旧約聖書の預言者イザヤ(BC8世紀)によるイザヤ書24章15節に、「東で主をあがめ、海沿いの国々でイスラエルの神、主の名をあがめよ。われわれは地の果てから賛美の歌を聞いた。栄光は正しい者にあると。」

 

 「東の海沿いの国々」は日本列島かもしれない。

縄文時代の後期に西アジアのウバイド、シュメール、ユダヤ、フェニキアなどから日本列島に波状的に渡来した民が縄文人と交わり、天津神(天孫族)を構成したと考えられる。

伊勢神宮内宮の参道灯篭にイスラエルの紋「ダビデの星」が刻まれていたが、2018年のバス事故で灯篭が壊れ、死亡者が出たので520基の灯篭が全部撤去された。

 伊勢神宮内宮の別宮(べつぐう)である伊雑宮(いざわのみや、志摩国一宮)は、旧約聖書の「預言者イザヤ」の宮と云う説がある。(三重県志摩市磯部町上之郷374)

 祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)。

 

 

 大日霊貴(おおひるめのむち、天照大神①)が、「豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)は我が御子正勝吾勝々速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)が統治する国として委任する」と宣言した。

 

 素戔嗚尊(すさのおのみこと、140年頃‐200年)が亡くなり、大国主命(160年頃‐220年頃)が葦原の中つ国を継承すると、西暦201年に卑弥呼(天照大神②、179年‐247年)が倭国王に即位、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が大国主命に国譲りを強制した。

 大日霊貴(おおひるめのむち、天照大神①)の孫で、天忍穂耳尊の子である天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)が葦原の中つ国に降臨した。

 

 

 日本列島の多くの地域は出雲神族の大国主命や出雲族の素盞嗚尊が国造りをして開拓した地で、「豊葦原の中国(なかつくに)」と云われていた。

 「豊葦原の中国」の統治権を天津神(天孫族)に譲り渡しなさいと云う主張は、ユダヤ教徒の選民思想に近いかもしれない。

 天津神(天孫族)には選民意識があったように見える。   

「天皇家のY遺伝子」をご参照ください。   

   

 霊能者の望月彩楓(もちづきあやか、1980年生)さんが、出雲大社で大国主命と交信したユーチューブを出しているので興味のある方はご覧ください。(47分)

 

 

 選民思想はユダヤ教徒の特殊な思想ではなく、時代や民族の状況により、或いは首長個人の価値観・考え方により発生する事がある。

 近代では、民族の優越性を妄想して他民族を圧迫することが度々あった。ナチスのユダヤ人抹殺計画、欧米人のキリスト教及び白人至上主義、中国人の中華思想、明治維新の尊王攘夷、大東亜共栄圏の八紘一宇など極度な民族主義によって、他民族を支配するための大きな戦争に結びつくことにもなった。

 更に第二次大戦後では、アメリカの覇権主義、イスラエルのシオニズム、習近平主席の中国の夢、プーチン大統領のロシア帝国復興などが今でも堂々と進行中である。

 

 このようなイデオロギーに基づく侵略に対して、政治的に軍事的にイデオロギー的に対抗するために、長い年月の努力が今後とも必要だが、時代の流れは確実にそのように変化している。

 

 それには日本人の覚醒、覚悟、実行力も必要となるでしょう。縄文人由来の遺伝子パワーを世界に向けて発揮する時代が来ているが、まだ氣づいていない日本人が多い・・・

 キリスト教の教会で結婚式を挙げ、正月は神社に初詣、法事・葬式は仏式で行い、日本人は八百万の神々を受け入れ、「助け合う和合の社会」を築いてきた。

 日本人は謙遜でシャイな人が多いが、世界に向けて力を発揮する時代になってきたと思う。

 ウクライナ人のボグダンさん(38才)が5年ぶりに日本にやって来て、日本の支援に感謝の集会をしておられた。

 

 

印南神吉   メールはこちらへどうぞ   nigihayahi7000@yahoo.co.jp