婚活においてしばしば話題に上る、男性の振る舞い。
エスコート云々。

知り合って間もない段階においては、ある種のマナーとして評価してしまう振る舞いも、“共通の趣味”同様、筆者にとってはさほど重要ではなかった。

二人の関係性が変化すれば、振る舞いも変容する。
振る舞いの本質も見えてくる。




夫氏は女性慣れしていない理系男子。
スマートな振る舞いなど期待できる相手ではなかった。

しかしながら、基本的な所作は身についているようだった。

車道側を歩く
エスカレーターは女性の下側に乗る
重い荷物を持つ
飲食店では女性を奥の席に通す

など。

期待していなかった筆者にとっては、嬉しい誤算であった。



一方で、筆者を家まで送り届けることはほとんどなかった。



筆者母「年頃の女性を遅くまで連れ回して、家に送り届けないなんて信じられないわ!」

筆者「仕事で遅くなることもあるし、飲み会があっても誰も送ってくれないわよ。そもそも年頃じゃないし笑。」

筆者母「貴女は大事にされてないのよ!大事だったら、遠回りしてでも送り届けるものよ。その方は早く見切りをつけて、別の方を探しなさい。」

筆者「そうなのかなぁ。でもね、わたしは贅沢言ってられないのよ。そんなことで切り捨ててたら、おばあさんになるまで婚活してることになるのよ。」



母とのやり取りを、夫氏に冗談半分に話してみた。

あまり響いていない様子だったが、後日。

夫氏「埼玉に住んでる彼女を電車で送り届けて、そのまま戻ってくるという友達がいたよ。そういうもんなんだね。考えもしなかったよー。」

それ以降、夫氏は筆者の帰路を少しばかり配慮してくれるようになった。



夫氏は、筆者をないがしろにしていたわけではなかった。
むしろ、何も考えていなかった。

ただ、物理的、経済的に、合理的な経路で帰宅していただけなのだ。



冒頭に挙げた、重い荷物を持つ等の振る舞いは、夫氏の筆者に対する配慮に基づく行動と考えられる。
そして、そこにはある種の合理性がある。

相対的に体力のある男性が女性をサポートする。
合理的な行動である。



一方の見送り。
筆者の自宅を経由することで、夫氏は非合理的な経路で移動することになる。
しかも、筆者は単独での移動が可能であり、夫氏のサポートを必要としない。

すなわち、筆者の見送りは、夫氏にとって非合理的な行動なのである。



合理性>配慮



夫氏の振る舞いはこの不等式に基づくと解釈できる。
これが、夫氏の振る舞いの本質である。



悲しいかな、この不等号の右辺と左辺の差分は、日毎に大きくなっていった。



結婚後、筆者が一人実家に帰ったときのこと。
荷物が増えたため、帰宅の道中で夫氏にLINEで助けを求める。

筆者「お土産もらって荷物が増えちゃったアセアセ駅まで迎えにきてくれるとうれしいなー。」

夫氏「そっかー。頑張れ!!」



応援ありがとう。
夫氏は迎えに来なかった。

荷物の多い筆者への配慮よりも、一人の時間を有意義に過ごす合理性の方が勝ったのだ。

どんまい。



別の機会に再挑戦。

筆者「ごめんね、また荷物が増えちゃったアセアセ荷物もってくれたら、帰りにスーパーの買い物も済ませられるのだけど、迎えに来てくれる?夕食何食べたいか考えておいて!」

夫氏「おっけー。何時ごろ行けばいい?」



迎えにくることに合理性を与えたところ、快諾された。



合理的な配慮。

これが夫氏に求めるべき振る舞いらしい。