えのまちちゃんのブログ


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介護職として

 いつ、どこで見たんだっけ。

介護の仕事をし始めてまだ間がない頃だから、20代前半の頃に見た記事だったのか聞いた話だったか。

細かいディテールは忘れてしまったのだけど、

 

「エレベーターのない集合住宅の、3階くらいに住んでいるお爺さんが足が悪くなり階段が使えなくなった。通院するにも一苦労。今後どうするかという話し合いの席で、役所の人が引っ越しを勧めた。でもお爺さんは春に窓から見える桜が好きで、どうしても引っ越しはしたくないと言っている。家族もお父さんの生きがいになっているからできれば引越したくないと言うも、役所の人も引越しをするべきだ と譲らない」

 

という話。聞いた時、それが生きがいというほど好きなことなら、なんとか自宅で過ごせるようしてあげたい。と思った。

先日、福祉コースの高校生と話すことがあったので、こうゆう話があったら、自分だったらどう思う?と聞いてみた。2人とも「引っ越ししないようにしてあげたい。」と答えた。

30歳くらい年が違うけど、やっぱり福祉や介護を、仕事としてやろうと思う人は、おそらくこのタイプが多いんだと思う。

 

聞いた当時、この話を憤慨して同年代の介護には全く関係のない友達に話してた時、「でも、その人、自分で登り降りできないんだよね?誰かがおんぶしなきゃいけないんだよね?それなのに桜が見たいってさ。。。わがまますぎない?」と言われて衝撃をうけた。

普通に優しい友達だったからこそ、とても驚いた。

なんとかしてあげたい。と思うのは職業病なのだろうか?

自分だったら、ベッドから見る桜を楽しみにしてても、人に迷惑をかけるなら諦めなきゃいけないのか。桜というのは象徴で、おそらくこの家が好きなのだろう。思い出がいっぱい詰まっているのかもしれない。等々、考えた。

が、よくわからないまま、自分の中でも解決しないまま、日々が流れた。

 

今は、もし同じ状況があれば、どうするか?

その人がデイに通いたいがと相談を受けたら?あくまでも自分の力や工夫で階段の昇降が出来ないと仮定して。

まずは、階段昇降のできる機械を設置できないか考える。もしくは、階段昇降できる車椅子を探すが、まだ、どちらもお金が必要。そこで、たいていの人が考えるのが、おんぶ。

お爺さんのおんぶ。60㎏以上はあるだろう。ハッピーおがわのおんぶらっく

http://www.happy-ogawa.com/?pid=30786841

で、なんとかギリギリ数回は私やスタッフでできるかもしれないが、確実に数名のスタッフの、腰や膝を痛めるだろう。

というので、家族や訪問介護などの助けも借りてやってみるかもしれない。が、どちらにしても、「誰か」が身体を壊していくわけで、続けていくことは難しいんじゃないか。

他の人がダメになっていくのを見ているうちに、お爺さんや家族さんも気づいて、この生活の維持は出来ないとわかるまでやらなければならないのだろうか。

 

今の私は、その未来が見えた時点で、それは続かない、という話は必ずする。

折り合って生活を作っていく。というか、生活を探していくというか。

こうなったから、この生活は諦める、ということは、身体だけじゃなくて大いにあることだ。

野球選手になりたくて、頑張ってきたけど、結局能力的にプロ野球選手は無理だから違う仕事をしたり。そういう風にみんな自分の身体や能力や運で、今の生活を作っている。

 

介護の仕事してて、私が学んできたことの一つに、いかに色んな事をあきらめていくか、ということがある。

それは、泣く泣くあきらめていくということではなくて、固執しているものから自分を解放していくということ。

固執していたものをやめたら、自分じゃなくなるということは、断じて、ない。

しなやかな生き方をしている人は、考え方も広くて面白い。

こんな状況になった。では、次はどうする?自分。という。

そうゆうのがいいんだなあって思うようになった。

 

それでも諦めたくないというお爺さんの頑固さに惚れて、身体壊してもええけえ、助けちゃる!という人がいてももちろん否定はしない。心から本当に良かった、と思う。突っ走ってぶち当たって泣いたって、その経験が必要な時もあるから。そこまで惚れられた人は、相手がもうダメだって泣いた時にわかってくれるだろう。

 

