九鬼文書(くかみもんじょ)は、和歌山県田辺市本宮町本宮の熊野本宮大社(主祭神・家都美御子大神、けつみみこのおおかみ)の九鬼家(くかみけ、くきけ)に伝わる文書。

 九鬼家は熊野本宮大社の神官を代々務めてきており、現在も九鬼家隆氏(昭和31年生)が宮司を務めている。

 主祭神の家都美御子大神は素戔嗚尊(すさのおのみこと、西暦140年頃‐200年)の事で、證誠大権現(しょうせいだいごんげん)とも云う。

 

 

 九鬼家は天児屋根命(あめのこやねのみこと)の末裔で、先代旧事本紀によると天児屋根命は西暦185年頃の饒速日(にぎはやひ)東遷に従って倭国(北部九州)から大和国(奈良県)に東遷、中臣氏・藤原氏・卜部氏などの祖となった。

 九鬼家は操船が得意で熊野水軍を統括、北牟婁郡(きたむろぐん)九鬼村九木浦(現在の三重県尾鷲市九鬼町)に移り、九鬼水軍発祥の地となった。

 

 

 更に志摩国を北上して勢力を伸ばし、志摩水軍・鳥羽水軍を率いて織田信長(1534年‐1582年)に仕え、志摩国を領有、強力な織田家水軍となった。

 1574年の長島一向一揆では、織田勢による鎮圧に九鬼水軍が加勢し勝利した。

 その後の大坂石山本願寺との海戦でも、九鬼水軍は毛利水軍・村上水軍に勝利、石山本願寺は10年間の石山合戦に耐えたが、天正8年(1580年)に織田信長に降伏し宗教一揆は衰退していった。

 織田信長亡き後は、九鬼氏は豊臣秀吉(1537年‐1598年)に仕え、水軍総大将になった。

 江戸時代に九鬼家は海賊大名と云われたが、丹波国綾部藩主と摂津国三田藩主となり水軍ではなくなった。明治時代になると子爵家に列した。

 

「九鬼文書(くかみもんじょ)」は、「上記(うえつふみ)」や「竹内文書(たけうちもんじょ)」と同じで、神代文字で記されていたが、藤原不比等(659年‐720年)が漢字で書き写したと云う。

「九鬼文書」に別名があり、「大中臣文書」と云う。

 

 記紀と同じく、九鬼文書には伊弉諾尊(いざなぎのみこと、125年頃‐190年頃)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の三貴子として天照大神、月読命、素戔嗚尊が記されている。

 また、上記(うえつふみ)・竹内文書・宮下文書・神伝上代天皇紀などの古史古伝には、鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)王朝の73代目を神武天皇(181年‐248年)としている。

 

 鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)王朝は、縄文時代から続く飛騨族に関係があるかもしれない。飛騨族は出雲族に匹敵する勢力により相互交流、婚姻関係をもっていたと考えられる。

 古事記編纂の稗田阿礼(ひえだのあれい)は飛騨出身と云う。

 

 出雲神族は4000年程前にインドのクナ国から日本列島に渡来、縄文人と交わり、東北・北陸・山陰・東海・近畿・から九州までを開拓していった。

 出雲神族初代王の即位が縄文時代の紀元前660年(辛酉)であったと云う。

 私見による神武天皇即位年は弥生時代末期の西暦211年(辛卯)であるが、明治政府により出雲神族初代王即位年と同じ西暦紀元前660年とされた。

 この決定は、私見による「西暦201年」の「出雲の国譲り」がはっきりと投影され、明治政府によって出雲国の歴史の上に倭国・大和国の歴史が覆い被さることになった。

 出雲国や飛騨国の歴史は、偽書とされる古史古伝に辛うじて残されている。

 

 記紀が記す「天照大神」は、大日孁貴神(おおひるめのむち)、卑弥呼(ひみこ)、臺與(とよ)の「三柱の神」を一柱の神として表現していると私は考えている。

 

 九鬼文書でも「天照大神」を三柱の神として表現し、太陽神・自然神の「天照日大神」、素戔嗚天皇と並ぶ女帝の「天照座天皇」、皇祖神の「天照大日靈天皇」の三柱の神としている。

 皇祖神の天照大日靈天皇は、素戔嗚天皇の皇女で天皇家の祖神になったと云う。

 

 物部氏の物部文書、天児屋根(2世紀)後裔の九鬼文書、平群真鳥(5世紀)の竹内文書、徐福(BC3世紀)の宮下文書、ヲシテ文字で記された三輪氏の秀真伝(ほつまつたえ)、宇佐家伝承、東北の東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)などの古史古伝は偽書とされるが、記紀と同じく重要な歴史書ではないかとする説に世間の人気が集まり始めている。

 

九鬼文書では、

 天地の始まりは母止津和太良世(もとつわたらせ)大神で、私見では紀元前2世紀。

 初代天皇は天御中主(あめのみなかぬし)天皇、私見では紀元前1世紀。

 12代目が伊弉諾(いざなぎ)天皇、私見では西暦125年頃生、190年頃崩御。

 伊弉諾天皇が白人根国(エジプト、中東)に降臨、伊駄国(イタリア)を造った。

 月夜見(つくよみ)天皇の子孫が黒人根国(インド)で栄え、釈迦(しゃか)になった。

 素戔嗚(すさのお)天皇の子孫が白人根国で栄え、野安押別(のあのおしわけ、ノア)命になり、母宇世(モーセ)と伊恵斯(イエス)が出た。

 大国主(おおくにぬし)天皇(出雲天皇)が白人根国で生誕、黒人根国を経由して日本列島に帰還したとある。

 

 九鬼家の九鬼文書とは別に、中臣家の「天津蹈鞴秘文遍(あまつたたらひぶんへん)」があり、神々との交霊により超能力や霊能力を発揮できるとされる。

 神武東征(204年‐209年)に従った天種子命(あめのたねこのみこと)は天児屋根命の孫・中臣連の祖で、天津蹈鞴秘文の神通力を駆使して天下統一に資したと云う。

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 現代の社会は、戦争、勢力争い、ネガティブな思考、暗い事件などが溢れているが、縄文人からDNAを受け継いで八百万の神を受け入れてきた我々日本人が、世界を「助け合う和合の社会」へと導くことに目覚めるならば、世界の未来は素晴らしいことになるでしょう。

五色神面①をご参照ください。

 

 

 

印南神吉   メールはこちらへどうぞ   nigihayahi7000@yahoo.co.jp