滞っておりましたが、トウダイリケジョの婚活記、完結編です。

*****


異国の地でプロポーズを受けた筆者。
夢見心地もつかの間、帰国すると現実が待っていた。

そもそも口約束で”婚約”が成立するのか。
指輪を受領して婚約?
双方の両親の許しを得て婚約?
婚約とはなんぞや。

そうこうしているうちに、自宅の更新手続きの書類が届く。
住む場所も探さなくては。

結婚時期についても意識合わせをする。
のんびり構えていた筆者とは異なり、夫氏はできる限り早い時期の結婚を望んでいた。
30も過ぎた男女がもったいぶっても無意味、とのこと。



結果として、婚約指輪探し、お返し探し、新居探し、式場探しを全て並行することになった。

合間に、筆者の実家に挨拶をし、両家顔合わせを段取る。
諸々が決まれば今度は、引越し、結婚準備。
あれよあれよという間に結婚式、披露宴、婚姻届の提出。

プロポーズから半年以内に全てを完了した。



一言で表現すると「大変」である。

二人で意思決定すべきことが多い。
実行に時間を要することも多い。
しかし、時間は限られている。

圧倒的に時間が足りない。



時間の余裕が奪われると、心の余裕も失われる。

夫氏と意見の食い違い、衝突は数知れず。
(ほとんど筆者が一方的にキレるスタイル)
本当にこのまま結婚してよいものか、迷うこともあった。

しかし、一度走り出したら逆戻りはしたくない。
前だけを向き、走り抜けた。



結婚してから、ブログにプレ花嫁ジャンルなるものが存在することを知った。
余裕をもって計画すれば、一つ一つを吟味し、楽しむことができるのか。

自身の選択一つ一つに後悔はないが、もう少しゆっくり楽しめたのなら楽しみたかった、というのが正直なところ。

感染症対策の求められる現在は、制約も多く、考えることも以前とは違うのだろうが、プレ花嫁の方々にはぜひ楽しんでいただきたい。






さて、婚活の仕上げとも言える、結婚準備の過程。
この過程でも、筆者はさまざまなことを考えた。
そして、これまでの自身の考えを改めることになった。



筆者は婚活中、必死に“美しさ至上主義”に抗ってきた。
結婚に容姿の美醜など関係ない。
知性とユーモアで勝負だ。

そうして、抗うことでの自身の外観を磨くことから逃げてきた。



ところが、結婚準備においては、女性の容姿が最大の懸念となる。
最大の支出を伴う。

婚約指輪、着物の支度、結婚披露宴の貸衣装。
ブライダルエステにブライダルネイル。

一生に一度の体験に心躍る反面、後ろめたさがつきまとう。
筆者のような者が、装いや美容に投資したところで、お金をドブに捨てるようなもの。



結婚披露宴は、男性が所帯を持ったことを示す場。
娶った女性を披露する場。
娶った女性が美しければ美しいほど男性の評価は高まる。



醜いことは悪だ。
美しい者こそが正しい。

美しさこそが正義であることを知った。



しかし、正義とはなんだろうか。

美しいものをより美しくすることだけが正義だろうか。
醜いものを改善することも正義なのではないだろうか。

+10を+20にすることはできなくても、-10を-5にすることはできるかもしれない。



迎えた結婚式当日。

自分サイズにぴったりと手直しされたドレスを身に纏い、プロの方々に入念なヘアメイクを施していただいた。
成人の記念に両親から贈られた真珠も身につける。

そこには、自分史上最も美しい筆者があった。



夫氏との対面の瞬間。

「きれい…」

夫氏はうわ言のように呟いた。
たった一言。



この時、筆者は自身の正義を全うしたような気がした。



客観的に見てその姿が美しいかどうかはわからない。
絶対評価では下位に位置するかもしれない。

しかし、筆者の人生において、相対的に最も美しい状態を作り出すことができた。
そして、それを夫氏にも認めさせた。

おそらく、夫氏が筆者の容姿を称賛したのは、後にも先にもこの時だけ。



そうして、筆者は自身の信念と正義のもとに、婚活を成し遂げたのであった。