介護職は想いで突っ走ることが多いが、全部が全部要求を聞くことが、相手を本当に支える事じゃない。

と言いつつ、その関わりの中で、お互いが見つけた落としどころが一番ハートフルでいいとは思うが、あれ?と思った時はきちんと相手に意見しないと、苦しくて出来ないことで悲しみに暮れている人を、より一層苦しめる。次の段階を考える機会を伸ばしてしまうだけだから。

 

生活を変える時は、いつだって誰だって苦しいんだけど、それが人を救うこともたくさん実際に見たり体験してきたから、

今だったら、冒頭の、”3階くらいに住んでいるお爺さん”の相談が来たら、その家の想い出を聴きながら、ゆっくり、でも生活を変えないと無理じゃないかって言うと思うんだ。

ただ、やっぱり、そんなこと言ってしまう自分に嫌気もさす。いや、でも言う。ごめんなさい、って思いながら言う。

 

もし、私が罪悪感もなく人の生活を変える方法を勧めるようになったら、終わりだと、ここに記録しておこう。未来の自分が読んで、そうだったら仕事変えなきゃね。

 

 

 

 

 

 

 

 

親孝行、子孝行

 認知症もなかなかに深まっている実母のこと。

 
こんなに進行の早い人は珍しいよねとケアマネさん。私もこんなに次々と短期間にレベルが落ちてく人は初めてみた。
去年の今頃は、孫のご飯を手作りは出来なくなったけど、お惣菜をスーパーで買っておいてくれて、「ばーちゃん来たよー。」と、来たら食べさせてくれていた。
ネコの世話もしていた。
夏には朝ご飯用のパンなど適当に用意しておけば、自分で食べていた。
その頃よく買い物途中に転けて頭を打った。
たんびに誰かそばを通りかかった親切な方が救急車を呼んでくれて受診もした。だから、母がいつも持って出るカバンには必ず緊急連絡先をかいたものを忍ばせた。
秋くらいにはご飯置いといても食べなくなった。
ネコのエサ皿に、以前飼ってた金魚の水のカルキ抜きが入っていることもあった。(餌だと思ったらしい)
デイサービスの日数を増やした。日中の安全と(買い物途中の転倒が実は何回もあったので)、食事と水分をしっかり摂らせたくて。
以前から利用していた午後からの短時間リハビリ系デイに週2日通ってたのは、そのまま継続した。
お昼前にヘルパーさんに来てもらって、食事させて送り出しをしてもらった。
でもそのうち、ヘルパーさんからお母さんが居ませんという報告が入るようになる。母が昼前に亡くなった父のご飯の支度をしようと買い物に出るのだ。しかもあと少しで転けそうな歩き方で何とかふらふらと。
寒い季節になっても、半袖で、下は夏の家着用の半ズボンとかで凍えながら歩いていたことも度々あった。
朝から、うちの榎町デイに変えようか迷っていたが、リハビリデイにも優しいお友達さんが居たり、何よりそこの管理者さんや職員さんがいい人たちだったのでまだ繋がっていたくて続けた。
それで、しばらくは、リハビリデイの日は、午前中自費でうちのデイに来させて、昼からリハビリデイ、というのを続けていた。
・・・が、それも、もういいよね、という感じがするくらいの認知症の深さまできたので、その2日も榎町デイへ移行した。
今は毎日週6日榎町デイに来ている。
毎朝なぜ連れて来られるのかわからないみたいで、でも私を見て、目が合うと「あ。おったんね。」と少し笑ってくれる。
なぜ来てるかわからないけど、なんとなくその時間が楽しいと「なぜ?」という疑問を忘れてくれるのだろう。
 
そのうち、歩行がますます不安定になり、脳外科も大きな病院の総合診療科でも診てもらったけど、分からず。脳はきれいとのこと。
もしかして身体が動かないのは痛いから?とベッドを変えた。
前使ってたのは高さ20センチ程度の手作りベッドで、剥き出しの引き出しの上にマットを置いてたもの。
低すぎるせいで、ちゃんと横になれず、おかしな体勢で寝ていることも多く、そのせいで痛いのかもと思ったから。
劇的な効果はなし。
ただ色々と試行錯誤していく中で、やはりベッドでの寝方で身体の痛みの有無があることがわかり、夜間トイレのたびにおかしな体勢になるのを夜中直しに行くような生活だった。(妹も協力してくれてたので助かった)。
 
