今から40年前、調度現在のごめんなはり線のルートに安芸線という鉄道線を持っていた。
今年は安芸線開業から100年。
廃止から40年という節目の年に当たる。
大正3年高知鉄道としてごめんと手結(てい)間に開業。後に安芸まで開業した。
戦前は流線型ガソリンカーキハニ2000系を導入するなどかなり意欲的な私鉄だったらしい。
戦時中の企業統合で土佐電気鉄道と合併。安芸線となった。
戦後は電化。元京阪の木造車の車体を利用したモハ1000形が前述のキハニ2000系をクハに改造したトレーラーを連結して走っていた。
貨物営業も盛んだったそうで、元富岩鉄道の電気機関車と自社発注の電気機関車を所有していた。
昭和38年には元阪神から1100形グループの車体を購入しそれまでの電車の車体と交換してモハ5000形、クハ3000形として走り出した。明り窓が付いた電車であり、かつて野上電鉄を走っていた電車と同じタイプだったそうだ。
しかしクハ3000形は2両だったのでクハニ2001に連結ほろを片方に取り付けてクハニ3501としたそうだ。
元阪神の旧型車とガソリンカー改造クハが手を取り合って走る姿は昭和のローカル私鉄らしくて良いなあ…
クリーム色と裾回り茶色に塗られていた。
しかも安芸といえば何故か阪神タイガースのキャンプ地。なんと言う御縁だろうか。
路面電車王国の土佐電気鉄道の路線だったので、ごめんより路面電車が乗り入れていた。
高知市内から安芸までの直通電車も走り、沿線の手結、赤野は賑わったという。
経緯が同じ路面電車王国の広島電鉄宮島線に似ているな。
また太平洋を見ながら走る沿線風景は江ノ電や宮島線のみたいだろうな。
しかし路線が国鉄の新線予定線と重複したことや、モータリゼーションの影響を受けて乗客も減りとうとう40年前の3月末で廃止になった。
車両は折角新造した電気機関車も含めて全部解体されてしまった。
ただ。モハ5008とクハ3002のみが安芸駅構内に保存?放置?されていたらしい。
しかし手入れもされず荒らされて昭和56年頃解体されてしまったという。
今であったら保存会が手入れしていただろうととても悔やまれる。
それから28年後土佐くろしお鉄道ごめんなはり線として安芸線は復活して現在に至っている。
かつてブリル台車を付けたモハ5000形が60未満で走っていたが、現在は新形ディーゼルカーが時速110で走ってるそうだ。
電車より非電化の方がスピードアップというのが何だか不思議な気持ちになるな。
この安芸線を初めて知ったのは、平成2年の鉄道ピクトリアル四国、九州私鉄特集だった。
何せ、野上電鉄で走っていた明り窓の付いた元阪神の電車が海岸線をのんびり走る姿が目に焼き付いた。
近所の図書館に土佐電気鉄道50年史という本があり、そこで安芸線を本格的に知ることになる。
海岸線を元阪神や元京阪の電車がガソリンカー改造のクハを連結して走り、途中の駅で市内線直通の600形と交換する写真は宮島線のようだった。
恐らく今安芸線があったら宮島線のように直通電車に統一されていたかもな。
安芸線の元阪神電車はお気に入りだった。錦林車庫の野上電鉄30形のキットを改造して安芸線5000形を作ろうとして挫折した過去もある。
キハニ2000系はキングスホビーやあまぎモデルで製品化されていたが、5000形は今年に入りやっとkitchenから製品化された。
ずーと欲しかったのだが、資金不足だったこともあり、中々手が出せずにいた。
だが今回やっと購入することが出来た。
組み立てて昔買ったモデモ製土佐電鉄600系レインボーセブン号と並べたり、安芸線廃止後に譲渡したという想定の架空私鉄那覇交通首里線としても楽しみたいな。