今年も間もなく母の日を迎えます。母の日は1905年5月9日、アメリカのフィラデルフィアに住む少女アンナ・ジャービスが、母の死をきっかけに「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝えるべきだ」と働きかけたのが始まりとされており、1914年にウイルソン大統領が、5月の第2日曜日を「母の日」と正式に定めたとされています。

数年前「世界で一番過酷な仕事」と題した求人広告の動画がネット上で話題になったことがあります。ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。この動画ではビデオチャットを使って面接し、その仕事の内容を聞かされている様子が映し出されています。そして面接を受けた人たちの反応は、一応に「ありえない」や「クレージーだ」と呆れるばかりです。しかし、その仕事内容が母親のことだと分かったとき、皆同じように深くうなずいて涙を流していたのが、とても印象深く残っています。
実家(大阪)の父親を早くに亡くし、女手一つで苦労の連続であったであろう母親に対して、私自身がまだ中学や高校生の頃、今にして思えば多少なりとも反抗期であったのかもしれませんが、母親から何かにつけ口うるさく注意されたとき、素直に聞くことができずに、言ってはならないことを言い、思ってはならないことを思ったりしました。こんなことがあっても母親は、普段と変わることなく、愛情をもって育ててくれました。このような母親の姿は、まさに阿弥陀仏のお姿にも通じるものがあるような気がします。
阿弥陀仏は、いつも自己中心で自分のことしか考えていない私を、見捨てず、諦めず、常に私に寄り添っていてくださいます。そして、迷いの真っ只中にいる私を救うために、願いをかけておられます。しかし、私は迷っていることも、救いたいと願われていることも、気づけずにいるのです。阿弥陀仏は、気づけずにいる私を承知のうえで、それでもなお願い続けておられ、その願いが今「お念仏-南無阿弥陀仏-」となって私に届けられているのです。
南無阿弥陀仏