そして、この春。両脇からの2人で介助しないと歩けなくなった。
ご飯も介助しないと食べないことも増えた。
最近の嬉しかったことは、毎朝起こしに行くと身体の痛みを訴えていたのが、自動で定期的に体位交換をしてくれる(ベッドのマットが動くため、寝ている人の体勢を変えて床ずれを防ぐ機能)エアマットを導入してみたら、身体の痛みが左腰だけになったこと。前はあちこち痛がっていたのだからかなりの効果だった。痛みが軽くなったからか、発語も増えた。
そりゃそうだよね、夜間12時間ほど、どうゆうわけか寝返りをせず、ほとんど動かないで寝てるんだから。動けない人には効果あるね。早く気付けば良かった。
 
で、本題です。長い前説すみませんでした。
 
毎朝起こしに行くと、まだ寝とく。という母をなだめながらおむつ交換。その時に必ず一悶着。(まだ身体痛かった頃)身体痛いから足とか動かされると腹が立つらしく、蹴ってくる。もちろん暴言つき。
ただどちらも、言葉も動きも不自由だから私が痛い思いをすることはないけど、さすがにムカッとくる。
「好きでやりよるんじゃないんよ?!」
「感謝とかないわけ?!」
と私も言いました😅
言ったら後悔するし、母さんも痛いんだから心フラットでいこ。と、黙々と介助してデイサービスまで来たら吐き捨てるように暴言吐かれた時は本気で腹が立ってデイサービスに着くなり、母を見ながら満面の笑顔で出迎えてくれてた職員さんたちに、「さっき、こんなこと言ったんよ!」と愚痴った。みんな笑って親子だから仕方ないですよー、やっぱり親子って感じー、と言いながら、すでによそ行きの顔になった母の世話をしてくれていた(ハハハ・・・だよね)
最近はその痛みが無くなったせいで、おむつ交換もストレスフリーになった。おそらく母も。毎朝、前みたいに機嫌が悪くならない。
 
そしてハタと。
そーいえば、母、一度も「こんなになって迷惑かけてごめんね」とか「もう死にたい」とか言ったことがない。と気付いた。
介護の仕事でよく聞く‘言葉’であり‘考え’だ。
 
なんかの時に「ありがとう」というのは聞いたが。
 
これこれ!
母の唯一いいところ。
私が子どもの頃から、母は何を言ってもこちらの意見を聞こうとしなくて、話し合いにならなかった。
母に何を言っても仕方なかったので私もやりたいことは母には相談せず勝手にやることにしていた。トラブルはいつものこと、喧嘩しないとやりたいこと出来ない。
友達と話していると、割と皆よく親と色んなことを話していてそんな関係に憧れてもいた。
でも、もう少し成長して、親離れの時期になった時に気づいた。
1ミリの罪悪感も持たず、「これを成すために母と戦うぞ!」と思って全力で戦わせてくれた母のよーな親は、さっぱりしててラク。なんだかんだいっても、話し合いで解決ということを知らない人だから、強引vs強引で、お互いどこかでここで仕方ないか、って諦める。それは長年喧嘩してきたから生まれた関係ともいえるかもしれないが、
友達たちがちょっとしたことにも親にクチ挟まれているのを何とか誤魔化したりかわす時に罪悪感を持ってしまっていることに気づいた時、初めて母の良いところがわかった。
 
あと、何の罪悪感も持たなくて良かったのは、母がそんなに落ち込んだりもせず、自分は自分で楽しく生活していたから。姉が精神病でもっと悩んでても良い気もしないではないが、しょーがない、と言って「姉が暴れた時に負けたらいけん」と運動してたり、私と大喧嘩しても次の日はお互いケロっとしてたり、シリアスに悩む、という脳味噌の欠落があるのかもしれないが、考えても仕方ないことをくよくよ悩まない、だって、自分の力なんてしょーもないもんだし。という哲学めいた考えは母から学んだ。
 
親離れした時に、ああゆう人は子孝行だなぁ。としみじみと思った。
未練もなく親から離れさせてくれる。
 
そして今、死にたいとか言わない母のおかげで、私も気楽に介護している。
 
親孝行って何したらいいんだっけ?と時々思うけど、
おそらく毎日知っている人や、自分に優しくしてくれる気のいい人が、そばにいて楽しげに生活しているような環境を作ってあげればいいんじゃないかと。
普通の話を笑ってしてたらこれ以上のものはないと思ってる。
日曜日など、一緒に家に居ても私が飽きちゃうので、たまにドライブしたり、墓参りに連れて行ったりするが、かなり私の都合(笑)こんなんでいいんだよね。
なんでかって、
こんな何げない日々がきっととても大切なんだよって、
介護の仕事してて出会った沢山の人が教えてくれたもの。
 
