受けた恩に報いる為には、まずどの様な恩を受けたのかを知らねばなりません。

では、今日までの人生でどれほどの恩を受けてきたのか。
まず、「私」が生まれてくることができたこと。そこには、父母をはじめ、祖父母、曾祖父母等、私のためだけに「命」を受け継いできてくださった「ご先祖」たちのご恩。そして、無償の愛を持って私を育ててくださったご恩。又、社会に出てからは様々な人々と関わり、食事一つ、洋服一つ、身の回りのこと、何をとっても誰かの世話になりながら「私」という人間が生きることができる。このように振り返ると、数え切れないほどの「ご恩」をいただいているのです。
しかし、いつしかそのことを忘れて、今日の生活を当たり前と受け止めてしまっている私がいます。改めて、私の身の回りには多くの「ご恩」があることを知り、そのご恩に報いるためにも感謝することを忘れず、今どの様な状況にあろうともその命を悔いを残すことなく生き抜いていただきたいと思います。
さて、京都の東本願寺・真宗本廟では11月21日から28日まで「報恩講」という法要が勤められます。それに先だって円応寺でも10月8日に報恩講を勤めさせていただきます。
報恩講とは、宗祖親鸞聖人のご命日(11月28日)をご縁として、念仏の教えに出遇えたご恩に感謝する法要です。出遇えたご恩と一言で言っても、そこには永い歴史があります。
遙か昔、阿弥陀仏は「一切の衆生を救いたい」と願い、「念仏を称えよ」と本願を起こされました。そして、その本願(念仏)の教えを説かれたのがお釈迦様です。念仏の教えはインド・中国・日本の七高僧(七人の僧侶)をはじめとする多くの人々により親鸞聖人へ、そして今、私にまで受け継がれてきています。このご恩に報いるためにも、念仏の教えがここで途切れることなく、遠い未来の子々孫々へと受け継がれていくことを願ってやみません。

南無阿弥陀仏