私が通っていた小学校は鵠沼小学校(小田急線本鵠沼で江の島の2つ前の駅)

 

小学校が終わるとよく江の島に自転車で行っていた←けっこう自転車だと遠い

 

秋口は海岸でジュースの缶や瓶を拾って地元酒屋さんに持って行くと10円で引き取ってくれる。(秋はゴミが多いので推奨されていた。普段買い取らないビンカンも引き取ってくれるのでたぶん助成金が出ていた?)そのお金を持って大橋の上の屋台にいくんですが友達のおかあさんがやってる店や近所のおばちゃんがやってる店があるので交換したお金でサザエやハマグリを食べさせてもらってました。今から考えれば正規料金には全然足らないと思う。たまには射的とかもやってました、射的屋さんのおじさんも同級生の親族だった。

 

 

当時は岩屋も立ち入り禁止になっており鉄の柵があったと思う。ただ入口周辺は入れるので(満潮になると危険)ビビりながら入口周辺に行っていた記憶があります。竜が出るから中入れないんだよって言われてました(笑)

 

夏になると岩屋より西側の潮だまりでよく泳いだり、飛込みしたりしてました。(深さ3メートルくらいの場所がある)潮だまりには、カサゴとか当時いたので大人に「絶対触るな」とか言われたのを覚えています。

 

江の島は小鮫がけっこういるので(50cmくらいの鮫)、取って来て自宅で買うのが一時期地元の男の子で流行しました。鳥肉とか食べさせてました。(すぐ死んでしまいます)

 

台風後には渡り蟹が獲れるので海が少し落ち着くと男の子達はみんなで蟹取りに行ったものです。家に帰ると台風後で海が荒れてるので怒られるのが定番でしたね。

 

 

もう私が子供の時には、既にさざえがだんだん獲れなくなって来ていましたが私にとっての江の島の名物はさざえです。

今でも行けば江の島丼を食べるようにしてます。江ノ島丼 - Wikipedia 

子供の時から、刺身、網焼き、江の島丼と馴染みが深いさざえですが最近全然食べません・・・東京で食べようとすると高いですから。生シラスはたぶん1980年代後半か1990代になってからだと思います。(冷蔵技術の進化?)私が子供の頃、シラスと言えば釜揚げシラスしかなかったと思います。

 

たぶん6歳くらいの時、荒井注さんが江の島にテレビの撮影に来ていたのを見て「あっ荒井注だ!」って小石を投げたら真っ赤になって怒って追っかけて来てwwそれから小学生の間くらいまで「荒井注ってこええ」って周りに話していました。(1973年くらいかな)もしかしたら小学校1年生ひとりで学校抜け出してフラフラしてたのかもしれません。←1、2年生の先生が嫌いだったので授業の途中でいなくなって外フラフラしてた。感情的に怒る50代女性の先生。

 

雨の日に捨て猫4匹ランドセルに入れて学校行ってすごい怒られてから嫌いだった。校長先生と給食食べながら「校長先生は生き物好きだから任せてくれる?」って孵卵器の説明を受けながら説得されたのを今でも覚えている。今考えればとてもいい校長先生だと思う。私は「黒点校長ーーー」って呼んでた。禿げて黒い大きな黒子があった。子供ひどい。理科で太陽の授業があって黒点について学んだ気がする。拾った子猫は温めた牛乳をスポイトみたいなので校長と一緒にあげたのは覚えているけどその後の記憶はありません。

 

あっ話が江の島から逸脱しました。「江の島には女の人とは一緒に行ってはいけないよ」って小学生くらいの時に言われてました。弁天様は女の神様だから嫉妬されるよって。今は女の神様って言われないですが当時は地元はそういう認識だったのかもしれません。あと台風が来ると「江の島にいる龍神様が怒ってる」って。今から50年前ですが感覚的はやっぱり今とは大分違う気がします。