だから、こんな日々がまだまだゆったりと続くといいなぁって思ってる。
デイに来てくれている人たちにも、こんな時間を共有したい。
 
それにしても。
この介護度のスピード感、どこで失速してくれるんだろ。。。
 
 
 
 
 
 
 
 

デンセンビョウと免疫力の高め方

 新型コロナウイルスの流行で、街から人が減って、連日テレビも新聞もネットもコロナコロナでピリピリした日々。

えのまちでは、自身と同居家族の体温が37度を超えたら、とりあえず様子見で1週間休む。ということにして、2名休み。

もし、この職員が罹患していたら・・・

クラスター発生でえのまちの爺婆何人の人生を狂わせるかわからない・・・

あと、「またも!介護施設でクラスター発生!」などと騒がれ、同じ広島でクラスター発生してしまった施設みたいにひどいバッシング(余談だが、コロナウイルス罹患でバッシングするのは心底許せなかった。罹患した人が犯罪者かなんかだと思ってるのか。実は自分が罹患してて、無症状なだけかもしれないという考えが一ミリもないのだろうか。。。)そんな悪意を受けたりするのだろうか・・・

と不安や怒りがつのる中・・・

 

笑い声、楽しそうなおしゃべり、歌声、パソコンで仕事していると後ろから聞こえる、いつもとかわらない空間。

たまに、「そうなんよ! (テレビをみて毎回驚いている方々に) 今ね、伝染病、そうデ・ン・セ・ン・ビョ・ウがね、はやってるの、だからまた手を洗おうね、うがいしようね。」というような会話が混じってるのが違うくらい。

(ちなみに伝染病といえば伝わるはず!と言葉を見つけてきたのは、えのまちの”元気娘(婆?)”チイ。です。なるほど名案と思いました。)

 

3月中旬だったか、新聞社から調査の電話があり、コロナウイルスのせいでどのくらいの利用者が休まれていますか?と聞かれた。

その頃は、まだ1人も居なくて、その旨伝えると驚かれた。介護度の軽い方たちが多く在籍するデイではもう運営できないまでになっていると。

逆に驚いて、うちのデイのご利用者さんが、デイを休むと対応が大変で仕事できなくなるご家族が多いからじゃないかと話した。

でも、いよいよ緊急事態宣言が出て、多くの人が仕事も在宅勤務になると、ぽつぽつと休みが出て、あと、サ高住から通ってきてくれていた方がたが、その施設外からは出られなくなって、えのまちデイは休み。など、毎日組が何人か休まれた。

 

そして無限ループじゃないけど、そんなこんなでピリピリして仕事しに来ると、コロナウイルスなんて全く忘れ去ったのかどこ吹く風の爺婆が天国のような空間を作り出していてさ。

いいなあ。って思った。

 

やっぱり認知症の人たちってバカにできんよ。コロナウイルスって言葉や理解はできんかもしれんけど、

こうやって笑って、しっかり免疫力上げてるんだもんね。本能で理解できているのかも。

そんなこんな毎日を送っています。

 

緊急事態宣言は解除されたけど、私達職員がウイルスの媒介にならないよう皆で気を引き締めて、この1年ちょい(であってほしい)を

なんとかしのぎたい。

 

 

 

 

 

ショートアニメ「ペコロスの母に会いに行くVer 1」 ep10

 説明を書こうと思ったんだけど、全部全部ジンときて言葉にできません・・・
岡野雄一さんの「ペコロスの母に会いに行く」のアニメが公開されていて、岡野さんがシェアを許可してくださいました。
子どもに先立たれること以上の悲しさってあるのかな・・
お母さん、また会えてよかったな・・

ありがたいなあ

 新型コロナウイルス感染症で不安しかない世の中になるなんて、去年は夢にも思いませんでしたね。

それでも日々は流れており、デイで感染が始まったらどうしたらいいものか試行錯誤しています。

 

