神代文字は、

カタカムナ文字、天名地鎮(あないち、太占)、阿比留草文字

(あひるくさもじ、神社の御札)、阿比留文字、阿波文字(徳島県)、

出雲文字(出雲)、ヲシテ(ホツマツタエ)、豊国文字

(とよくにもじ、上記=うえつふみ)、龍体文字、対馬文字(占い)、

筑紫文字、サンカ文字、カイダ文字(与那国島)などがある。

 

地域ごとに言葉や習慣が違うように文字も違っていたのかな?

弥生時代に大陸との交易用に漢字が使われ、古墳時代に文字は漢字に統一、平安時代にひらかなとカタカナが併用された。

神代文字で書かれた古史古伝も残っており、現代でも寺社では神代文字を使用する場合がある。

 

出雲文字

出雲市大社町日御碕451の経島(ふみしま、文島)の海底遺跡で「出雲文字」が発見されたと云う。元慶4年(西暦880年)10月の出雲大地震で地滑りが起きて海底に沈んだようだ。

海底遺跡からは亀石や祭祀跡も発見されている。

出雲文字は出雲神族が使用していたと考えられる。大己貴命(大国主命、160年頃‐220年頃)も出雲文字を使っていたのでしょう。

 

 

無人島の経島(ふみしま)はウミネコの繁殖地で国の天然記念物に指定されており、神社の「神域」として入島が禁じられている。

経島には、日御碕神社(ひのみさきじんじゃ、天照大御神、素戔嗚尊)の境外社・経島神社(天照大神、天葺根命、大己貴命)が鎮座している。

経島では元は日沈宮(ひしずみのみや)として天照大神を祀っていたが、出雲大地震の後の天歴2年(948年)に日御碕神社へ遷座した。

 

 

出雲国の政治・経済の中心地は松江市大庭町(おおばちょう)563の神魂神社(かもすじんじゃ)周辺にあった。神魂神社の主祭神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)で、奥宮の出雲大神宮には磐座があり、王墓であった。

 

 

神魂神社の東2kmに出雲国府跡があり、北東3kmに出雲国分寺跡がある。

北西1kmに素戔嗚尊と櫛稲田姫で有名な八重垣神社がある。

 

日本最初の和歌(素戔嗚尊の祝婚歌)

 八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を

 

出雲国の西の中心地は出雲市知井宮町1245の智伊神社(ちいじんじゃ)付近であった。主祭神は高皇産霊神(たかみむすひのかみ)になっているので、10代崇神天皇(251年‐301年)が四道将軍により列島中心部を統一した後に祭神が大和系に変わったと考えられる。

智伊神社の元の鎮座地は北東1kmの多聞院の地で、出雲大社とは深い関係にあった。

 

 

印南神吉   メールはこちらへどうぞ   nigihayahi7000@yahoo.co.jp