町田市営地下鉄モハ1000形 | まほろ市発なんでもありのブログ

まほろ市発なんでもありのブログ

富井電鉄と書いて宵闇と読む

これは架空のお話しです。


ワタクシの架空私鉄に町田市営地下鉄というのがあります。

文字通り町田市を縦断し、南町田から町谷原、金森、町田駅を経由境川団地の先で町田街道下に戻り多摩境、相原、北城山、拓殖大学、高尾に到る全長30キロに近い地下鉄路線です。

元々町田市内には相武電気鉄道を引き継いだ町田電鉄という路面電車がありますが、道路渋滞や単線区間等で町田と高尾間を二時間以上掛かり走破していました。

それに対抗すべく作られたのが町田市営地下鉄でした。
昭和48年より建設が始まり、昭和51年に南町田↔境川団地間に開業したのを皮切りに路線を延長。
昭和60年には念願の高尾まで全通しました。
また同じ年には町谷原より分岐し、成瀬、三つ又、南大谷、本町田団地、木曽団地、山崎団地を経由し図師から旧神奈川急行電鉄小山田線の線路敷を活用し小山田へ到る2号線も開通しています。
パンタグラフ集電、600V 1067ミリでした。



イメージ 1



そんな町田市営地下鉄は昭和51年の開業に際しモハ1000形電車を用意しました。
車体のデザインはお隣横浜市営地下鉄1000系とよく似ていますが、17m片開き3ドア。下回りは当時の京福電気鉄道福井支社や北陸鉄道からかき集めた中古品を使いHL制御、吊り掛け駆動、日車D14台車を履いていました。
構造は内部は普通鋼製、外板にステンレスを用いたセミステンレス製でした。

この下回りにしたのは将来的に近隣の町田電鉄相武線との乗り入れを想定としたものでした。
また建設費が高く付いてしまい、車両までにお金が回せなかったという説もあったようです。

その為見た目とは裏腹に地下に響く騒音は凄まじく、往年の銀座線や御堂筋線を彷彿とさせました。
日本一うるさい地下鉄と呼ばれたようです。

その後の2000系からはカルダン駆動の冷房搭載の車両となり、更に町谷原から中央林間まで路線を延長。
平成3年には相模高速鉄道との相互乗り入れ運転により現在では町田市営地下鉄1号線は大磯ロングビーチ↔高尾間を結んでいるというお話しです。
また架線電圧も平成5年相模高速鉄道と共に1500Vに昇圧され、開業以来単線のままだった拓殖大学↔多摩境間の複線化も完了しました。

また町田電鉄相武線との乗り入れ運転も昭和60年より始まり、田名水郷まで地下鉄電車が顔を出していました。
しかし平成5年には廃止になりました。

1000形電車は2000系、3000系が増備されていくと廃車の対象になり近隣の私鉄へ譲渡されていきました。
そして平成3年までに町田市営地下鉄からは姿を消しました。
17m3ドアの車体は使い勝手が良かったようですが、下回りの老朽化が凄まじく、今ではどこの私鉄でも使われていないようです。


この町田市営地下鉄。
ワタクシの中だけの構想だとずっと思っていましたが、実は現実にあったようです。
昭和末期から平成初期に掛けてのバブル期、交通の不便な町田市内の交通事情を改善すべく都営大江戸線のようなミニ地下鉄というカタチで想定したようでした。

しかしすぐ多摩都市モノレールの町田延伸と被ってしまい、多摩都市モノレール建設に譲るカタチで構想は終わってしまったようです。


また町田↔鶴ヶ峰間に相鉄町田線という路線が構想されていたようです。
これも路線の一部はワタクシの町田市営地下鉄と重複する部分もあります。

色々な人の考える鉄道構想というものはどこか似てきてしまうものだと思ってしまいました。


(絵がへたくそですみません)