先日広島市からマスクや手指消毒エタノールの不足はないか尋ねるメールが来ており、マスクは数年前に職員が誤発注してくれてたおかげで在庫がまだあったので良かったのですが、エタノールは足りなくなりそうだったので不足の欄にマルをつけておいたところ、来ました。

 

布製マスクも、厚生労働省から30枚と、さらに追加のガーゼマスクが5枚、ネットでは「足りんわっ」という苦情が沢山のってたけど、榎町では正直な気持ち、感謝です。普段は政府や役所に怒ることが多いんだけど。

 

とはいえ、色々と物品が購入できなくなっているし、いったいどうなるんだろう。

 

そうゆう問題と、

感染が拡がる問題。

 

何が怖いって、自分が人にうつしてしまうこと。

どうかどうか。

みんなが元気でいられますように・・・

 

こんな不安の中、ふらりと女性が訪問された。

はて?と対応したら、なんと!

以前利用されてて、亡くなられたけどまだ毎年家でできた柿を息子さんが持って来てくださる方の次男さんのお嫁さん。

布マスクを作ったからと差し入れてくださった。

 

こんな優しさに触れることができた。

 

SNSでも、自分ができることをさりげなくされている方もいる。

こんな状況だからこそ、

こんな暖かい輪が拡がるといいよね。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

認知症薬と介護前線に置かれている人の知識と虐待の関係

 介護施設でのトラブルについて書いてある記事に

こんなのが出てた。

https://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/top/column/troubleshooting/trouble034.html


最後の方に

「厚生労働省は、2015年2月の通知で施設職員による虐待の原因として、認知症利用者に対応する職員の知識不足をあげていますが、」

とある。

以前広島のグループホームで起こった虐待事件の裁判でも、事件が起きた原因として、介護職員の知識不足を指摘していた。

知識?

では東大などを出た優秀な人に勉強させて介護の仕事させたら虐待は起こらない?

こういう状況

(①下痢してると感情がコントロールできない、②同じ行動を何回も繰り返されるのを対応している時に最もストレスを感じる)

だと虐待が起こりやすいという知識があって、「私、今日は危ないから夜勤入りません。」ということを堂々と言えればいいのか。

急な勤務変更がどれほど職場を混乱させるかを知っててもそれを言える人なんているのか。

私は勉強のできる優秀な人は介護の仕事は向いてないと思っている。なぜなら思い通りにならない時に、すぐに解決策として何が起こっているのかを考えた時に、大概の人が相手のせいにして怒ると思うから。

勉強という、自分の努力次第で思い通りにできて、その努力を社会的に認められた人の多くは、介護の仕事させたらあまりにも思い通りにいかなくて多大なストレスにさらされる。対人援助の基本的な壁だ。その壁を越えられるのは、理屈ではなく、受け止めるという柔軟な心だ。

何かでストレスを抱えてしまい、逃げ場を失った場合、自分より弱いものへの虐待に走る。それは、知識という単純な問題ではない。

 

知識じゃない。

逃げ場を持てるかどうかだ。

受け止めることができるか、あるいは、逃げ場を持つ柔軟さがあるかどうか。

柔軟さが職場にあるか、自分の中にあるか。

 

この記事を読んだ時に、私ならどうしたかなあ。と考えた。

お腹の調子が悪くて、イライラしている時に何かわからないことで怒って私に向かってくる人がいて5分くらいなだめていたらコールが鳴って、行かなきゃいけないのに、怒ってる人が腕をつかんでくる状況。。。しんど。しんどすぎ。

5分なだめていたところでもう充分褒めて欲しい状況じゃわ。

たぶんどちらかを無視するしかない状況。

 

この記事は最後に

「抗精神病薬が、逆にBPSDを悪化させることが明らかになってきました。厚生労働省の研究事業によって2回も作成されている「かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドライン」にはその弊害が指摘され、医師は処方に慎重であるべきとされています。厚生労働省は、2015年2月の通知で施設職員による虐待の原因として、認知症利用者に対応する職員の知識不足をあげていますが、BPSD悪化の原因となる処方薬を放置しているのは本末転倒ではないでしょうか?」

と意見してて、薬の弊害を放置するな、と言われている。全く賛成だが、全国の認知症の方がたが薬のせいでおかしくなっている例はまだ思いっきり見聞きしており、それでも薬がなければもっとおかしくなっているのだと思われて、あるいは脅されて、そのままにされている。

 

