代、オーベルニュ人たちは、故郷で演奏されているキャブレット(別名ミュゼット)というバグパイプを手に持ち、パリへとやってきます。

パリではそれぞれ同郷のコミュニティのなかで、故郷を偲ばせる音楽にあわせダンスを踊っていました。
オーベルニュ人たちは週末になると、日ごろの気晴らしにとバスティーユ近くのラップ通りなどのカフェやバルに集まり、ミュゼット・バグパイプ、ヴァイオリンヴィエイユ等の演奏に合わせ踊っていました。

このバルでの集まりは「ル・バル・ア・ラ・ミュゼット」(Le bal a la musette)と呼ばれ。

それが「ル・バル・ミュゼット」と略され、そこで演奏する音楽を「ル・ミュゼット」と呼ぶようになります。
したがって、初めはキャブレットを含むバンドでの音楽が、「ミュゼット」とよばれていました。
この20世紀前後にかけて演奏されていたのは、オーヴェルニュのブーレやポルカ(La Perigourdine)、ワルツなどでした。

一方、イタリア人はアコーディオンを演奏し、そのキャブレットのレパートリーや奏法(ピコタージュなど)を取り込んでいきます。

アントナン・ブスカテル(1867-1945) *2)

 

その中で歴史に名を残すことになるバルとして名前があがるのが、バル「シェ・ブスカル(Chez Bouscatel)」。
キャブレット弾きのブスカテルの娘と、アコーディオン製造者のペギュリ一族のシャルル・ペギュリとの結婚を象徴的出来事として、以来アコーディオンとミュゼットが繋がり合うこととなります。

1900年前半から30年代にミュゼットの成立に欠かせない代表的なアコーディオニストとして。
前述したペギュリ兄弟(フェリックス・シャルル)、そしてエミール・ヴァシェ[Emile Vacher]がいます。


今でもアコーディオニストのオールド・レパートリーとして演奏されるのはルイ・ペギュリ《秋風:Ven d'automne》。

ミシェル・ペギュリ《ミュゼットの女王:Reine de Musette》。

そしてエミールヴァシェ《3連符:Les Triolets》《真実のミュゼット:La Vrai Valse musette》など。

 

 sold out merci !

エミール・ヴァシェ((1883-1969)《Les Triolets》

 

ミュゼットを調べ始めて有り難いと思うことは。

当時の楽譜が現存していて。

さらに演奏録音が現在でもCDで復刻していて聞くことができるところにあります。

ワルツ・ミュゼトの基本的な形式としては。第1モチーフ、そして変奏が続き,、番目にトリオという構成が挙げられます。

初期のミュゼットのメロディを彩る装飾音、《3連符》を聞いても分かる通り。

文字通り3連符、モルデントなど同音・近接音による装飾。

アルペジォやスケールといった、比較的素朴な響きによるものです。
 

当時は、エミール・ヴァシェのように、まだダイアトニック式(押し引きで異なる音階が出る)のアコーディオン奏者が多かったため、その楽器の特性からくるものであると思われます。
つづく

 

*1)Faugeras, Laurent "Accordéons : De la Java au Jazz"(ed.Du May,France,2008)
*2)Krumm,Philippe "L'accordéon - quelle histoire ! "I(ed.Mathilde Kressmann,France,2012)

参考文献
・Billard,François Roussin,Didier "Histoire de l'accordéon"(ed.Climats,Framce,1991)
・渡辺 芳也『パリ・ミュゼット物語』(春秋社,1994)

KAVCの映画担当の方から、試写会のご招待をいただいて見てきました。

 

ギョーム・ブラック監督最新作:「やさしい人」。
関西では2/14からシネ・リーヴル梅田で。

神戸には、3月にアートビレッジセンターにやってきます。

 

この映画の原題は「トネール(Tonnerre)」。

 

お話はブルゴーニュの小さな町、「トネール」が舞台。
かつてインディーズでヒットしたミュージシャンの男が父親の住む実家に戻ってきます。
そこで繰り広げられる家族や恋といった人間模様が描かれてたおかしくも「やさしい」映画。

公開前なので、映画についてのコメントは差し控えますね♪

その舞台となったトネールという町。
昨年買い付け行った時にたまたま訪れていたのでした。
後で気づいたんですが、訪れてた時、映画館で公開されてたんですねー!

 

場所は、ブルゴーニュワインで有名なシャブリから、車で15分ほどの所。
パリからは2時間ほど電車に揺られると、到着します。

 

有名な観光地でもなく。

日本人もあまり来ない町になぜ訪れたかというと。
時々パリでお世話になっているGさんご家族が、この町でレストランをされているからなのです。
ずっと前から訪ねようと思いながら実現しなかったのですが。

昨年やっと遊びに行くことができ。

そして今回、映画でまた、目にすることができました。

 

古い建物が残る町並みは、異国ながらもホッとするような懐かしい雰囲気です。

 

主人公とヒロイン役のメロディが待ち合わせをした円形上の泉「フォス・ディオンヌ」は、昔の洗濯場跡でエメラルドグリーンのとてもきれいな水が湧き出している名所です。

 

 

この町は、日本で漫画になっているらしい、中世の騎士『シュヴァリエ・デオン』の生まれた場所だそう。

生家が今も残っています。

Gさんご家族の娘さん、マリオンちゃんに教えてもらいました。

 

ご家族はここでガレットのレストラン"Les Vieux Volets"[古鎧戸]をされてます。

 

可愛い店内とご家族の温かいお人柄と。

当然美味しい!ガレットとワイン&シードル。

 

 

ちょっと足をのばして、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

トリュフォーの映画を観た後は。

大阪まで足を伸ばして。

大学時代の後輩で、リコーダー奏者の織田優子ちゃんがワークショップをするということで。

授業で使ったリコーダー片手に、賑やかしの応援に駆けつけました♪

織田ちゃんは、学生時代から古楽・クラシックとリコーダーが専門分野。

現在は関西を中心に、益々実力を発揮している演奏家さんです。

今回は,スウェーデン・カフェのフォーゲル・ブローさんを会場にしてのワークショップ。

スウェーデンの香草の効いた美味しい軽食をいただきながら。

ヨーラン・モンソンさんが行っているワークショップの様子をビデオで見たり。

 

参加者全員で、スウェーデンの伝統音楽を合奏しました。

リコーダーの柔らかい音色に包まれながら、楽しくゆる~い雰囲気を満喫してきました。

今後も継続的にワークショップが開かれるようです。

皆さんもぜひリコーダー(学校で使ってたやつでOK!)を持って、気軽に遊びに行ってみてくださいね♪