皆さん「終活」をなさったことはありますか。

終活とは、あらためてご説明するまでもないでしょうが、人生の終末を控えて、自分の人生の身辺整理をしておくということですね。
この終活の中で、とくに私たちお寺が関係するのが、墓じまいや仏壇じまいです。「子どもはいるのですが、お墓やお仏壇のお守りを若い人に残していくと迷惑が掛かるので、自分が生きているうちに始末しておきたい」ということをいわれる方がいます。
始末することが善いとか悪いとかをいうつもりはありません。しかし、一度立ち止まって考えてください。それは「自分がこれまで手を合わせ、お参りしてきたお墓、そして朝夕に礼拝してきたお仏壇です。自分が死んだら、もう無くなってもよいようなお墓やお仏壇だった」のですか。勿論、それぞれのご家庭の事情があるので、それを否定するものではありません。
さて、このように身辺の整理はできたとして、ご自身のこころの整理はいかがですか。
たとえば、11月といえば紅葉の美しい季節です。秋の行楽など旅行にお出かけになる方もおられるでしょう。旅行に出かけるのは、実に楽しいものです。では、なぜ楽しいと感じるのか。それは、帰る家が定まっているからだと思います。どれだけ遠くへ旅行しても、必ず帰る処がある。だから、安心して旅行ができるのだと思います。もし、帰る処が定まっていなければ、それは不安しかない流浪というのではないでしょうか。
では、人生という旅を終えたとき、私は何処へ還るのか。それが明確に答えられない。なぜ答えられないのか。それは先に亡くなった方々が、どこへ還られたのかが分からない。つまり行方不明になっているからです。だから私も死んだら行方不明になるという不安しかないわけです。この不安を取り除くこと、何処へ還るのかを定めることが、終活において一番大事なことではないでしょうか。
しかし、何処へ還るかが、分からない、定められない。なぜでしょう。それは「死んだら終い」といういのちしか生きていないからではないでしょうか。だから答えられないのです。終活とは「あなたは、そのいのちをどのように生きているのか」を問うているのではないでしょうか。
また、終活というと、お年寄りの話で、若い私には関係ないと思っている方もおられるでしょう。しかし、先の話からすると、終活に年齢は関係ありません。今、生きている私たちに等しく問われているのです。「あなたは、そのいのちをどう生きるのか」。死んだら終いなのか、それとも、そうではないのか。これが問われているのです。
蓮如上人のお言葉で言えば「後生の一大事」ということでしょう。「後生の一大事」とは、死後のことではなく、今、生きているからこそ問われているのです。
南無阿弥陀仏