小畑健/漫画 大場つくみ/原作 集英社/刊 20090110第1刷400円 ジャンプ・コミックス
裏表紙より引用:一握りの者にしか得られない栄光を手にするため、険しい“マンガ道”を歩む決意をした二人。高い画力を持つ真城最高と、文才に長ける高木秋人がコンビを組み、新たなマンガ伝説を創る!新時代成功物語開始!!
テレビ局を舞台にTV番組を作るドラマのように、キネマの天地のように映画を作る映画作品のような、マンガ家になろうとする中学三年生。絵を描ける真城最高の叔父がプロのマンガ家であったため、同世代中では異様に業界に詳しく、相棒の高木秋人に説明する役。主人公のモチベーションの説明といい、マンガばかりではなく恋も絡まりながらもいちご100%のように映画と恋があまりにも浮世離れした設定にならないのは、原作者にしてもマンガ家にしても自分の庭の話をしているからでしょう。しかも劇中出版社が集英社で出版物がジャンプとなると「この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません」と云う文字が霞んでしまうほど虚構と現実の垣根を極限にまで低くさせているせいか、読んでいて身が入ります。
あらすじにマンガ道と入れているからには、不二子藤夫の名作へのオマージュでもあるのでしょう。マンガの薀蓄を語る上でもヒカルの碁で碁に無知な主人公に幽霊が解説するように、コンビを組んだ方がストーリー展開しやすかったのでしょうが、ストーリーの転がり具合がとても良いと思えます。第一話などよほど演出を練りこんだように見受けられます。
しかし、96年のジャンプで古、って・・・。確かに平成生まれの平成育ちの人たちにはそうかもしれませんねぇ。私なんか従兄が置いていったハレンチ学園の掲載があるジャンプを読んでいたのですが。比較的ド新人のマンガ家がデビューしやすかった週刊ジャンプではありましたが、小林よしのりの東大一直線の第一話なんて、よくぞ雑誌に掲載できたな編集者!冒険が過ぎるぞ俺だったら絶対載せねー、て云うくらいの出来だし、今だ人気の衰えないキン肉マンのデビュー作だったウルトラの父の隠し子のキン肉マンの出来も、どうしてこれが商業雑誌に載るんだと思える程でしたけど、どちらも宝くじに当たったというか、大器晩成でしたね。この二つの事例だけでも私にマンガ雑誌の編集者には成れないと思いましたもん。マンガ家の才能も凄いけど、編集者の才能も凄いですわ。
以下世間話。マンガ家入門の本も最近数々出版されています。懇切丁寧に説明され、果ては同人誌の作り方からコミックマーケットの参加どころか一般参加の仕方まで説明されています。いやはや時代が変ったというか、需要が本当にあるんですかね?
一般論として人は自分の目で見た範囲でしか想像力を持つことができません。社会に職業は数々あれど、現在の児童生徒に将来の夢を聞いた所で彼らの情報入手先は家庭と学校とTVの三択しかありません。例えば家でお父さんのようにはならないでねと毎日二十年近く洗脳され続ければ、父親がどんなに遣り甲斐のある社会的に立派な職業に就いていたとしても、子は違う道を探そうとするでしょう。でもいくら大学を卒業したからといって丸っきり知識の無い世界に入っていくのは、よほど切羽詰まっているか、博打好きな人です。リサーチで一番手っ取り早いのは家業なのですから。でもそれ以外となるとTVの影響は大きいでしょう。TVでなければゲームとかマンガでしょうか。結局自分が馴れ親しんだ世界に向うのが安易ではあるけれども安心な道なわけです。それが悪いことではありません。産業全体から見てみれば裾野が広がるほど山の体積は大きくなり頂点は高くなり、大いに栄えることができるのです。ただ個々に見ていくと、作品を発表したいのか、マンガを描きたいのかを勘違いしている人も大勢いるのが危惧されます。マンガに限らず職業にするということは、一生続けられますか?ということでもあります。将来への保障なんてあるわけ無いのですが、自分の中に発表したいモノ・コトがあってマンガを描くのと、マンガを描きたいだけでは意味が全く違います。いくらマンガ家入門に精通してもマンガを描くことはできません。逆に技術なんて知らなくてもマンガは描けます。技術なんて必要になった時に習得すればいいだけのものです。マンガに限らず、プロかアマかにも限らず、ある意味継続もまた才能なのだと、歳をとり人生の残り時間をカウントできるころになると思う次第。
裏表紙より引用:一握りの者にしか得られない栄光を手にするため、険しい“マンガ道”を歩む決意をした二人。高い画力を持つ真城最高と、文才に長ける高木秋人がコンビを組み、新たなマンガ伝説を創る!新時代成功物語開始!!
