筆者は、いわゆるバリキャリではありません。
恥ずかしながら、バリキャリという言葉自体も、ブログを始めるまで知りませんでした。

ただ、学んできたことを糧に、好きなことをして、幾ばくかの収入を得る程度。
楽しく、やりがいのある仕事ですが、大きいお金を動かすわけでも、社会を変えるわけでもありません。

バリバリどころか、パリパリ、あるいはハリハリくらいの働き方。
しかし、そんな筆者でも、結婚してから、仕事のあり方や働くこと自体を考えるようになりました。



前回の記事についていただいたコメント。

「あられさんより稼いでいるのであれば、(夫をが料理をしないことも)受け入れるべきでは。」

これを受けて、少し思うところがあったので書き留めておきます。

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筆者は現在、家事の大部分を担っている。
筆者の方がマルチタスクが得意な上、料理は半分趣味のようなもの。
特段の問題はない。

ところが、仕事が忙しいとき、体調が悪いとき、ふと疑問を抱く。
筆者が食事の支度をする傍ら、仕事をする夫氏に苛立ちすら覚える。



なぜ、わたしの負担が大きいのか。
なぜ、夫氏は朝食ができる5分前に起き、夕食ができる5分前まで仕事をしているのか。
夫氏が協力してくれたら、わたしももっと仕事ができるのに。



おそらく、先に挙げたコメントは、この疑問に対する答えの一つ。

収入の高い夫氏の仕事が、優先されるべき。
収入の低い筆者は、仕事を差し置いても夫氏のために家事をすべき。

筆者自身も、この答えに行き着いたことがある。



しかし、この答えに納得できない自分もいる。

仕事の重要度は収入の序列によって決まるのだろうか。
夫婦は収入によらず対等ではないのだろうか。




別の答えにたどり着いたこともある。

そもそも筆者が仕事をしていること自体が誤りであるという答え。



結婚披露宴でのこと。
筆者側の来賓は祝辞の中で以下のようなお話をくださった。

「弊社は、女性だからといって優遇はしません。これからも、どんどん責任ある仕事を任せますし、海外出張も海外赴任もあります。その分、新郎にはご不便をおかけすることになりますがー」



もちろん、夫氏は筆者の仕事を理解しているし、好意的に受け止めてくれている。

しかし、夫氏の親族はどうだろう。
仕事を持っていることは承知しているが、海外赴任の可能性は伝えていない。

仕事で家を空ける嫁。
息子に不便を強いる嫁。

なんてひどい嫁をもらったのだろう、と悔しい思いをされたかもしれない。

想像とは異なる祝辞を聞きながら、変な汗が流れたことを覚えている。



この時から、自分が仕事をすることが、果たして正しいことなのか、わからなくなった。

幸い、一年前を最後に海外出張は全面的に禁止。
予定されていた海外赴任も無期延期になった。

しかし、本来の役割であるはずの家事に不満を抱いてる。
夫氏に不便を強いろうとしている。



両立できないのであれば、やはり筆者が仕事をしていること自体が、誤りなのかもしれない。




ぐるぐると考えていると、いよいよわからなくなった。

自分は一体何のために働いているのだろうか。



ある日、そんな悩みを職場の先輩にこぼした。

筆者「自分の収入なんて大したことないし、いっそ家庭に入って家事を完璧にした方がいいのかなって思うんですよね。夫を全力でサポートした方が、出世してトータルのインカムも増えるかもしれないし。」

先輩「うーん。まぁ、そうかもね。それで思い出したんだけど…うちの旦那、すごいキツい部署に当たったとき、本当に大変そうだったんだよね。終いには地方に飛ばされそうになって、断れば降格という状況だったの。その時わたし『そんな会社辞めちゃえ!』って言っちゃった。私に収入があったからそう言えたのであって、専業主婦なら『家族のために耐えて』って言わざるをえなかったんじゃないかな。サポートって家のことをするだけがサポートじゃないかもしれないよ。」



なるほど。
先輩の言葉は示唆に富んでいた。



働くことの意義。
仕事のあり方。
家事とのバランス。

まだ自分の中で最良の答えは得られていない。

育児も介護もない、ハリハリくらいしか働いていない筆者が悩むこと自体、おこがましいことも承知している。
しかし、きっとこれからも悩みながら生きていくのだろう。




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結局何が言いたいの?という冗長な文章になってしまいました。
迷走中ゆえご容赦を。



夫氏と話さないのか、疑問に思われた方もいらっしゃるかもしれないので、夫氏の見解もご紹介します。

「あられには、何より仕事を頑張ってほしいと思ってる。家事はできる時だけやればいいんだよ。仕事をしながら家事をやってるだけですごい。食事だって、ご飯とお味噌汁があるだけで満点なんだよ。なぜ常に満点よりも上を目指そうとするのか。あられは十分やってるよ。」

こんな感じです。



夫氏は必要最低限しか求めていない。
筆者が勝手にやり過ぎている。

ということのようです。

夫氏は、筆者の完璧主義の傾向と自己肯定感の低さにしばしば苦言を呈します。
もっと手を抜いていい、できないことよりできたことで自分を肯定せよ、とのこと。

そもそも完璧ではありませんが、お言葉に甘え、手を抜くことを覚え始めました。
夫氏も少しずつ手を貸してくれるように変化している気がします。



夫婦2年生、まだまだ試行錯誤が続きます。