今日来たメールで、日総研の介護セミナーでも、認知症重度の方へのアリセプトの増量がBPSDを悪化させたことについて記述してあった。

おお!うれしい。世の中がやっと、ここまでなんとか来てくれた。

アリセプトの増量でおかしくなった人なんて山ほど見てきた。

あちこちであれは良くないって言ってきた。介護前線の人たちは肌で感じていた。

沢山の事例、つまり沢山の人の犠牲があって、やっとこさアリセプトの害が世間で事実として言われるようになった。

他の認知症薬も害になることがあることを、使う方が自衛しないと、自分たちが犠牲者の一人となることを知って欲しい。

 

そんなこんなを考えながら、新型コロナウイルスに私がかかってしまうとデイのお年寄りにうつしてしまうから(今のところ80歳代で罹患した方の死亡率が高い)などと、色々と心配している中、デイサービスでは、歌を歌ってあれこれ喋って笑っている。おしっこが漏れた人もトイレの中で何か話してスタッフと笑っている。

 

ああ。なんて幸せな空間なんだろう。

ふと、上記の記事を読んでプリプリ怒っている私がバカみたいに思える。

 

生活ってさ、行ったり来たり。

こんなだよね。

 

 

 

 

ショートステイ体験無事終わりました。

 母、ショートステイにチャレンジ!

いえ、言い方大きく間違えてる。。。

母がショートステイにチャレンジさせられたお話の続きです。

 

面倒みる子どもたちも(私達のこと)、ヘルパーさんも来れないから泊まってね、と話してみましたが、もちろんというか そもそも介護してもらっているという自覚は全くないので、「は?」という反応でした。

まず始めのショートステイ先は病院系列。

年末年始で、施設の都合もあり、1週間という長きにわたるチャレンジでしたので、

 

私 「入院しないといけないから。」

母 「何も悪うないよ。」

私 「時々身体が痛くて起きれないでしょう、それを調べるんだって。」

などと言って、全く納得していない中、行きました。

ショートステイ先のベッド周りに荷物などを置いて、じゃあね、いついつに来るからね。と別れて2時間後。

施設より電話。

「警察呼ぶって言われてますが・・・どうしますか?」

謝り倒した。というか・・・帰宅されても面倒見る人がいなくて、どうしようもなく、困るので、どうかお願いしますとお願いするしかない。

その日一日、どうなったか不安だったが、結局それきり連絡もなかった。

一週間のうち、妹が仕事終わりに何回か会いに行ってくれて何とか過ごせた。「来てみたら、なんかボーっとしてる。」「何話しているのか意味がわからない。」等々妹から聞きながら、どうにもしようもないので、「母、頑張れ。」と思うしかない。

 

ついに最後の日になり、私も帰宅したので、迎えに行くと言葉には出さないがとても嬉しそうにしていた。

施設では食欲がなく、ご飯を食べないのでおかゆにしたら少し飲んでいたとのこと。

母と実家に戻り、お茶を飲んでから、疲れたという母を寝させて、又来るわと、私も用事をしにデイに行っていた。

実家に設置しているカメラをスマホから時々見るが、別れた後すぐ起きてしまってからベッドに戻ってこない。

不在状態で、さすがに2時間たったので、心配になって実家へ行ってみた。

 

玄関から入ると、二階から音がした。ふと階段を見てみると裸の母さんが逃げている。誰かが玄関に来て裸だから逃げたらしい。

はあ???と思って、行ってみると、風呂上りの状態で服を探していた。そんなところにあるわけないのに、一生懸命棚などを探している。

大混乱だ。こんな時は何を言っても意味がわからないものだと知っているので、黙って服とタオルを急いで用意して、拭いて、着替えさせて、髪を乾かして。一安心させる。

 

風呂場をみると、ちゃんと温かい湯が入っていてホッとする。給湯器の電源切ってたのに、ちゃんと出来たんだ・・・

あんなにボケボケなのに。

やっぱ自分の家だもんね。

髪乾かしてたら、風呂場でこけたんよ、というので、打ったというところを確かめる。そんなにひどくなくてホッとする。

 

・・・たしかに。

風呂、入りたいよね。

私は、旅行から帰って、自宅の風呂入った時と、いつもの布団に入る時。ものすごく幸せを感じる。「帰った」、って気がする。

そういうことなのかと理解した。母さんも帰ったからスッキリしたかったのかもしれない。

 

