1枚の風刺画で業界を干された件 | 自宅警備員のチラ裏

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 家内が病に倒れ介護のため早期退職をして自宅に常駐するようになったおっさんの日常です。
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   https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/01/post-103391_1.php

 

  

 

あまりに残虐で野蛮で、見るに堪えない光景だった。昨年10月7日未明、パレスチナ自治区ガザを実効支配するハマスの者たちは罪なき人々に襲いかかり、無慈悲に殺しまくった。男たちの首を切り落とし、揺りかごに眠る赤ん坊を撃ち、子供たちの前で親を射殺した。拷問の末に処刑された人、生きたまま焼かれた人もいる。平和な音楽の祭典に参加していた大勢の若者が銃弾に倒れた。その全ては写真や動画で世界中の人が見た。

大抵の人は恐怖に震えた。しかしレバノンのテレビに出演したハマス幹部のガジ・ハマドは、あの日の攻撃を称賛した。イスラエルが「削除」されるまでは何度でも攻撃を繰り返すと誓い、ハマスは「被害者」なのだから「いかなる攻撃も正当化される」と言い放った。

 

このインタビューを見て、私は米ワシントン・ポスト紙に1枚の風刺画を提供した。

ハマドと、彼のまとう「人間の盾」を描いた作品だ。

ところが同紙の編集部内で反対意見が出て、結局、私の作品は同紙のウェブサイトから削除された。私の絵はパレスチナ人への偏見と悪意に満ちており、「人種差別的」だと批判された。イスラエルによる報復攻撃によって大勢のパレスチナ人が死に、何百万ものパレスチナ人が苦しんでいる事実から目を背けているとも言われた。

 

もちろん、この戦争はひどすぎる。どちらの側で死んだ人にも、私は同じように心を痛めている。住む家を破壊された人たちの悲しみは分かるし、ハマスに拉致された240人を超える人質の家族の気持ちも痛いほど分かる。だが、それと風刺画は別の話だ。

この風刺画は特定のイメージを描いている。ハマスという組織を代表する特定の男と、その男の発した特定の言葉に注目し、自分たちは犠牲者だと主張しつつ、一方で罪もないパレスチナの人々を犠牲にしている事実を描いた。

描かれた男はガジ・ハマド。テレビで見たハマドの顔に似せてある。組織の名はハマス。男の上着に「HAMAS」と入れた。吹き出しのせりふ(「イスラエルはよくも一般人を攻撃できるな......」)と男の体に縛り付けられた罪なき人々の姿で、ハマスの主張を映し出した。

ハマスはテロ組織で、イスラエルが一般市民を攻撃していると非難する一方、自分たちが一般市民を苦しめている事実にはふたをする。だが先に攻撃を仕掛けたのはハマスであり、民間施設に立てこもり、イスラエルが攻撃を予告した場所から市民が避難するのを妨げているのもハマスだ。

ガザの人々は被害者だが、ハマスは被害者ではない。

 

皮肉なもので、私の作品を誇張と偏見の産物と批判する人たちはテロ組織とパレスチナの一般市民を区別できていない。そんな人々が私の作品に描かれた真実に対し、削除という方法でしか対処できなかったのは悲劇だ。

私はいつもこう言っている。「風刺漫画は笑いを取るものではなく、物議を醸すことを狙うものでもない。その主張への賛否は別として、優れた風刺漫画は読者に考えさせる。情報を提供すると同時に、読者に挑む。民主的なプロセスに読者を引き込もうとする」

 

自由な意見交換は民主主義の基盤だ。かつてトマス・ジェファーソンは書いている。「私たちの自由は報道の自由に懸かっている。ひとたび制限されれば、それは失われてしまう」

アメリカ建国の父たちが合衆国憲法に報道の自由を盛り込んだのは、思想や情報の伝達、それを送る権利と受ける権利、思想の拡散と意見の表明が自治と個人の自由を基盤とする政治システムに必要不可欠と知っていたからだ。

 

風刺漫画の目的は思考を促すことにある。思慮深い意見の交換を刺激し、みんなが議論を重ね、合意を形成していくプロセスを助けたい。

だが今は政治・社会的な公正さを過度に求める風潮があり、そこでは言葉も画像も武器とされ、特定の政治集団や被差別グループへの攻撃に用いてはならないとされる。実に寛容な姿勢に見えるが、自分たちの賛同できない考え方は排除してしまう。そして自分たちの主張が通らなければルールを変える。国民を子供扱いし、監視なしでは自由に言葉を交わせないようにする。これは言論の自由と人間の自由、そして真実に対する直接の脅威だ。

私の作品を非難する人たちは、人種差別という言葉を持ち出すことで大切な真実──ハマスがパレスチナとイスラエル双方の民間人を人間の盾にしているという真実──を「キャンセル」した。彼らは意図的に人口密集地区や病院の屋上からロケット弾を発射し、そこにイスラエル側の攻撃を向けさせ、罪なき人々の命を犠牲にしている。

作品のせいで自分が誰かに攻撃されるのは構わない。政治的な意見は人それぞれだ。言論の自由は保障されているが、その言論の結果は自分で引き受けるしかない。覚悟はできている。私は自分の描いたものを守るが、それを非難する人たちの権利も守る。

それでも最後に言わせてもらおう。ワシントン・ポストには「暗闇の中では民主主義は死ぬ」という標語がある。ただ真実を描いただけの風刺漫画に対して編集部内で異論・反論が上がり、自分たちの正義を振りかざして掲載を拒み、言論の自由を「キャンセル」するようでは、それこそ真っ暗闇ではないのか。

真実は時に痛い。それでもジャーナリストなら真実を照らし続けるべきだ。不都合な真実を暗闇に隠したい誘惑に、負けてはいけない。

 

記事に目を通す前に風刺画を見て、「上手い!」と思いました。

私がこの紛争に感じていることがそのまま一枚の画に集約されていると感じたからです。

皆さんはどう思いますか。。