「ジェンダー平等の実現にはあと135年かかるらしいよ」

 

 

高校の同窓生数名でオンライン飲み会をしていた時のこと、不意に友人がそんな発言をしました。


米名門大学でMBAを取得し、自ら事業を興し、誰よりも社会で活躍していると見える彼女の口からそんな言葉が聞かれるのは意外でした。

 

「女性ならではの苦難って味わったことないかも。得したことしかない気がする。」

 

かつて、彼女はこうも語っていました。


しかし、実際には何か思うところがあったのかもしれません。

あるいは、子どもたちの未来を憂いているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

以前取材協力させていただいた文藝春秋の記事が、「東大女子という生き方」として書籍化されました。

 

書籍化に至るビッグプロジェクトとは知らずに軽い気持ちでお受けしてしまいましたが…

東大女子婚活代表は本当に「あられ」でよかったのか、他の高名なインタビュイーの方々の名を汚しはしないか…

帯に並ぶインタビュイーのお名前を拝見しては、不安な気持ちにかられます。

 

そんなことはさておき。

 

 

 

同書には、東大を卒業した女性の苦悩と背景にある社会の歪み、そして自ら道を切り拓く彼女たちの力強い生き様が描かれています。


華やかな経歴やメディアで目にする凛としたお姿の裏側にある悩みや葛藤は、決して特別なものではありません。

おそらく、働く女性なら誰しも、自分と重ね合わせ、共感できる部分があるのではないでしょうか。

 


 

同書では、「東大工学部に女子枠を作ろうとしたら、工学部女子からの強い反発があった」というエピソードについても触れられていました。

おそらく、私が在学生だったとしたら、同じように反対しただろうと想像します。

「女子特別枠」では、男子と同じ土俵で戦えない、そう思ったはずです。

 

そのエピソードを読んで、あることを思い出しました。

婚活して結婚するか、転職して収入の水準を上げるか、迷っていた時期に転職エージェントと話をした時のことです。

 

「〇〇社は、女性の管理職比率を上げることに注力しています。貴女の経歴であれば、黙っていても数年後には管理職、年収はこれくらいになるでしょう。」

 

女性というだけで、“黙っていても”出世する、昇給する。

なんとオイシイ話!!

しかし、これもまた、先の工学部女子枠と同じことです。

 

たしかに、ジェンダーギャップを定量的に測るのは、男女の人数比です。

当然、女性が増えれば、“差”は小さくなります。

しかし、それは結果であって目的ではないはず。

 

女性を増やすことを目的化し、定量的な“差”を解消したとしても、そこには確実に別の“差”があります。

本質的な性差別の解消とは言えないのではないでしょうか。

 

 

 

“性差別の解消は、苦労してバトンを手渡してきた女性たちの長い列があって、じりじりと前進してきた”

 

私が同書で最も印象に残った一文です。

 

私は先駆者たちが切り拓いた道をただぼんやりと歩いているだけかもしれない、私には次の世代に渡せるバトンがあるだろうか…

改めて、自分の生き方を見つめ直す機会をいただいたような気がします。

 

135年を1日でも縮められるように、次の世代にバトンを渡せるように。

 

 

 

是非皆さまもご一読ください流れ星