三度のご飯、安全の確保、排泄の問題、1年前まで出来ていたことが沢山できなくなった。

私が自己犠牲で沢山頑張ればいいのだけど、お互いにとって良くないって知ってるのでやらない。

ショートステイで混乱はしたが、3日くらいで落ち着いた。

デイの利用者さんたちと同じだ。

 

その後も山あり谷あり。

1月の月末もショートステイを利用した。

今度は福祉法人系列のショートステイ。病院とは違って、いかにもの老人ホーム感があるので、母にとってどうかと思ったが、

事前面談では、私と同じ感覚を持った人と話が出来たという感じで、とても安心した。

 

どうしても病院とか営利法人の経営するところだと、言葉に長けた人たちが管理にいるのでパンフレットやシステムは良い。

でもさ、実際のところ働いているのは介護職。身体を触って一緒に居てくれるのは管理の人たちじゃない。っていうか、言葉に長けていくと介護の実力は落ちる。私自身、自分でそう自覚してる。理屈でどうこう考えると介護って矛盾が多くてしんどいんだと思う。その場では理屈よりも現実。受け止めるしかない部分あるもんね。

場の中で、ヒエラルキー構造があって、前線に立っているのになんだか下層に位置されている場合、やっぱ何かしらゆがむよね。

 

その点、福祉法人だと、介護職が主体のことが多いので、ヒエラルキーというストレスがない分、母みたいなボケボケっぷりをそのままちゃんと受け止めてくれる率が高い。

じゃあ、なんで最初からそこにしないんですか?と言われると、母が老人ホーム然としたところでやっていけるのかが不安だったから。

病院へ入院という理由付けでやってみてたので。

 

そこのショートステイから帰った時ももちろんショートステイっていう状況にそこそこおかしかったが、期間が短かったのもあるのか回復が早かった。

今回は、帰宅後すぐに一人にはしないで人と居てもらうという状況にしたのも良かった。

 

在宅介護をしている人にとって、全てが初めてだし、大変だと思うけど、自分が介護の仕事してきて、自分の親を介護してもらうようになって、改めて思う。

ずーっと自分が見てあげるわけにもいかないこともあるので、

それはある日突然自分が倒れてしまうとか、急な手術がはいるとか、

だから、良心が痛んでも、ショートステイの利用は勧めたい。

親には悪いけど、何カ所か試して、様子を見ながら場所も決めて行けばいい。

思っているより、社会で生き抜いてきた親は強い。

 

あと、ショートステイに沢山を求めたらいけないと思う。専属の一人の人を雇ってるわけじゃないから。

自分が働いてたらわかるのだが、初めて会う人のむき出しの心に寄り添うって、難しい。でも頑張ってくれた人たちがいる。

自分の親でも難しいのに。

大感謝。ごめんね、ありがとうございますって一人一人に言いたいくらい。

でも、もし私が働いていてそんなこと言われたら、いや、当たり前のことしただけだしって思う。

うーん、なんだろこの矛盾。でも言われたらやっぱ嬉しいかもね。介護仲間と苦労したことを分かり合えるだけでも嬉しいもんだけど。

 

ご飯の用意してくれて、おしっこうんこまみれにもならず、帰ってきてくれたらいいって思って送り出した。

だから、元気に臭くもなく帰ってきてくれてとても嬉しい。

介護生活、また一歩進んだ母の話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

備忘録2020.1.24

最近来られるようになったエイコさん。(全て仮名です)
あれこれ1人でやいやい話している。独語が続く人は話しかけても、その人のワールドに入らないと反応が無かったりが多いけど、エイコさんと車内で2人の時に独語の隙間があったので、「エイコさーん、子どもさんのお名前は何でしたっけ?」と聞くと即答で「りえこ」。
ちゃんと会話できてとても嬉しかった。

今日は帰る前のバタバタの時間に、いつものようになんだかんだ話してて、一緒にいたスタッフに「かめに乗った浦島太郎〜♪」と歌っていて、そのあと「蓋開けたらいけんもんをお土産に持たせたらいけんよねー」とさらっと言われたので当分笑いました。ごもっともすぎる。
面白かったけど、こうゆうのすぐ忘れちゃうので記録しておきます。

