油断しました。
といいますのは、先月のことですが、1月19日に坊守が37.7度の発熱をし、その日のうちに38.3度まで熱が上がりました。「まさかコロナ感染?」と思い、家の中でもマスクを着用して気を付けていたのですが、1月20日の晩、「大丈夫だろう」と思いマスクをせずに床に就きました。1月21日に坊守のコロナ陽性が判明し、私も濃厚接触者に。1月23日にそのことを通院している病院に伝えるとすかさずコロナの抗原検査。もれなく私もコロナ陽性となり7日間の自宅療養を余儀なくされました。この3年間、十分に気を付けていたはずなのですが、少しの気のゆるみが大変な思いをしました。
日本政府は今年の5月8日以降、2種から5種へと季節性インフルエンザと同等の扱いに変更するそうですが、これから受験を控えた受験生とそのご家族をはじめ皆さん、まだまだ油断せずにしっかりと感染対策をしてください。
ところで「油断」とは、今では「気を抜く」とか「注意を怠る」という意味で使われていますが、油断の元となるお話をご存知でしょうか。
日本では比叡山延暦寺の根本中堂の「不滅の法灯」のお話がよく知られているところではありますが、仏教の教えが元になっています。涅槃経というお経の中に次のような譬え話があります。

 ”インドである国の王が、一人の家臣に油のいっぱい入った壺を頭の上にのせて大広場から王の元まで歩いてくるように命じました。その際、「一滴でも油をこぼしたら命を断つぞ」と言い渡しました。家臣は慎重に王の元まで歩いていきました”

この「油で命を断つ」という譬え話から、注意を怠ることを「油断」と使うようになったそうです。
この譬え話が教えていることは、一つ目に「大広場から王の元まで歩いた距離」。これは迷いの現実世界を意味します。二つ目に「頭の上に乗せた壺」。これは身体と心の調和を意味します。三つ目に「油そのもの」。これは戒律の戒を意味します。そして「一滴もこぼさないように」というのは、戒律の戒を守るという意味です。つまり、自分の欲望をしっかりと自己管理するということを意味します。
この3年にも渡るコロナ禍で不自由を強いられ、やりたいことができず不満ばかりがつのりますが、安易に欲望に流されることなく自らを律して、今できることをできる範囲内で行動されるように気を付けていただきたいと思います。

南無阿弥陀仏