ホーフブルク王宮より Sisi博物館と銀器コレクション 后妃エリザベート | ピアノ教室 大阪 平野

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田代音楽教室 代表 田代基子のブログです


ホーフブルク王宮より
Sisi博物館 銀器コレクション






前回ブログ
私達はヨハンシュトラウス像と、モーツァルト像を撮影したかったので
新王宮側から中庭を通って入って行ったのですが





中庭像は






ミヒャエル広場から入った場合はローマ遺跡等もあり
この様な感じの様です






とにかくここはウィーン観光の中心地でもあり
世界遺産の見所が満載の広大な敷地



予定外に風邪でダウンしてしまったので
残る日数からどこに行きたいかと言う事で

美貌の后妃エリザベート(Sisi)博物館を選びました






まず入口には王宮で使用された食器、銀器コレクションが展示





きゃあステキカナヘイハート





から始まって




うわぁ~ここ本当に写真可能ですか?




と確認しましたが大丈夫でした






とにかくもの凄い数です







こちらはパーティーなどで用いた金の装飾台ですが

(日本語の音声ガイドを聞いています)





全長30メートルほどの黄金の装飾燭台は圧巻です





当時の華やかな晩餐会を垣間見れた気がしました






とにかく「王宮」の当時使用された食器から
食器コレクションもですから





数が半端ないです

右側は燭台




ため息が出る様な美しさなのですが
いつになったらSisi博物館にたどりつくの?って





後半の私達は
ちょっと遊び過ぎですねショックなうさぎ







掲載はもちろん半分も載せていません





どうですか?





きらびやか過ぎて
身体にその輝きが少しでも身についたかしら…






と言う勘違いさえも姿勢を変えてしまう頃

いよいよSisi博物館へ






しかしお写真はここまでで
Sisi博物館の方は撮影不可能でした…




后妃Sisiについて
私はほとんど知らなかったのですが

身長173cm 体重49kg ウエスト50cm
腰までかかる美しい髪


映画も過去にあった様で販売もありました
是非とも、見て見ようと思っています








絶世の美女は
その美しさを保つ為に

その時代の宮廷では理解しがたい程の
筋トレ、ダイエットを努力し続け


生涯変わらない体型を保ったそうです。
彼女の部屋には数個の筋トレ器具がありました






写真不可能なSisi博物館
ネットから文章引用させて頂き
紹介させて頂きます






シシィ博物館では、エリザベートが生活したオリジナルな空間に、神秘に包まれた皇妃の生涯を、通俗的なイメージから離れて、紹介し分析します。展示の焦点は皇妃の日常生活で、宮廷の仕来りに対する反逆、狂信的なまでの美容と痩身への没頭、スポーツ分野におけるトップレベルの技量、夢想家的な詩作など、彼女の多彩な側面が浮き彫りにされます。更に、こうした分析を通して、バイエルン王国での屈託のない少女時代から、思いがけないオーストリア皇帝との婚約、そして1898年にジュネーブで暗殺されるまで、伝説的なエリザベート皇妃の波瀾に富む生涯をたどります。

展示品も多彩です。そのハイライトは、僅かに残された夏のドレスのひとつ、若き花嫁がポルターアーベントと呼ばれる婚礼前夜に着用したドレスのレプリカ、ハンガリー女王としての戴冠式用ドレスのレプリカ、名高い肖像画の数々、小型机と皇妃自ら描いた絵入り封筒、絵の具箱、63点からなる旅行用医療セットなど。また、シシィが旅行に愛用した豪華なサロン列車のレプリカは、内部を歩くことができます。少女時代のハープは、彼女がバイエルンから持参したもので、子供時代の服もレプリカが展示されています。

息子ルドルフ皇太子が世を去った後、彼女はオニキスと黒玉による6点からなる喪服用アクセサリーを着けていました。このセットも展示されています。皇妃のデスマスクも見られます。ジュネーブのレマン湖畔でアナーキストに襲われた彼女は、宿泊先のホテル「ボー・リヴァージュ」へ運ばれました。この時、彼女を覆っていたのは、襟と縁取りをサギの羽根で飾った黒いマントでした。絹の裏地には、皇妃の名前に冠を付けた縫い取りが見られます。このマントも展示されています。


(ルドルフ皇太子は31歳でピストル心中しています)






この写真が一番有名です
神戸北野にある異人館「オーストリア館」にも飾ってありました


ハプスブルク家最期の后妃エリザベート
1898年暗殺によりその幕を閉じました。








ヨーロッパの流れは非常に不安定となっていき、
第一次世界大戦の原因となったサラエボ事件は1914年

オーストリアの皇太子夫妻暗殺が勃発となっています。


この様な流れの中で
モーツァルトが、ベートーヴェンが、シューベルトが生き




そして第一次世界大戦へと巻き込まれた
偉大な音楽家達



ポーランドではショパンが
大きな心の叫び声を
音として残していっています。



その様な楽譜を
私達は今見ているのだと言う事を



あらためて気づいた気がしました。











田代音楽教室(≧∇≦)