先日老健にいる、おばちぁんに会いに行った

今までコロナの影響で
いつでも会いに行けるわけではなく
月に1回30分のガラス越しの面会だった

だけど、老衰が始まっているから、大部屋から
個室に移りこれからはいつでも会いに行けると
両親から連絡があった

おばあちゃんの年齢は95歳だ

おばあちゃんはよく喋ってよく笑う人だった
コロナ感染もしたが、復活する位気の強い人だった

だけどもう、現実と夢の境界線が曖昧で
よく喋るおばあちゃんはもう居ないんだと
過去を思い出す

丁度2年前におじいちゃんが他界した

97歳だった

おじいちゃんは身体が弱く(若い時らしい…)て
口数は少ないが新しいものが好きで、とても
マイペースな人だった

昔ながらの日本男児ってのいうのが
あまりない人だったな

そんな2人は互いが90歳を過ぎても
2人だけで暮らしていた。ほんの数年前まで

一人娘の母はよく心配で、様子を見に行っていた

気の強いおばあちゃんは
「私が身体の弱い爺さんの面倒をずっとみてきた!」
とおじいちゃんの面倒をみることに生き甲斐を
感じている様なところがあった

だけど、おじいちゃんも段々と足腰が弱くなり
2階の自分の部屋に行けない、1人で排泄が困難
などで老健に入ることになった

もう家に戻ってくる事はないのに、おばあちゃんは
「いつか戻ってくるかもしれない」
と言って、おじいちゃんの物の整理や片付けを
させてくれなかった

おばあちゃんはその後も暫く1人で暮らしていた

生き甲斐をなくしてしまったおばあちゃんは
気力は徐々に落ち、矛先はおじいちゃんから
娘へと変わり暫し母は大変そうだった

でも、おばあちゃんは自分の性格を分かっている
からなのか、いつまで経っても娘夫婦と暮らす
選択をしてこなかったのだと思う
(それもそれで1人はやはり危ないのだが)

そこを考えると、おじいちゃんは自律をした人
だったのかなと思う

老健へ入った後も、頭はしっかりしていたことや
自由人なのでそれなりに暮らしていた

段差がなければ、歩くことも出来たから
会いに行くとよく玄関まで見送ってくれた
(日中の早い時間なのに、危ないから早く帰れ!
とよく心配されていた笑)

そんな風に今思うと、凸凹な夫婦だったなと

パズルのピースの様にお互い足りないものを補い合う

それは夫婦でなくても、自分と関わってくれる
ヒトは、何かしら補ってくれるまたは自分も
補っているのかもしれない

おじいちゃんとおばあちゃんの思い出は沢山ある

可愛がってもらったこともそうだが
怒られたことも喧嘩したことも

おじいちゃんが居た老健に
現在おばあちゃんは入居しているのだが
会いに行ける時に行っておきたいと思う

老健の隣にある農家で売っていた野菜達

スーパーの野菜よりも元気な気がする

こういう所で購入する時、以前よりも
貼られている案内や説明書きをよく読むように
なったなぁ