昨日の私と

今日の私。

全然違うのに、

街ですれ違う人は

それに気付かない。


昨日の私は

彼のいた私。

今日の私は

彼のいない私。


私にとっては

世界の終わりと思えてしまうほど

心が痛くて、

こんなにも孤独な気持ちを抱えているのに

私とすれ違う人には、

同じ私でしかない。



私たちが別れを決めた瞬間、

世界中の何組が

同じように涙と共に決別を決意し、

そして世界中の何組の

新しいカップルが誕生したのだろう……



これまでも

少なからず、大好きだった人との別れや

片思いしていた人とのさよならを

経験してきたわけだけれど、

未来が苦しさの湿気を帯びて

胸にのしかかってくる経験はなかった。


一緒にいったお店に

足を踏み入れることができなかったり、

一緒に手を繋いで歩いた道を遠回りしたり。

好きだった人が残していった日常の足跡に

涙が溢れてきたり。

もらったものに罪はないけど

目隠ししてしまうような品々。

そんな過去から逃げる日々は

かつての恋愛でも経験してきたし、

確かに今もそうだけど、

それよりも

未来が私を締め付ける。



一緒に今度行こうね、って約束したお店。

その日が当たり前に来ると思って

携帯に残したブックマーク。


一緒に挑戦しようね、って

計画していた友だちとの約束。


一緒にやろうね、って

決めていたこと。


いつかは行きたいね、って

想像してた場所。


一緒に食べようね、って

思ってクリップで留めたお店の広告。


美味しいから今度買ってくるよ、

って約束したもの。


彼のために料理しかけで

冷蔵庫に眠っている山芋。


セールで買ってくれた

夏用のボーダーのTシャツ。


ゲームセンターで、二人で育てていた馬を

レースに出場させて勝たせる夢。


いつか取り替えてね、って

お願いしていた

切れかけの電球……


未来に当たり前に起こると思っていた

さまざまなことが

もう叶わない。


これだけ

想像していた未来がたくさんあることに気付いて

それらの塊が圧倒的な強さで

心に押し寄せてくる。



過去から今ではなく、

未来から今の方向に

苦しみがやってくるのは、

私の年齢的な問題なのか、

私が将来を焦りすぎて走ってきた結果なのか、

あまりにも別れが唐突だったせいか、

彼がぎりぎりまで二人楽しく過ごせるように

心を砕いてきてくれた、

その優しさゆえなのか。


いろんな時間を

これからも二人で過ごしていけると

勝手に思って、

そうっと置いてきたこの先の目印に

二人で到達するこは決してない。


頑張りたかったのにな。

頑張っても無理だったのかな。

でも頑張りたかった。



今日は春のあたたかな天気で

そのじんわりとした空気が

重く重くのしかかる。


桜を見ながらはしゃいで撮った写真を

見返すこともできないけれど、

そのときに切り取られたその瞬間に、

戻ることもできないんだな。


心の中で

早く散れ、早く散れ、

と願ってしまう桜を

来年はどんな気持ちで見ることになるんだろう。



元気でね、ばいばい。

と精一杯に言って手を振って、

彼に背を向けた瞬間に涙が溢れ、

坂道を登りながら

途中で一回だけ振り返った。

でもその時に

彼の姿が確認できなかったのは

私が泣いていたせいなのかな。

それとも、彼が彼の一歩を

しっかりと歩きはじめたからなのかな。



こんなにいろいろ戸惑って

こんなにいろいろ考えて

苦しみながらも

なんとか進んできた恋愛は、

もしかしたら無理のある形だったのかもしれないけれど

私にとっては、とっても大事なことだった。



おとといの私は

彼に、「明日どうする?」とメールした私。

昨日の私は

彼のパジャマのTシャツを抱きしめながら

左足首のくるぶしの痛みに

ぐずぐず涙しながら眠りについた私。

今日の私は

彼に、「もうおうちに着いたの?」とメールできない私。

明日の私は……

今日よりも、もう少し

前を向いてる私だといいな。


ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう


facebookとかも少しはじめていたら

ブログを書くことの自分の位置づけが

よくわからなくなってしまった・・・

のですが、ひっそりと更新してみます。



ここのところ人間関係

こと恋愛関係において

最終的にどこにいきつくのか、

を巡って、よくわからない不安や堂々巡りに

陥りがちだったりして。


同じゴールを抱けないならば

一緒に走ることはままならない、

という考え方もあれば、

だいたいそのゴールって何?

