今年も残りわずかとなりました。年初に掲げた目標は達成できましたでしょうか。私自身、振り返ってみますと、「あれも出来なかった」「これも忘れていた」と、つい“やり残し”に心が向いてしまいます。

しかし、仏教の教えでは、やり残したことがあるということは、まだ生きている証でもあります。
もし、すべてをやり切った人がいるとすれば、その方はもうこの世にいないのかもしれません。私たちは常に、移り変わってやまない「無常」の中を生きています。「あとでやろう」と思っていたことが、いつの間にか出来ないまま時が過ぎてしまうこともあります。だからこそ、「今」という時間を大切にしたいものです。
また、やり残したことの多くは、人とのご縁に関することではないでしょうか。伝えそびれた「ありがとう」、言い出せなかった「ごめんなさい」、顔を見たいと思いながら、会えずにいた大切な人。そうした縁への後悔を抱えたままでは、心に影がさします。
同時に、私たちは自分自身の思いも後回しにしがちです。「休むことを許していなかった」「好きなことを置き去りにしてきた」そんな自分を見つけたなら、どうぞ責めずに、そっと気づいてあげてください。自分を大切にすることは、他者を大切にする道にもつながっています。
年の瀬は、心の棚卸しをするよい機会です。今年の「忘れ物」を数えて落ち込む必要はありません。むしろその一つひとつが、これからの歩みを照らす灯火になります。
どうか来る年に、たった一つでも良いので、やりたいこと、伝えたい想いを携えて、また新しい一歩を踏み出してまいりましょう。やり残したことがあるからこそ、私たちは今日も生き、歩み続けていけるのです。
南無阿弥陀仏