緊急事態宣言等が解除されて、ようやく長いトンネルの出口が見え始めたかなと思われますが、気を抜くことなく、引き続き感染しない、させないよう、対策をしっかりと行なってまいりましょう。

さて、この時期になると、全国の真宗寺院では「報恩講(ほうおんこう)」という法要が勤まります。報恩講とは、宗祖親鸞聖人のご命日(11月28日)をご縁として勤める法要のことで、真宗のご門徒が一年の中で、最も大切にしている仏事です。

まず、「講(こう)」とは、ご命日をご縁に仏法を聴聞し、自らの信心を確かめ合うために人々が集まることをいいます。これは、親鸞聖人ご自身も、法然上人のもとで、また、上人亡き後も、お同行と集まり、仏法を聴聞し、座談されていたことに由来します。

次に、「報恩(ほうおん)」とは、恩に報(むく)いる。また、恩を報(しら)せるとも読みます。

私が生きていくうえには、私を産み育ててくれた親の恩。様々な師となる人の恩。その他、色々なご恩があります。これらの恩も大事なことですが、「報恩講」が意味するところの恩とは、「私を救ってくださる阿弥陀仏の本願」そして、私にまで「念仏」の教えを受け継いでこられた先達たちによって、私が生きる依り処を教えていただいたご恩をいいます。

弥陀の本願は「私一人」のためだけに届けられています。そして私は、阿弥陀仏をはじめ先達たちから願われた存在です。そのことを、親鸞聖人ご自身も「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(歎異抄 後序、真宗聖典p.640)と御述懐されておられます。


如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

ほねをくだきても謝すべし(恩徳讃、真宗聖典p.505)


南無阿弥陀仏