ブログを再開してから、あえて多用してきた言葉がある。
「普通」
「普通の人と結婚したい」
結婚を望む女性が多く口にする言葉。
玉の輿に乗りたいわけではない。
ただ人並みに、普通の人と結婚したいだけ。
筆者もそう思っていた。
しかし、これに対し、読者の皆さまから、結婚相談所のおばさまから、言われ続けてきた。
「高望み」
「身の程知らず」
ちなみに、筆者が以前、普通と考えて示した条件はこちら。
これは、一般的にはハイスペックにあたるらしい。
婚活市場において最低スペックともいえる筆者に、これを望む権利はないということらしい。
結果として、筆者は普通の人と結婚した。
先に掲げた条件は当然満たしている。
残念な人でも、めでたい人でもない。
感性と価値観は似たものを持っている。
自分よりも賢く、尊敬に値する。
筆者にとって、普通の人である。
婚活市場においては、本来マッチングするはずのない、低スペック女性と高スペック男性が結婚したことになる。
奇跡か。
巧みな戦略か。
特別なことは何もない。
ただただ、妥当な結果だったのだ。
「普通」
普通という言葉を使う場合、多数派、標準的、いわば偏差値50を指すことが多い。
これが、結婚という個人的な事柄について使うと、違う。
誰も標準的な人と結婚したいわけではない。
自分のものさしで測って「普通」の人と結婚したいのだ。
価値観、感性、学歴、容姿、所作、育ち、あらゆる項目が自分の知る得る範囲に収まっているかどうか。
おそらく、夫にとっても、筆者は普通の人だと思う。
筆者が、身の程知らずと言われようとも、高望みと言われようとも、屈せずに抗ってきた根拠はここにある。
東大以上の方が、東大を普通と捉える可能性が高い。
理系の方が、リケジョを普通と捉える可能性が高い。
その可能性に賭けたのが、筆者の婚活だった。
側から見れば無謀な婚活。
市場の原理において、高い価値の者同士、低い価値の者同士がマッチングすべきというのもわかる。
しかし、純粋な市場の原理で結婚相手は決まらない。
「普通」の結婚を望む者がいる限り。
普通の結婚を望むことは贅沢じゃない。
いま婚活に疲れた人に伝えたい言葉。
自分自身も、友人に言われて救われた言葉。
さて、また戯言を書いてしまいましたが、今後もゆるりと、筆者が結婚できた理由を紐解いていきたいと思います。