コロナウイルスが依然として猛威を奮っています。引き続き、感染しない、感染させないように、気を引き締めてまいりましょう。
さて、8月といえば、間もなくお盆を迎えます。
そこで、お盆について思うところを一言。
お盆は、正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。
お盆の起源は「仏説盂蘭盆経」というお経によりますと、お釈迦様が生きておられた頃のお話です。
お釈迦様の弟子の一人に、目連(もくれん)という方がおりました。ある日、目連の母親が亡くなります。その当時は、転生、生まれ変わると信じられており、目連は母親が何処に生まれ変わったのか、神通力を使って探し出しました。すると、母親は餓鬼道に落ちてもがき苦しむ姿を見たのです。そのことをお釈迦様に相談したところ、「この場に居る僧侶たちで供養してあげましょう」と言われ、言われたとうりに供養したら、母親は餓鬼道から救われたというお話です。
当時は、この世は六つの世界からなっていると考えられていました。六つの世界とは、天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄です。
この六つの世界を、あっちへ行ったり、こっちへ来たりと、グルグルと周り巡るわけです。
この周り巡ることを「輪廻(りんね)」といいます。天に行けばそこで終わり、双六でいうところのアガリではなく、天は天で、やはり寿命があり、天から次の何処かに生まれ変わるのです。
餓鬼や地獄は勿論、天であっても人であっても、輪廻を繰り返す限りは、苦しみから逃れることは出来ないのです。
このような私たちに、阿弥陀仏は救いの手を差し伸べておられます。グルグルと輪廻する私たちを浄土へと救うために働いてくださっているのです。この浄土へと救われることを「解脱(げだつ)」と言います。
すでに阿弥陀仏の働きによって、解脱し救われているのであれば、お盆の供養は必要なのかと疑問を感じられる方も居られるかもしれません。
このお盆というのは、亡くなった人に対することではなく、亡くなった人から、今を生きている私に問いかけられていることだと思います。
何を問われてるのか。それは、今を生きてるあなたの世界が、餓鬼道じゃないのか?ということです。
餓鬼道とは、喉の渇きを癒すために水を飲もうと思っても、一瞬にして蒸発し、飲むことができないなど、欲求が満たされることのない世界だと言われます。
今を生きている私たちの中で、「私はもう満足です。これ以上何も要りません」と言える人がどれ程居られるでしょうか。
もっと欲しい、もっと欲しい、何ならこの世の中、全て私の意のままにしたいと、欲望は尽きる事が無いのではないですか。
このような生き方が、正しく「餓鬼道」なのではないでしょうか。
生まれてから今日まで、それを普通だと思い、生きてきた私。無意識のうちに餓鬼道に自ら住していた。そのことを亡くなった人たちは、浄土から私に教えとなって、働いてくださっています。
南無阿弥陀仏。