お盆とは、正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい、原語は古代インドの言葉で、「倒縣(とうけん)」という意味です。わかりやすく言えば「逆さまに吊るす」ということです。

お盆の始まりは、仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんぎょう)によると。
お釈迦様の弟子の一人に目連(もくれん)尊者という方がおりました。その目連尊者の母親が亡くなります。亡き母を案じた目連尊者は神通力を用いて、母親の姿を探し求めます。すると、母親は餓鬼の世界に落ちて苦しんでいる姿を見ました。目連尊者が、そのことをお釈迦様に相談すると、お釈迦様から、食事を盆に盛り、仏や菩薩や僧侶などの聖衆(しょうじゅ)に供えるように教えられます。目連尊者がそれを実行すると、仏法僧の三宝の功徳によって、餓鬼の世界から救われた。
と、伝えられています。

ここからは、私の個人的見解ですが。
救われたことも大事なのでしょうが、まず、それよりももっと大事な教えがあるのではないでしょうか。それは、倒縣ということに込められていると思います。目連尊者の母親が苦しんでいる姿を私の姿として見なければならない。つまり、私自身が、気が付かぬうちに逆さまに吊るされているのではないかということです。

わかりやすく例をあげるならば、
命は尊い。命を大切にしましょう。とよく言われています。が、では、貴方が、例えばお家の中で、蚊が飛んでいます。或いは、ガサゴソとゴキブリが這いずっているのを見てしまいました。
どうしますか?
蚊やゴキブリにも、姿、形は異なれど、命を持った生き物です。
命は大切にしましょうと言いながら、私の価値観と照らして、そぐわない者ならその命を奪うことも厭わない。
言っている事と、やっている事がアベコベなのです。それが、逆さまに吊るされた状態なのではないでしょうか。

私たちは、いつの間にか、無意識のうちに自分の価値観を中心にしてしまい、その事で逆さまになってしまっている事に気付けぬままでいる。

この事を目連尊者の母親が、教えてくださっている。つまり、亡き人をご縁にして、教えに出遇っていくのが、このお盆の真意ではないでしょうか。