謹賀新年2020

 今年はアップをやめようかと思っていましたが、

悲しくても辛くても朝は毎日やってきており、

デイサービスも毎日やっています。

今年も一日一日、お一人お一人を大切にできるよう

頑張ろうと皆でお参りしました。

 

よろしくお願いいたします。

 

母のこと

 実母の認知症が深くなってきている。

毎朝毎夕、食事や排せつや就寝介助が必要になった。

同居していた私の姉は現在入院しており、実質一人暮らし。

時々この状況に、一緒に住まないのかと聞かれる。

 

私は実家が嫌で高校卒業後は嬉々として家を出た。友達などからホームシックになるとか聞くと、信じられなかった反面、なんだか、温かい家庭に生まれた人なんだなと思っていた。

両親が嫌いとかそうゆうのではなく、祖母が亡くなった小学校1年生以降一緒に居てもバラバラになっていったこの家族に愛着が持てなかっただけ。同じ家に住んでいても話し合うとか心通わせるとか、今私が一番大事だと思っていることが大切にされてなかった。でも、それは時代だったとも思うので、両親を責める気持ちはない。

40歳代になって気づいたのは、母はアスペルガー気質だったこと。

20歳代で気づいたのは、父は(基本いい人とはいえ)意地悪な面も持っていたが、母は”意地悪”という人の悪意を知らないんじゃないかということ。非常識な言動に全く悪気がなかったし、誰かにされた言動に不思議がっていた。子どもかと思うほど無垢な面がある。

 

家族がバラバラになった原因の一つが、今の実家の家の構造もあるし、やはり両親がどちらも忙しかったのもある。

「私、この家が嫌いだった」と妹に話すと、妹も同じ思いだった。だから、2人とも、出来る限りここに寝泊まりしたくない。

というわけで、一緒には住めない。と前提に色々と考えている。

 

介護の仕事をしている中で、色々なご家族に接してきた。

悪循環に陥ってしまうのは、やはり誰かが無理をしている状況を、誰かの我慢で乗り切っている場合。

ちょっとの我慢を複数人で回すのが一番いいような気がする。

仲間になれるから。

愚痴が言い合えるようなチーム。

 

毎日のデイサービス、週4日は榎町を利用している。

毎朝、「どこ行くんかいね?」があり、デイ中に「何時までここにおるん?」があり、「うちはご飯は要らんけえ、帰る。」がある。

たまに、「ここの所長さんは誰?(あのおじいさん?)」とかもある。私もその先の質問等も怖いので、「誰なんかねえ、今度聞いとくわ。」と答えている。

デイっていいねえ。

とりあえず、居てくれる間は安心して仕事出来る。

と、ものすごく基本的なご家族の気持ちにもなったりする。

 

夜は時々スマホから、母の部屋のカメラで見守る。

一度、パンツが濡れたようで、脱いだものの何をどうしていいかわからなかったようで、右往左往していたので、カメラから「パンツどこどこに置いてあるよ。」と呼び掛けてみた。もっと驚くかと思ったけど、意外と、「え?どこ?」と会話できた。

もちろん、その後やっぱりわからず、裸のままおかしな格好で寝てしまったので、真夜中実家まで走った。

 

こんな状況下にあっても、いまだに自分の仕事をまだやっていると思っているようで、喫茶店に入って雑誌を選ぶときにビジネス系の雑誌を手にとって何やら読んでいたのが面白すぎる、と妹から写真入りのラインが入った。

それでいい。

何でもできると思っている。

これでいい。

認知症の方がたはたいてい皆こう思っているし、そう思っていてくれる方が幸せだと思う。

 

ヘルパーさんが来ても、特に不審がることもなく、あれこれ手伝ってもらっている。

私達子どもたちよりも優しいから、ヘルパーさんには感謝しかない。

 

次の課題はショートステイ。

今度利用するので、どうなるかドキドキだが、もうやってみるしかない。

 

ただ、これだけは言える。

ここを立ち上げる前の私だったら、もっと無理をしていたし、自分が我慢してたはず。間違ってもショートステイは使わなかったと思う。

少しずつ変わっていく母を大切に思うからこそ、少しずつ誰かに委ねる。

それがとても大事だということを学んできた。教えてもらってきた。

 

実家の問題は山積しているが、出来ることを少しずつやっていく。

関わってくださる関係者の方がたや、妹、母の実妹さん、考えてみれば、母はとても幸せな人かもしれない。

 

 

 

 

 

 

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