謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 旧年中は大変お世話になり、誠にありがとうございました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、私事ではございますが、お陰様で今年、還暦を迎えることとなりました。
皆さんもご存知のこととは思いますが、還暦とは十干十二支が60年で一巡して、「元の歴に還る」ことに由来しています。還暦祝いなどに赤いちゃんちゃんこを着るのは「赤子に戻り、もう一度生まれ変わって出直す」という意味があるそうです。
 還暦のほかにも70歳の古希、77歳の喜寿、80歳の傘寿、88歳の米寿、90歳の卒寿、99歳の白寿、100歳の紀寿と、「年祝い」とも言われる風習が、古くは奈良時代からあったそうです。
 年祝いの言葉から思いますと、年齢を重ねることは「老いる」のではなく、この年齢まで「お陰様で、生かされてまいりました」という感謝の気持ちの現れであると思います。
 「年をとる」というと「老化」や「衰える」といったことを思い浮かべますが、「年を重ねる」とか「年輪を刻む」と言い換えると老化や衰えではなく、今日までの人生での経験がとても意味深いものになるのではないでしょうか。
 「いつまでも若く、健康でありたい」とは誰しもが願うことだとは思いますが、見た目の若さや、体力的な衰えというのは、誰も避けて通ることはできません。しかし、人格や心については、どれだけ年を重ねても衰えるとういうことはありません。それ故に、今日までの人生の経験を、これからの人生に繋いでいく、その心持こそが「若さ」なのではないでしょうか。
 問題はその「心」のありようです。
 私たちは、今日までの人生の経験によって、いつの間にか「自分の物差し」(価値観)を作り上げ、自分自身の都合で物事を考え判断し、都合の良いことだけを得ようとします。
 このような私に阿弥陀仏は、こころを常に正し「自分の物差し」を拠りどころにするのではなく、仏法(仏さまの教え)を拠りどころとして人生を歩んでほしいと願われています。仏法を拠りどころとすることで、「自分の物差し」では得られなかった新たな経験や気づきが得られ、そこから人生や年齢に対する考え方も変わってくるのではないでしょうか。

南無阿弥陀仏