筆者は焦っていた。
と前回の記事を締めくくりつつ、後が続かず申し訳ありません…。



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実家訪問から一夜明けた翌日。
夫氏と会うことにした。
夫氏はその後に用が控えているとのことで、駅から自宅までの道を送ってもらいがてら、立ち話。



交際と旅行について自ら説明してほしいと事前に伝えていたにも関わらず、何も話してくれなかったことは、とても残念だった。
一連の振る舞いから、筆者の人生にコミットする気はないのだと解釈した。
それならば、今後関係を継続していくことは難しいと思っている。

こんな内容だったと思う。



夫氏は黙って聞いていた。
何を言われているのかわからない、という風にも見えた。



伝わらない歯痒さに筆者は苛立ち、終盤泣いていたと思う。
これではまるで面倒くさい女だ。
はて、人前で涙を流したのは何年ぶりだろう。



筆者の訴えに対し、夫氏から返ってきたのは、意外な言葉だった。

これからも一緒にいたいと思っているし、将来についてもきちんと考えている。
結婚は本人同士の問題であって、両家の親の問題ではないと思っていた。
なぜ今回のことで、それほど思い詰めているのかわからない。君は親に依存しすぎている。



筆者は人生のほとんどを実家で過ごし、家族との関係も密である。
兄の結婚を通して、両親の言葉を通して、結婚は家の問題であると強く感じていた。

一方の夫氏は、大学進学とともに独立し、意思決定は自ら行なってきた。
結婚も同じ。
自らの意思決定のみによるものであり、家云々はさほど関係ないという認識だった。



筆者の“依存心”に問題がある?

百歩譲ってそうだとしても、当日のタスクについては事前にお伝えしていた。
それを遂行しなかったことに苦言を呈しているのだ。



この日は相互の意識を確認するに留めて別れた。



なんだろう、この徒労感。
世間では、これを価値観の相違と呼ぶのだろうか。

もちろん、ここで終えることもできた。
しかし、もう少し話したいという気持ちが勝った。

今までは交際相手として楽しい時間を過ごしてきただけ。
真面目な話をしたことはなかったのだから。
もう少し話せば、分かり合えるかもしれない。



その後、筆者は話の方向性を変えてみた。

もちろん、二人の関係は二人で築いていくべきだと思う。
しかし、結婚は社会的なものだ。
対外的な交渉や法的な手続きを含む。
家族や周囲の人間と、社会構造の中に生きていかなければならない。本人たちだけの問題ではないのだ。

これまで別々に生きてきたのだから、考え方が違うのは当然。
それを互いに認め合い、二人にとって最善の解を導くことが必要だと思う。
そのために議論をし、場合によっては妥協できるか、その意思を確認したい。



電話やLINEで話し合いを重ねた。

しかし、釈然としない。
夫氏からは意思も主体性も感じない。
筆者に向き合ってくれている気がしない。

増大する徒労感。

もう諦めよう。
我々はきっとこの先も分かり合えないのだ。

独り相撲はもうたくさんだ。



筆者「もういいよ。」

夫氏「いいの?不安なままじゃ嫌でしょ?」

筆者「だから、もういい。向き合うことができないなら、このまま一緒にはいられない。別れよう。」