蜂子皇子(はちこのおうじ、562年頃-641年)は、32代崇峻天皇(553年頃-592年)の第三皇子で、母は大伴小手子(おおとものこてこ、大伴金村の孫娘)。

 

 592年、崇峻天皇が利害の衝突で叔父の蘇我馬子(551年頃-626年)の差し向けた東漢駒(やまとのあやのこま、592年没)に暗殺された。

 東漢駒はその後すぐに馬子に殺された。

 小手子は福島県川俣町に逃れ、小手姫(おてひめ)と呼ばれ養蚕を伝えた。

 

 

 蜂子皇子は従弟の聖徳太子(574年-622年)の勧めで東北の出羽国(山形県鶴岡市)に逃れ、出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)の開祖と云われる。

 開山は33代推古天皇(554年-628年)の即位年(593年)で、蜂子皇子が由良の八乙女浦(やおとめうら、鶴岡市)にたどり着くと、三本足の大きなカラスが30km東の羽黒山(はぐろさん、414m)に導いた。

 

 蜂子皇子が羽黒山で修行中に出羽国の国魂「伊氐波神(いではのかみ)」が出現、山頂に出羽神社(いではじんじゃ、伊氐波神・稲倉魂命)を祀った。

 更に月山(がっさん、1984m)、湯殿山(ゆどのさん、1500m)を開き、それぞれの山に月山神社(がっさんじんじゃ、月読命)、湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ、大山祇神・大己貴命・少彦名命)が鎮座している。

 

 出羽三山神社は、明治の神仏分離により神道として奉斎しているが、神仏習合時の名残が濃く、羽黒山修験道は「羽黒山伏」として現在まで続いている。役行者、空海、最澄も来山し修行を積んだと云う。

「羽黒山伏・大聖坊星野文紘氏」をご覧ください。

   

 出羽三山には、擬死再生(ぎしさいせい)信仰があり、羽黒山で現世利益を受け、月山で死後を体験し、湯殿山で新しい生命を受けて再生する。

 究極の山岳信仰ですねぇ!

 

   

 羽黒山に蜂子皇子を祀る開山堂・蜂子神社(はちこじんじゃ)が鎮座、蜂子皇子の御尊像が安置されている。尊像は醜い顔、大きな口の異形で、これは人々の苦悩を引き受けたことによると云われている。

 蜂子皇子は出羽国に農業・産業・医療を広め、人々の悩みを除き、能徐太子(のうじょたいし)と呼ばれた。

 

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      金閣寺

 

 

印南神吉