大山守皇子(おおやまもりのみこ、384年頃‐404年頃)は、15代応神天皇(363年-403年)と高城入姫の皇子で、16代仁徳天皇(386年-429年)の異母兄である。

 大山守皇子が、父・応神天皇の命により、異母弟の隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)と共に東国に入り、阿祖山太神宮(あそやまだいじんぐう)の大宮司となり、隼総別皇子は中宮司となった。

 

 応神天皇が崩御すると、大山守皇子は皇位への野心から謀反を起こし滅ぼされ、隼総別皇子も妃問題と皇位への野心で仁徳天皇と争いになり、誅殺された。大山守皇子は亡くならずに逃亡したと云う説もある。

「大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)」「応神天皇の皇子・皇女に鳥の名」をご参照ください。

       

 大山守皇子の子孫が阿祖山太神宮(不二阿祖山大神宮、富士山太神宮、富士山神社とも云う)の大宮司家である「宮下家」とな る。

 阿祖山太神宮の鎮座地は、富士山(3776m)の東北麓17kmの山梨県富士吉田市大明見(おおあすみ)3537で、富士山の鬼門を守護していると云う。

 

   

 当社にも「三柱鳥居」がある。

 主祭神は、

 元主一太御神様(もとすはじまりおおみかみさま、不二太神)、

 御親元主国万造主(みおやもとすくによろずつくりぬし)・国常立太御神様

 (くにとこたちおおみかみさま)、

 元主天照主日太御神様(もとすあまてらすひおおみかみさま、天照大神様)。

 

 不二阿祖山太神宮の説明によると、

 『富士山の東北麓にある日本最古の神社で、富士山麓に栄えた超古代文明の富士王朝の中心をなした天皇家縁の太神宮です。

 ここは宇宙神といわれ、国祖の神ともいわれる富士山にお立ちの富士太神宮様、即ち国常立太神様の総本宮です。』とある。

 

 富士山の噴火爆発により不二阿祖山太神宮は何度も焼失・衰微したが、今回4度目か5度目になる再建計画が進んでいる。

 

 富士山の裏鬼門を守護するのは、静岡県富士宮市宮町1-1に鎮座の駿河国一之宮・富士山本宮浅間大社(せんげんたいしゃ)で、

 主祭神が木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)、

  別称が浅間大神(あさまのおおかみ)、

 相殿神が瓊瓊杵命(ににぎのみこと)と大山祇神(おおやまづみのかみ)。

 

 当社は、日本武尊(302年頃‐332年頃)や坂上田村麻呂(758年‐811年)の蝦夷征討に対して大和朝廷に協力したので、大同元年(806年)に51代平城天皇(774年‐824年)の勅命により坂上田村麻呂が、「山宮」から現在地に遷座、壮大な社殿が造営された。

 関東武士や戦国大名も当社を篤く信仰し、庶民も徐々に信仰を深めていった。

 

 

 

印南神吉