戦争レクイエム
このポスター、作曲者の名前がものすごく小さくて、佐渡さんのお名前がまるで作曲家みたいなサイズ感
兵庫芸術文化センターの定期公演は、ちょっと変わったラインナップが混ざっていて、時々気になったらチケットを買っているのですけれど、このブリテンの『戦争レクイエム』、一度も聴いたことがないのに、チラシを見て何故か絶対聴かなくちゃと思って、早々にチケットを買っておりました。
演奏時間おおむね90分、休憩なし。
少しも長く感じませんでした。
客席はいつも通り90%は入っていた感じ。
客層はシンフォニーホールやフェスティバルホールとはちょっと雰囲気が違うのですけれど……
兵庫芸文の舞台はオペラ仕様になっているのでかなり大きいはず。
それなのに、このぎゅうぎゅう感。
オーケストラの真ん中にはグランドピアノ、下手にはオルガンも。そして丸印のところには室内楽団、指揮者がもう一人。後ろには合唱団。そして室内楽団の横にバリトンとテノールのソリスト、合唱団の前にソプラノのソリスト。
これだけではないのです。
カーテンコールに登場したのは児童合唱の子どもたち。
(緑印の通路に並んでいる)
本番中は舞台裏にいて、天井から声が降ってきていたので、多分マイクを通しての声だったと思うのですが、まさに天使の声で素晴らしかった。
この曲は、戦争で爆撃されたコヴェントリー大聖堂の再建をきっかけにして、戦争の犠牲者を悼むためにブリテンが作曲したもの。
解説によると「レクイエムの典礼文に、戦死した詩人ウィルフレッド・オーウェンの反戦詩を交錯させたこの作品には、戦争の犠牲者への哀悼と人間の愚行への鋭い告発の姿勢が込められている」。
最終章(第6章)の「リベラ・メ(我を解き放ちたまえ)」では、戦死したイギリス兵が地獄でドイツ兵と出会って言葉を交わすという内容で、生前の希望や戦争の悲哀を歌った後、ドイツ兵が「私は君が殺した敵だよ」と打ち明け、最後に「一緒に眠ろう」と語りかける。
そこに天使の声(児童合唱)が「天使が汝らを天国に導く」と歌うのだけれど、平安と言うよりもなんだか、透明で美しすぎて物悲しい響きなのです。
聴き終わった感想は……
以前『シンドラーのリスト』を観終わった後に感じたものと同じでした。
感動、というよりも、何かものすごく重いものを突き付けられて、誰とも感想を話したくないような、ひとり沈思してしまうような、そんな感じだったのです。
こういうのは、自分の魂のどこかにずっと残っていて、しばらくはもう聴きたくないけれど(考えたり感じたことを咀嚼熟成させる時間が欲しいのかも)、永遠に抱えて生きていくような、そういうものだと思うのでした。
曲の内容のことはともかく、佐渡裕さんとPACの熱のこもった演奏はもちろん、合唱とソリストの素晴らしかったこと。
先日のオペラ『さまよえるオランダ人』の時の合唱も素晴らしかったので、メンバーがかなりかぶっているのかと思ったら、一部の方々だけでした。
そりゃそうかも。オペラって、歌うだけじゃダメですもんね。
ソリストは
ソプラノ 並河寿美さん
テノール 小原啓楼さん
バリトン キュウ・ウォン・ハンさん
児童合唱は
伊丹・夙川・宝塚の合唱団
たとえようのない素晴らしい時間でした。
ところで。
兵庫芸文の定演のプラグラム冊子は、毎回、本当に素晴らしい。
聴きどころ解説、内容説明、オーケストラ構成、今回の場合は歌詞と対訳16ページ(舞台にも字幕を出してくれる)、作曲家の紹介(作曲家をめぐる人々)、出演者紹介、出演者インタヴューなどなど、盛りだくさん。
しかも、開演前には佐渡さんによるプレトークもあり。
ついでに佐渡さんのサイン会と写真撮影もあり。
本当にファンサービスがすごい。
3回目なのに並んじゃいました。
(1度目は亀井くんと佐渡さんと3ショット)
プレトークでは、歌詞が平安について語っているのに、音楽(音程)は重苦しくなっているなど、ブリテンがこの曲にこめたものについて、説明してくださいました。
ソナタ3番楽譜比べ~エキエルとパデレフスキ~
ノクターン13番でもいくらか違いがありましたが、ソナタに至っては、長いからというのもあるけれど、フレージングや表記、ついでに小節カウントまであちこち違っております。
両方の楽譜を持っているのですけれど、今主に使っているのはエキエル版。
ショパンコンクールで推奨されているのがエキエル版だから、という理由ではなく(出ないし)、単にオタマジャクシのサイズと印刷の濃さで決めました
そう、老眼は全てを制す、じゃなくて、老眼は楽譜選びの根拠となる。
ところが、オタマジャクシが多声で並んでいる曲。
音源で聞こえてくるフレーズが、楽譜上でどうにもつかみにくいところがあって、先生に相談したら、先生は「なんで分からないの?」という雰囲気。
そう、先生はパデレフスキ版を使われていたのです。
小さくて見えにくいけれど、左がパデレフスキ、右がエキエル。
(ご興味があればクリックして拡大してみてください)
エキエルの方は、フレーズが大きく括られているけれど、パデレフスキは細かく刻んであって、何より、聞こえるべきメロディ(ソプラノ)が分かりやすくなっている。
ここ、「ラーシド、ラーシ」に聞こえるところですが、エキエルでは最初の「ラ」がメロディのスタートであることが分からないのですね。
何より「ラ」の音価自体が違う。
自力で分かれという事かな?
