やらなきゃいけないこと山積みだけど

忘れないうちに書いておこう。


大学時代の久しぶりの友だち

というのに最近会って、

「年相応に思われないのは、私の幼稚さのせい」

と悩むんだよねーと話していたら

その悩みこそ

「わかわかしいね」

と言われる。

確かに。


今書いているシナリオの主人公、

私はものすごく愛おしい気持ちで書いていて

大好きな女の子なのだけど

先生から

「この子、幼い」

と言われる。

結構自己投影している部分があるので

「私って、幼いんだよな、やっぱり」

と思う。

そういえば、前に書いていたシナリオでもさんざん

「主人公が幼すぎる」

と指摘された。

その前のシナリオでも

これは、息子である男性が主人公だったんだけど

「この息子も、幼い」

と言われたことを思い出す。


私がシナリオに登場させる

愛おしい主人公たちよ。

君たち全員、「幼い」みたい。


今日、具体的な講評を受けていて感じたのは

その幼さって、

言っちゃうこと、

に起因するのかなぁと。

大抵、家族や親や仕事に対して

苛立ちを抱えている設定なのだけど

そのむかむかした気持ちを

ここぞ、というタイミングで、

(もしくは、些細な瞬間に)

びゃーびゃー垂れ流すのです。

舌打ちしたり、小言を言ったり。


舌打ち、ではなく「困った顔」。

愚痴るなら、チャーミングだと思わせるような小言を。


シナリオの彼らには、そうやって

一般の人たちに、

できるだけ愛されて欲しいと思う。


じゃあ、私はどうする。


きっと、大人って、

言わないんだね。

ぐっと耐えてるんだ。

泣きたくても、笑顔で。

腹がたっても受け流す。

そして、帰り道で涙するんだね。

ひとしれず、そーっと。


私は、仮にその場でやり過ごせても

やっぱり話せる相手にだったら

電話でもなんでもして、

「悲しい!泣いたんだけど!」

って言ってしまうんだ。

帰り道、一人でそっと泣かないよ。

誰かに電話して、「聞いてー」って言っちゃう。


そう考えると、

私は、どんだけ甘やかされてるんだ。

むしろ、怒りをパワーに

ぶちまけることで、前に進んでいるような気もする。

それこそが、「ガキじゃあるまいし」

なのかもなー。


なんか、大人になるって、大変なんだな。

大人って、偉いね。

世の、人知れず泣いている大人を

抱きしめてあげたくなります。

でも、心のどっかで、

泣き喚いて、人を振り回して

我慢もできずに、自己嫌悪に陥りながら

それでも、携帯電話を握ってしまう人も

やっぱり愛おしいと思いたいな、と

思ってしまうのです。

完全、自己弁護だな。

原発再稼働の話。

具体的な議論をする気はさらさらないのだけど

大衆の声、ってすごいなぁと感じる昨今。

日本人って、デモする文化が立ち消えていたし

(かつての大学の闘争などはあったけど、最近の話)

そのへん、しれーっとした民族と思っていたけれど

たぎるものってあるのだね。


というか、どうしても私は拉致問題を勉強してきたから

拉致被害者奪還の動きに対しては

どうしてここまで熱くデモする動きにならないのだろう、

と考えてしまう。

前に、座り込みや、大行進に参加したことがあるけれど

参加者はお年寄りばっかりだし、

思想が一定の人たちが集まっていて、

こりゃ国民全体の動きにはなりづらいんだな、

と思っていたのだけど。

それは、政治的なイシューだったり、

思想の問題にまで影響があるからだろう、と思っていた。

けども、

今回の原発再稼働だって同じことだもの。

もっとも政治的イシューに違いないわけで。


ツイッターとかソーシャルネットワークのパワー

といわれているけれど、

むしろ、その運動をしていても

ある種やぼったくさせない何かがあるんだろうと思う。

アーティストとか文化人とかが

積極的に参加していたりね。


でも冷静に考えれば、

拉致問題だって、アーティストやモデルや

お洒落な人たちが参加するのに、

根本的に弊害のある問題なんだろうか…

むしろ、原発を止めることに対して

絶対反対!という立場の人がいる一方で、

拉致された日本人を取り戻したい!

