先日(令和6年10月12日)円応寺本堂におきまして、報恩講をお勤めいたしました。
そのとき、新潟から今泉温資氏(往生人舎主宰)をお招きして、ご法話をいただきました。
先生の法話の中で、親鸞聖人が「往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。大行とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり」(教行信証 行の巻 真宗聖典p.157)と述べておられることにふれておられました。
大行とは「いつ・どこでも・だれでも」つまり、時・処・人を選ばず、ただ念仏を称することであると。
親鸞聖人は750年以上も前にお亡くなりになって、親鸞聖人のお身体に触れることも、音としてお声を聞くことも叶いませんが、「お念仏」の言葉となり、教えとなって、今もなお私に語りかけていてくださいます。
そして、親鸞聖人のみならず、皆さんお一人お一人のご先祖たちもまた、言葉となって生きておられるのではないでしょうか。
皆さんの胸の内や記憶の中に、故人の喜怒哀楽の表情だったり、こんなことやあんなことを言っていたなと、思い起こされるそのとき、故人は姿かたちはなくとも、音として声は聞こえなくとも、生き生きと蘇ってくるのではないでしょうか。
同様に、私が南無阿弥陀仏と念仏を称するとき、親鸞聖人はじめ、念仏の教えを受け継ぎ、私にまで届けてくださった名も知らぬご先祖たちが正に念仏となり、ともに生きておられるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏

報恩講とは、親鸞聖人のご命日(1262(弘長2)年11月28日)をご縁に、親鸞聖人をはじめ、お念仏の教えに生きられた先達に思いをいたし、その恩徳に感謝し報いる法要です。
真宗本廟(京都市・東本願寺)では毎年11月21日から28日までお勤めされます。