介護と子育ての社会化は必須
せんまい部屋で、わけわからんことを言われ続けたり、誰かの世話をずっとやってるとおかしくなって当然だ。
それを「家族なら当然だ。」とか、「愛情」とかものすごく薄い言葉で片付けて、苦しんでいるその介護&子育て中の人に言うことは、言う人間の自己満足、あるいは優越感を満たすだけの行為でしかない。
そんなことにも気がつかない人は今すぐ、その立場を代わってあげたら良い。
言い訳せずに。
というわけで、介護も子育ても楽しいことは山のようにあるということにも気付けなくなるほどにストレスがたまってしまうのは、誰にだって大いにあり得ることであり罪悪感なんて持たなくていい。
あらゆるところでやる方もやられる方も苦しい悲しい虐待を見聞きするたびに心が張り裂けそうになる。
たとえば、子供。
小学生くらいからは、毎年「来年もこの家族と暮らしますか?」と聞いて子供自身に考えさせる機会を持ってもいいんじゃないかな。
「来年は子供の家で暮らしてみたいです。」と答えたら施設に。
たとえばうちの子供がそう言ったとしても、それは仕方ないと思う。
子供が決めたことだから。子供と一緒に居たいけど、子供がそう決断したらその決断を尊重するべきって思うでしょ?私の所有物じゃないんだし。決断を尊重しながら人生をサポートするのが親。
被虐待児はかえって親に執着するっていうけど、決断の機会はいつだって提示するべきだ。いつか決断することを待つしかないが。
介護。
介護は、公費でもっとどちらかが希望したら泊まりや24時間訪問が利用できたらいい。
施設を沢山作ることで介護離職を減らす方向だけど、施設ねえ・・・
まあ、無駄とも思わないけど、施設に入るとなるとかなりの認知症か障害だから、そこまでいかない実は一番難しい ”まだ家で暮らせるけど目が離せない” くらいの人を抱えている働きざかりの世代がつらいんだよね。
虐待も起こりやすい、お互い譲らないで喧嘩になるし。
見たくない自分の嫌な面も突きつけられる。
どちらにしてもお金かかるけど、どこかの学校なんかに流れるお金や、上手に堂々ともらっている国家公務員や税金のちょろまかしなんかを回せるはずだよ。
政府のお金の使いかたがまったくもって信用できない。
政府にいるのは人間だからね。
未来を担う子供たちが生き生きと暮らすためのことや、将来に希望が持てるような形をみんなであきらめずに少しずつ努力していかないと。
あきらめたら終わりだからね!
こんなちっさいとこでつぶやきつつ考えている。