テレビ局を舞台にTV番組を作るドラマのように、キネマの天地のように映画を作る映画作品のような、マンガ家になろうとする中学三年生。絵を描ける真城最高の叔父がプロのマンガ家であったため、同世代中では異様に業界に詳しく、相棒の高木秋人に説明する役。主人公のモチベーションの説明といい、マンガばかりではなく恋も絡まりながらもいちご100%のように映画と恋があまりにも浮世離れした設定にならないのは、原作者にしてもマンガ家にしても自分の庭の話をしているからでしょう。しかも劇中出版社が集英社で出版物がジャンプとなると「この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません」と云う文字が霞んでしまうほど虚構と現実の垣根を極限にまで低くさせているせいか、読んでいて身が入ります。
あらすじにマンガ道と入れているからには、不二子藤夫の名作へのオマージュでもあるのでしょう。マンガの薀蓄を語る上でもヒカルの碁で碁に無知な主人公に幽霊が解説するように、コンビを組んだ方がストーリー展開しやすかったのでしょうが、ストーリーの転がり具合がとても良いと思えます。第一話などよほど演出を練りこんだように見受けられます。
しかし、96年のジャンプで古、って・・・。確かに平成生まれの平成育ちの人たちにはそうかもしれませんねぇ。私なんか従兄が置いていったハレンチ学園の掲載があるジャンプを読んでいたのですが。比較的ド新人のマンガ家がデビューしやすかった週刊ジャンプではありましたが、小林よしのりの東大一直線の第一話なんて、よくぞ雑誌に掲載できたな編集者!冒険が過ぎるぞ俺だったら絶対載せねー、て云うくらいの出来だし、今だ人気の衰えないキン肉マンのデビュー作だったウルトラの父の隠し子のキン肉マンの出来も、どうしてこれが商業雑誌に載るんだと思える程でしたけど、どちらも宝くじに当たったというか、大器晩成でしたね。この二つの事例だけでも私にマンガ雑誌の編集者には成れないと思いましたもん。マンガ家の才能も凄いけど、編集者の才能も凄いですわ。
以下世間話。マンガ家入門の本も最近数々出版されています。懇切丁寧に説明され、果ては同人誌の作り方からコミックマーケットの参加どころか一般参加の仕方まで説明されています。いやはや時代が変ったというか、需要が本当にあるんですかね?
一般論として人は自分の目で見た範囲でしか想像力を持つことができません。社会に職業は数々あれど、現在の児童生徒に将来の夢を聞いた所で彼らの情報入手先は家庭と学校とTVの三択しかありません。例えば家でお父さんのようにはならないでねと毎日二十年近く洗脳され続ければ、父親がどんなに遣り甲斐のある社会的に立派な職業に就いていたとしても、子は違う道を探そうとするでしょう。でもいくら大学を卒業したからといって丸っきり知識の無い世界に入っていくのは、よほど切羽詰まっているか、博打好きな人です。リサーチで一番手っ取り早いのは家業なのですから。でもそれ以外となるとTVの影響は大きいでしょう。TVでなければゲームとかマンガでしょうか。結局自分が馴れ親しんだ世界に向うのが安易ではあるけれども安心な道なわけです。それが悪いことではありません。産業全体から見てみれば裾野が広がるほど山の体積は大きくなり頂点は高くなり、大いに栄えることができるのです。ただ個々に見ていくと、作品を発表したいのか、マンガを描きたいのかを勘違いしている人も大勢いるのが危惧されます。マンガに限らず職業にするということは、一生続けられますか?ということでもあります。将来への保障なんてあるわけ無いのですが、自分の中に発表したいモノ・コトがあってマンガを描くのと、マンガを描きたいだけでは意味が全く違います。いくらマンガ家入門に精通してもマンガを描くことはできません。逆に技術なんて知らなくてもマンガは描けます。技術なんて必要になった時に習得すればいいだけのものです。マンガに限らず、プロかアマかにも限らず、ある意味継続もまた才能なのだと、歳をとり人生の残り時間をカウントできるころになると思う次第。