という根本的な問いもある。


そんなうじゃうじゃした気持ちでテレビを見ていたら

レミオロメン(解散しちゃうけど)の藤巻さんが

新曲に関して語っているインタビューが流れてきて。


まずはカーテンを開けること。

太陽が出ているか、出ていないかじゃなくて

まずはカーテンを開けること。

そうしなければ、太陽が出てるかもわからない。


といった趣旨のことを語っていて

びしっと響いた。


それはごくごく一般の人間関係においても

相手がどう思っているのだろうか。

私を友だちと思っていてくれてるのかな。

私を好きだと思ってくれているのかな。

なんて考え出すときりがなくて、

じゃあ、相手が友だちと思ってくれてないのなら

その人と友だちになる努力をしなくていいのか。

相手が好きと思ってくれないなら

私も好きじゃないのか。


違うんだろうな、と感じたのです。


私が友だちになりたいから友だちになろうと努力する。

私が好きだから、好きでいる。

そんな単純なことでいいのかも。

まずはカーテンを開けるって

そういうことだなと、落ちたのでした。


オリンピックに行ける可能性があるから

努力するんじゃなくて、

オリンピックに行きたいからがんばる。

オリンピックが目標で夢だから、走っている。

そういうことなのではなかろうか。


ぐるぐる巡って、いたってシンプルな感情に

辿り着いたのでした。


カーテン、あけよ。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。


などといいつつ、

ここを見てくださっている方はどれくらいるのかな。

気の向いたときにしか更新しないけれど

書きながら気付くことも、

そして書こうと思うと、自然と整理されていくものもあるから

これからもぽちぽちと更新していこうと思います。


はてさて、

最近すごく感じているものがあります。

それは、「断絶」という単語。

世代間による「断絶」が一番強いのだけど

今の私の中の気になるトピックです。


今日も、道の清掃作業をしているおじいさんが二人

「生活もよくなんねぇし、国会議員なんて

全員クビだ!!クビ!!」

と息巻いていた。


そういう追い詰められた感じとか

苛立ちとか、わからなくもないのだけど

それってもともこもないというか。

ほんと、クビにしちゃうの?

それが貴方の解決方法ですか?

という気持ちになる。

もちろん、それで解消される、という具体案の提示ではなく

「そういう気分さ」

という意味なのはわかるのだけどね。

だけども、そういうこと言ったりしていると

物事前に進まなくて、すごく嫌だな、と思った。

そして、そういうことばっかりしか考えられない人とは

一緒に居たくないな、とも思うし、

飛躍すると、そういう思考に陥るのが

ある一定の世代に多いのだとしたら、

それって若い世代とか、

これからがんばろうとする人たちの

足をひっぱることにもなりかねないのじゃないか、

と不安に思うのです。


新年も、テレビの討論番組を見ていて、

20代ー40代くらいが中心になって、

今後の日本の話とか、年金問題とか

議論する番組があって。

偏ってはいたのだけど、斬新な切り口の提示もあって

なかなか面白く見ていたのだけど、

横で見ていた母がひとこと。

「能書き」

その後、親子喧嘩になる。


確かに机上の空論の部分もあるし、

能書きたれるなら、行動しろよ、上から目線だなぁ

みたいな印象はあるのだけども、

もしかして、ちょっと上の世代って

「能書き」とかを切り捨てて

「とにかくがんばれ」「とにかく働け」

みたいな世代なんじゃないかなぁと。


だからこそ、ここまで経済的に成長してきたし

団塊の世代の功績は大きいとは思うけど

もうそんな時代じゃないのじゃないか、

と思う。


必死に。とか

とにかく。とか

がむしゃらに。とかの

ポジティブなワードで目隠しされていた

もっと議論的で、分析的な部分。

それらをすっ飛ばして

ここまで突走ってきたけどもー・・・

という時代が今。

なように思うのです。

だから、ああでもないこうでもないと

議論や対話を尽すことは必要だし、

数値や分析に拠って判断すべきことも

やっぱりあるんだと思う。


そうそう

富士そばでお昼食べていたときに

若いバイトくんがおばさんパートさんに

「どう切ったらいいかわかりません」

とひとこと。

それに対し、おばさんは

「そこに包丁があるでしょ!包丁あるんだから

野菜を切ればいいの!」

と怒っていて、

まさに、こういうことだなぁと思ったのです。


若者は「どう」切ったらいいかがわからないと言ってるのであって

それじゃあ質問に答えたことにはなるまい。

と思ったのです。

まあきっと、日頃の勤務態度が

おばさんの発言を左右したのだとは思いますが…


あと、ワイドショーの年金問題の

街頭インタビューとかで

おばさんとかが

「年金もらえないの。困っちゃう。

一生懸命働いてきたのに。」

とかいうのを見ると正直

払ってももらえないかもしれない世代や

むしろ、年金を払えるほどの仕事を見つけられない世代も

いるわけで、ちょっとは考えてよね、

とも思ってしまう。


あと、おじさんの

「被災地復興もわかるけど、

俺らの生活も大変なんだよ!!」

という発言ね。

もっともだろうけど、

被災地を復興していくことで

いろんなビジネスのチャンスや、もっというと

働き方そのものが変わっていったり

新たなものへ繋がる、という意識はないのかな

とも思ってしまう。



そんなこんなを考えていると

「断絶」されているなぁと思ってしまうのです。


世代ごとに断絶されているような感覚。

今に対して不満や不安がある。

というのは共通しているのかもしれないけど

なんかそれに対する向かい方が違うのかな。

それって、いつの時代でもあることなんだろうか。

もし私が昔昔に生まれていたら

「Don’t Trust Over 30」

とかいうプラカード持って、

ヒッピーみたいな格好してデモしてたんだろうか。

というか、もうその信じてもらえない30だ・・・


少なくとも、前向きな若者でいたいなぁ。

だめだだめだばっかり言ってないで

もっと具体的に、こうしたらよさそう、

とか、新しいアイデアやイノベーションを起こせるような

そんな若者世代でありたいなぁ。

それって若者の特権なのかな。


今年は、

柔軟で、新しいことへオープンマインドで

ハッピーなオーラの楽しい大人といたいな。

私も自由でハッピーでいたい。

言葉にするとばかっぽいけど、

とにかく、ハッピーでいたい。

ハッピーでいられるような自分でいたい。