今、よく見ている動画の人が、認知症はなるべくしてなる・・・という話をしていました。
それは、ある傾向があるというものです。
食生活や運動の習慣などもあると思いますが、
それ以外にもある性格的なものです。
私もそれと似たようなことを思っていました。
母の場合は、依存心が強いなあということです。
依存心が強い傾向の人でも、若いうちは何かしら友人がいたり、
親がかまってくれたりして、うまく過ごしていますが、
高齢になったときは、甘える先がありません。
他にも、威嚇的な症状がある人は、いつも命じることができる下の人間がいたり、
鬱傾向で、あきらめモードで「死にたい」とばかり口にする人、
いろんなタイプがありますが、
大まとめにしてしまうと、「自分勝手」な人だというのです。
確かにそうかもしれません。
依存心が強い人も、人に命じる人も、鬱で死にたがる人も、
結果的にはあまり周りが見えていない人なのかも。
ただ、かなりの人がそうなるので、何故かと思います。
私の考えでは、認知症になるその歳まで、
何か救いのないまま、過ごしてしまったのだろうと感じます。
それはそれで、さびしいことです。
しかし、自分が認知症の人と無関係であるわけでなく、
すべての人には役割があるので、
認知症になってしまった人は、認知症になってない人に、
何かを気づかせる役割があるのです。
その役割のために、その状態があるのではないか。
と思います。
母の病状はあいかわらずです。
治りかけたかと思うと、今度はヒザが痛い。
そっちを治療すると、今度はめまい。
そっちを治療すると、今度はまた数字が読めなくなってくる。
堂々巡りです。
それでも、少しずつ何かやってれば、
少しずつ改善するかもと思っています。