それともショパンは本当はどうして欲しかったのかしら?
そして、この部分の表記の仕方。
好みがあると思うのですけれど、右のエキエル版の書き方は左手が二段にまたがっていて、距離感で音の動きを見ている私には、見た瞬間「???」
弾き慣れてくると困らないのですけれど(下の段に入っているのはほとんどラ)……
要するに、パデレフスキは、右手は上の段、左手は下の段。
エキエルは右手左手関係なく下の方の音は下の段(ヘ音記号)。
エキエルの書き方は上下の段の隙間が、視覚的に苦しいのですね。
あれこれあるけれど、練習していて一番気になるのは、フレーズの取り方なので、両方の楽譜を比べてみて、イメージをつかもうと思い、見比べていると……
全体として、エキエル版はフレーズを大きく取っている印象。
パデレフスキは、細かいフレーズを書いている。
エキエル版こそ、エキエルと弟子のカミンスキが、「ショパンの自筆譜から弟子の楽譜に書き込まれたメモまで、あらゆる資料を精査・比較・検討して編纂した原典版である」ということで、よりショパンの意図に近いものであると言われるし、
一方のパデレフスキは「フレージングは原則としてショパンに従ったが、パッセージをよりよく理解するためにスラーを追加するなど修正を加えることもあった」と明言している。
エキエル版の、大きくフレーズを捉えるイメージは、ショパンの意図に沿っているように思うし、一方、パデレフスキ版の細かなフレーズの指示は、音を捉える段階では有り難く思うし。
素人としては、いいとこ取りで良いのでは、と思っていますが、ブッフヒンターさん(一度生で聴きたいベートーヴェン)は、出版されている楽譜の版を全て見比べる、と仰っているので、たまにはそんな楽しみも……って全部見比べる時間はないので、せめて2冊をじっくり見てみようと思ったら……
同じ部分の小節番号が違う??
確認してみたら、その前にある繰り返し指示の「1と「2のところ。
パデレフスキはそれぞれ別の小節として数えていて、エキエルはダブらせて数えているのですね。
これって、どちらが正当なのでしょう?
ショパンコンクールでも、エキエル版を推奨はするけれど、ショパンらしかったら版など何でも良い、みたいなことが言われ始めているようですし、結局どう解釈して、どう表現するか、ということなのでしょうね。
でも、ややこしいから、小節番号は揃えて欲しいなぁ~
おまけ(新曲楽譜製本)
新曲の楽譜をコピーして製本(表紙を貼っただけ
)しました。
毎回カレンダーの再利用なので、
パンダ→ねこ
→パンダ
→ねこ
、の二択
チラリと覗いているベートーヴェンは、最近お気に入りの作曲家クリアファイル。
裏にぎっしり、全作品が書いてあるのがミソです。
ベートーヴェンソナタ27番の第1楽章と第2楽章、
そして、多分発表会曲になるメンデルスゾーンの3冊分。
この週末に27番第1楽章とメンデルスゾーンは音を拾いました。
譜読みの前段階ですね。
ショパンと違って、この段階のスピードが全然違う。
ただ、「よちよち弾ける」→「基礎的なフレージングをきちんと捉えて、ある程度のなめらかさで弾ける」、からその次の段階「その曲らしく聞こえるように弾く」までの長さはショパンよりも遠いかも。
(それがベートーヴェンなど古典派の恐ろしいところ)
逆にショパンって、ある程度のなめらかさで弾かれていたら、プロのように極めるところまでいかないにしても、それらしく聞こえるけれど(そこがショパンのすごいところ)、「ある程度のなめらかさ」に至るまでが遠い。
もちろん、その先もまだまだあるので、どんな曲も(スケールでさえ!)「これで満足」というのはないのですけれど。
もっと音数の多いラフマニノフとかはもう、私には雲の彼方。
さて、今週も仕事帰りの整骨院通い、頑張らねば……(え、そこ?)
まだまだ残暑厳しい日々、皆様もお体、ご自愛ください