夫に結婚を決めた理由を訊いたことがある。
嬉しくも、とても単純な答えだった。

「この先50年一緒にいても飽きないと思ったから」



筆者が結婚を決めた理由も単純。

「彼といる自分が、家族といるときの自分に一番近かったから」





筆者はなぜ結婚できたのかという題目を掲げてから、いろいろ考えてきた。

とどのつまり、これに尽きる気がする。



相性とタイミング。



「相性が悪かった」はただの言い訳だ。
自分に改めるべき点があったからダメだったのだ。
相性などという曖昧模糊な表現に逃げず、精進しなければ。

かつて筆者はそう思っていた。



しかし、いざ結婚してみると相性とタイミング以外に要因が見つからないのだ。



男性がみな、筆者と一緒にいて「飽きない」と思うわけではない。
むしろ数分で「勘弁してくれ」と思う男性の方が多いかもしれない。

警戒心の強い筆者は、同性異性問わず、滅多に素の自分をさらけ出さない。
家族と同様に心を許せる存在などいなかった。



「飽きない」
「家族に近い」

そう感じられるかどうか。

これから長きにわたって共に過ごすことを想像できるかどうか。

それは、もはや当人同士の相性でしか測れないのではないだろうか。



「タイミングが悪かった」
これもまた、われわれ縁遠い人間の常套句。
しかし、筆者にとってはタイミングが重要な要素であったこともまた事実であった。



何しろ筆者と夫は過去に一度会ったことがあったのだ。
婚活とは全く関係のない場面で。

もしその時、言葉を交わしていれば、
もしその時、恋仲になっていれば、

おそらく結婚には至っていない。



各々が結婚したいと思う歳に、
それぞれ自身の市場規模を知った上で、
おぼろげにも自分の伴侶を思い描いて、
出会ったから、結婚したのだと思う。

これはもはや、タイミング以外のなにものでもない。




そんなわけで、筆者が結婚できた理由。

相性とタイミング。

大事なことなので2回言いました。





トウダイリケジョらしからぬ非論理的かつ非科学的な分析だと揶揄されそうだが、同僚に「浮かれることはないのか?」と問われたので、少し浮かれてみました。

本当は別のことを考えていたため、このシリーズまだ続きます。