という気持ちに、絶対反対!という人なんて

そうそういないのだろうか、と思うのです。

なのに、なんだろうね。。。

この広がりの落差たるや。。。

残念で仕方ないし、

ファッション化するのに違和感あるけど

そうじゃないとノリ辛い、

ということも無視できないんだと思う。



いっぽうで、

実際のデモには参加できなかったけど

ユーストで仲間と見ています、

という子持ちママグループがテレビに出ていて

みんなノーメイクなママでびっくりした。

少なくともまつ毛エクステも、ジェルネイルもしてない。

無印風のボーダーシャツとかコットンシャツとか

一定の雰囲気のかたまり、

というありようで、

実はちょっと正直、なんだかなーと思ってしまった。


私はできることなら洋服なんて見境なく買いたいし

ほかにも欲しいものなんていっぱーーいある。

体に悪いものも食べたいし、

消費したいものも山ほど。

お金だっていっぱいあったらハッピーだし、

そうしたらやりたいことや買いたいものが

有象無象に出てくる。

そんな私って結局、

守るべきものがないんだなーと思う。

我慢しても守るべき子どもとか。


いっけん、私が雰囲気で名付けている

「オーガニックな人たち」って

社会的にマイノリティというか

パワーの持っていない人たちに見えるけど

実はいちばん強かったりして。


麻のよだれかけした子どもを抱っこして

「この子のためにー!」

と言われたら、

ファストファッション買い漁って

どんだけフードマイレージかかってんだよ!

という食事をとりまくって

ちゃらちゃらしてる人は

一刀両断。


って、エネルギー問題と

私個人の幸福感と

社会からのなんとなくのとりこぼれ感について

あえて重ねて語ることでもないのだけど・・

いきすぎた話。


どうしても気になって

ラジオをつけっぱなしでベッドに入る。

雨がざーざー降っている音がする。

6時ごろに一度目が覚めて

ラジオの音量を少し大きくして

再び浅い眠りに入る。


・・・「今、東京でも確認できました!!!」

ラジオから聞こえるアナウンサーの声。


慌てて下に降り、

テレビをつけて、おばあちゃまを起こす。

「すごいよ!綺麗だねぇ!見れたんだねぇ!」



昨日の夜、それ用のグラスを買っていない私は

少しばかりの後悔。

私「でも裸眼でもいけちゃうんじゃない?」

祖母「ぜったいダメ!テレビでもダメって言ってたし」

祖母は毎日NHKを見ているから詳しいらしい。


母「明日は見れないみたいよ。テレビでもそう言ってたし」

父「NHKは、ずっとこの話題だな」



チャンネルを回しながら、

いろんな場所からの日食を見る。


祖母は、じっとテレビを見ている。

母は、朝からPCに向かって仕事をしている。

父は、新聞を読みながら、興奮気味のアナウンサーの声に

「大騒ぎしてんのは、メディアだけだろ」と一蹴。


むずむずと後悔の虫が騒ぎ出す。

ふて寝。



昼に、ご飯を食べながら

私「やっぱり、後悔した。

  やっぱり、ちゃんと見てみたかった。

  でも、NHKはそればっかりだとか、

  騒いでるのはメディアだけだとか、

  そういう親に育てられたら、

  素直に行動できる子になれないんだと思う。

  ・・・この年で、親のせいにするのも違うと思うけど・・・」


母「いずれにしても、忙しすぎるのよ、うちは」

私「それはママの理由でしょ。私はパパの話をしてるの」

母「そんなこと、パパ言ってたかしら」

私「(気付いてなかったんだ)…」

母「でも、どうせ、めがね、売り切れてたわよ」



私「・・・・・・・・・ ぷははははははー!!!!」



この人(母)は、最強なんじゃないか、と思った瞬間。


そんなの根本的な解決になってないし。

私のむずむずの原因は、めがねがないことではない。

のは、わかってるよね??

私は、家族の環境の話をしているのだ。

もっと言うと、私の今回の行動に至るに対しての、

両親による育て方の影響はなかったか、の話。

もっとも、30歳にもなって、そんなことを考えて

思い悩んでは、みみっちく責めるあたり

私の幼稚さの露呈なのだけど。。。

(最近の考察テーマ:

いわゆる「あったかい家庭」とは何なのか)



そういうむずむずしたさまざまなことを

「結局、めがね買えなかったと思うし」

という結論でまとめてしまうあたり、

荒技だよね。

二車線の道路を一生懸命交通整理しているところに

いきなり自家用ヘリで離陸するようなもんだよね。。


私はそれはできないし、

そうしたいとも思わないのだけど、

でもその感覚は、目を見張るものがある、

と思ったのです。


家族の会話って、

ドラマのシナリオよりも、

突拍子がないものだなぁ・・・



PS.15年後は自分の夫と子どもを連れて

北海道に皆既日食を見にいけたらいいなぁ…

(私が、ぐずぐずしてても「見にいくよ!」と

しゃきっと決めてくれる旦那さんに出逢えるといいなぁ…)