いままさに総理が記者会見を行っているが、案の定緊急事態宣言は延長と
なった。これを受けて今後の釣行再開やブログ記事再開の方向性については
別途お伝えしたい、と思う。
さて今日のコラム。えのちんぶろぐはヤフーブログにて2008年頃から開始
しており、このブログをさかのぼっていくとその頃、だいたい自分が31歳くらい
の頃からの釣行内容がブログ記事となっている。 それ以前の釣行のことに
ついては、あまり触れてはこなかったのだが、今日は自分のバスフィッシング
のスタート地点からの歴史についてちょこっとだけ触れてみたい、と思う。
まず、この写真。
自分の釣ったバスの写真として最も古いものがコレ。日付は1990年8月17日。
当時中学2年生の13歳であった。 家族旅行で河口湖に行った際に釣った時の
写真である。これ自体は人生初バスではなく、これよりも数か月前に赤坂弁慶堀
にて、何尾か釣っている。
当然ながらこの当時、携帯もないしデジカメもない。バカチョンカメラで撮影して
フィルムが終わったらフィルムをカメラ屋さんに持ってって現像に出し、翌日以降
に出来上がったら取りに行く、というシステム(笑) 当然のことながら完成写真を
受け取るまではどのように撮れているかはまったく分からないのである。もちろん
ピンボケだとか白ボケ、またはなぜか真っ暗、とか多くの失敗はあった。そういう
失敗も含めて楽しかった時代だ。
父親がちゃんとしたカメラを持っていてそれを借りて釣りに出かけていたことも
あったが、ちょうど当時、使い捨てカメラの 「写ルンです」 というカメラがブーム
となり、自分達は写ルンですメインで写真を撮影していた。27枚くらい撮影でき、
価格が800円くらいだったかな。 で、写真の現像も一枚20円くらいだったから
現像も800円~900円くらいだったと記憶している。
で、そんな写真を、次のようにアルバムにファイルしていったのであった。
これは高校2年生くらいの頃。 左の2段目が赤坂弁慶堀。 まだオカッパリでも
自由に立ち入りできたギリギリの頃だ。 この数年後には全域フェンスで覆われて
ボート釣りのみしかできなくなってしまった。 懐かしいな。
その中でも思い出の写真がコレ。
当時のチームダイワの宮本英彦プロとのショット。たまたま土浦新港でバス
ボートのメンテナンスに訪れていたのだが、目の前で釣っちゃったので一緒に
撮影をお願いした1枚だ。今日は載せないが、他にも大仁田厚と写真撮影を
したものも残っている。 これは中学3年の春だった。当然土浦新港も釣りは
自由にできた頃だ。 この数年後くらいに、この土浦新港を舞台とした岸釣り
大会で、今の川村光大郎氏や折金一樹氏が凄腕バス釣り高校生として一躍
有名になったのである。
で、えのちんという男がクレイジーなのはここからである。 1990年から
スタートしたこの写真のファイリング・・・
実はなんと今でもまだ続いている。 そう、30年間やり続けているのだ(笑)
その証拠にこちらが直近の写真…
まだ日付とか書きこんでないけど…(笑)
さすがに最近では40UPとかしか撮影しておらず、また撮影してあっても全てを
プリントアウトしている訳ではない。 27~8歳だったかな、デジカメとパソコンと
プリンターを揃えたそのくらいの頃から、自宅でプリントアウトしてファイリングする
ようになった。 ウチに遊びに来る人がもし居たら、おそらくこのアルバムだけで
一晩酒が飲めるだろう(笑)
で、同じく30年続いているのがコチラ。
釣行時のデータを細かく記してあるミニノートである。これによると自分は
これまでの30年間で、ラージを5277匹、スモールを1080匹釣っている事
になっている。もちろんどっかで絶対計算を間違えているので完璧に正しい
数値ではないと思うが…(笑) このノートには日付・時間・天候・タックル
ルアー、水温や気温、同行者の氏名や同行者の釣果等、結構こまかい事
が記されており、ブログには記載できなかった出来事や真のシークレット的
な事までが記載されている。 自分自身の振り返りのツールとしてブログも
読み返す事も多いが、実はこのミニノートのほうがヤバい真実とかもすべて
書かれているので、こちらを読み返すことも多かったりするのである。
釣行記のブログは当日中に仕上げ、他のノート記入や写真ファイルなど
は最近では1ヶ月に1~2回、まとめてやってたりするのだが、なんとなく
だらだらと30年間続けてきている。 まあ今日はそんなところかな(笑)
さて、今後の動向についてだが、今週末の日曜日くらいまでには自身
の自粛解禁の方向性について、世の中の情勢を見極めた上で改めて
発信をする予定である。 それではまた。