人生の最終章はのびのびとしてほしいよね。したいよね。 | えのまちちゃんのブログ

人生の最終章はのびのびとしてほしいよね。したいよね。

 日曜日にハツさんの家に泊まりに行くと、ハツさんは娘さんと待っている。いつものソファにどっかり座って、こちらを厳しい目で見ている。
いや、待っているのは娘さんで、ハツさんにとっては突然の客に、毎回不満そうだ。

何故ここに居るのかがわからないハツさんだが、娘さんがいるから、そんな細かいことは気にせずにここに居るのだ。

そんな中やってきた突然の客である私に愛想よく挨拶してくれる。一応見知った顔だから。「ああ来たんね〜」と笑いながら言う目の奥に見えている不安。

私が来たら、昨日から今日にかけてのお母さんの様子を話し、娘さんは帰る。
「行くんね?」と言いつつもまたも愛想よく見送るハツさん。私と2人でソファのとこから娘さんにバイバイをする。

いつものようにテレビをみながら世間話しながら、お茶をのみ、ご飯を食べる。
途中から言葉少なくなる。
私の話しに返事をしながらも心がどこかに行ってしまう感じになる。
そして、
今日もイライラをどうコントロールしていいもんかわからなくなり、トイレに立つ。手を添えようとする手に苛立つ。トイレのドアをバタンと力いっぱい閉める。
ただただ苛立って、言われる話しの内容が、もうなんの話しかよくわからなくなる。
こういう時は冷たくならないよう、でもそっけない対応に変える。
私ならもうここまで苛ついたら1人にして欲しいから。
今夜もあらゆることに怒りながらも寝床についた。

そしてリセットされる。
次のトイレの時にはいつものハツさんだ。

笑って怒って泣いて喜んで。
生きていると忙しい。

いつも優しいハツさんなら一緒に居ても楽かもしれない。
誰のために?介護職のため?
バカバカしい。
怒ればいい!もっと怠慢な介護職を怒ればいいんだ。
90近くになって、気を使うこともない。このよくわからない現状に腹を立てたらいい。

ハツさんの側に立って考えたらそう思う。
そう考えたらハツさんの怒りを理不尽だと思わなくなる。

変に同情してもっと怒らせることもない。
そっけなくさりげなく。

この前薬が二倍量になったら、怒り方がエスカレートした。
で。戻した。薬のヤバさに気付いたらちゃんと介入したらいい。

いろいろあっていろいろと苦労も多いハツさんとの関わりだが、
生きてくれているからこそ。

人生の最終章に関わることができる仕事だ。亡くなることには普通の人たちよりは慣れているはずだが、
やっぱり。みんな生きてて欲しい。

腹を立てたり笑ったり、ほんまに生きてこそなんだよなあ。

今年も数名の方たちとお別れしました。

人生の最終章は、しっかりと、生きているからこその感情をのびのびと表出していただきたい。
生きてこそのことだからね。