令和6(2024)年能登半島地震で被害に遭われました被災者の方々に対し、衷心よりお見舞い申し上げます。


誰もが「自分らしく」在りたいと思いながらも、その「自分らしく」や「自分らしさ」とは、一体何なのかが分からずに、悩み苦しんでいるのではないでしょうか。

インターネットなどで「自分らしく」と検索すると、何十件と検索結果が表示され「どれを見れば良いのか」と更に迷うことになります。

一般的に「自分らしく」とは、「自分の価値観を大切にし、他人の評価を気にせず、自分の気持ちに素直であり続ける」と考えられているようです。

このような考え方は、一つ間違えれば協調性を欠き、独りよがりになり、単なる「わがまま」自分勝手な人と誤解されることもあるようです。

自分の価値観を大切にすることは悪いことではないと思いますが、自分と他者を比べて優劣をつけたり、他者のことを認めることができずに拒絶したりしていませんか。

自分らしく自由に伸び伸びと生きようとしているつもりであったが、その実情は「比較し、選別し、見捨てる」ことを繰り返し、結果自らを苦しめているのです。

このような私に阿弥陀仏は「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」の願いを起こされています。「摂取不捨」とは「比べず、選ばず、見捨てず」ということです。

親鸞聖人は「摂取不捨(せっしゅふしゃ)の真言、超世希有(ちょうせけう)の正法、聞思して遅慮(ちりょ)することなかれ」(真宗聖典、教行信証、総序p.150)と。つまり「どの様な者も決して見捨てることのない阿弥陀仏の本願念仏の教えを聞思し、人生の拠り所として生きよ」と述べておられます。

阿弥陀仏の教えは、私たちの価値観が相対的で不完全なものであることを知らしめると同時に、どの様な者であっても、一人ひとりが身代わりの利かない尊むべき存在として生きていることを教えています。

自分らしく生きるとは、自分の価値観で殻に閉じ籠って、窮屈な思いをしながら生きるのではなく、阿弥陀仏の教えを拠り所とし、教えを拠り所とすることで、自分では破ることが出来なかった殻が打ち破られ、伸び伸びと安心して生きることではないでしょうか。

南無阿弥陀仏