奈良県天理市に「大和神社(おおやまとじんじゃ)」が鎮座しており、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)を祀っている。

  

 兵庫県南あわじ市には、大和大国魂神を祀る淡路国二ノ宮「大和大圀魂神社」が鎮座している。

 

 

 

 徳島県吉野川(四国三郎)の北側に鎮座の八幡神社西にある石段を上ると右手に大国魂古墳群(6世紀、3基)があり、更に上ると倭大國魂神社が鎮座している。(徳島県美馬市美馬町字東宮ノ上3)

 式内社の倭大國玉神、大國敷神社二社の論社になっており、祭神は大国魂命と大己貴命。

 神社の北東1.5kmには吉水遺跡があり、弥生時代後期の住居跡7棟と掘立柱建物跡などが発掘された。

 

 

 上記3社とも大和国(奈良県)の大国魂神を祀っている。大和の地元の神で、大地主神(おおとこぬしのかみ)とも云う。

 

 10代崇神天皇(251年-301年)が磯城の瑞籬宮(みずかきのみや、桜井市金屋)に天照大神と倭大国魂神を祀ったが、民の疫病・病死・離散・反逆の勢いが大きく統治が困難になった。

 二神を共に祀るのは良くないと考え、天照大神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が笠縫邑(かさぬいむら)に祀った。

 日本大国魂神を渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)が祀ったがうまくいかなかったので、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が神託により大物主神を祀った。

 それでもうまくいかなかったが、崇神天皇や3人の重臣の夢に大物主神が現れ、大田田根子(おおたたねこ)に吾(大物主神)を祀る祭主とし、市磯長尾市(いちしのながおち)に倭大国魂神を祀る祭主にすれば天下は必ず平穏になると告げられ、その通りにした。

 すると疫病などは収まり、国内は平穏に戻った。五穀も良く実り百姓は賑わった。

 

 倭(大和)大国魂神は倭国造(やまとこくぞう)の祖神で、倭国造となった市磯長尾市(いちしのながおち)は倭直(やまとのあたい)の祖である。

 初代の倭国造は、倭宿禰(やまとのすくね、185年頃出生)で、椎根津彦(しいねつひこ)、珍彦(うずひこ)、天御影(あめのみかげ)とも云う。初代神武天皇(181年-248年)に仕え、東征の功績により西暦212年に倭国造に任命された。

 

 倭宿禰は、海部氏の始祖・天火明命(あめのほあかりのみこと、140年頃出生)の曾孫の海人で、北部九州の倭国と大和国(奈良県)の間を船で往来して交易に従事していた関係で、東征準備中の磐余彦(いわれひこ、神武天皇)に豊後水道で出会うことになる。

 倭宿禰は、綿積豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)の曾孫と云う説もある。

 それが正しければ、「天火明命と綿積豊玉彦命は同一人」となる。

   

 徳島の倭大國魂神社は、弥生時代末期(1世紀‐3世紀)の倭国(邪馬台国)の大国魂神を祀っていると云う説がある。

 だから倭国は九州や大和(奈良県)ではなく阿波国(徳島県)にあったと云うが・・・

 

 倭大國魂神社の神紋は「丸に三つ柏」。新しい葉が出るまでは古い葉は散らないので、「代が途切れない」と云う縁起の良い植物としてよく使われている家紋。

 紋には葉脈(ようみゃく)が7本あり、これはユダヤのメノーラ(7枝燭台)が由来だと云う説がある。

 メノーラはユダヤ教の象徴で、幕屋や神殿に置かれた金製の燭台。

 イスラエルの国章にも描かれている。

 8枝(ハヌッキ-ヤ-)や9枝の燭台もある。

 柏の葉は古代では皿として使われていたが、現在でも大嘗祭や新嘗祭で、供え物を入れる器に柏の葉が用いられているようだ。

 西暦211年に神武天皇が橿原(かしはら)で即位したが、橿も樫や柏と同じ発音で、橿原は柏原でもあった。

 柏は神聖で縁起の良い植物・地名だった。

 

 徳島県の剣山(つるぎさん、1955m)にもユダヤに関する伝説があり、「失われたアーク」があるのではと云われている。

 徳島県(阿波国)にはその他にも色々とユダヤ関連の話題が多い。

  

 

印南神吉