「女性は、言葉の影響を受けやすい。」と聞いたことがありますが、
あなたは、いかがでしょうか?
わたしはこの言葉に納得しています。
それは、人の言葉が引っ掛かる、気になる時があるからです。
昨日は我が家の法事の日でした。
その日、わたしが引っ掛かったと捉えた言葉は、
「お母さんの係りやで…」 でした。
「これ、わたしが聞いても引っ掛かる!」という方がいらしたら、
仲間だね〜!と握手したくなります。
「お母さんの係りやで、ご飯さんだけは、お供えしてな。」
「座布団、お母さんの係りやのに、出してない。」
など、少なくても朝7回くらいは聞きました。
そこからわたしが感じたのは、同居の姑からの圧力、強制力です。
そのストレスが、
亡くなったお義父さんの50回忌も6年ほど前に済んだのだから、
お参りはもうこれくらいでいいんじゃないの?と、
思うきっかけになったと思います。
今は年に一度、6月に家族9人が集まり、お参りをしていますが、
わたしが嫁いだ頃は、家族を集めないものの毎月お寺さんがお経をあげに来ていたので、
かれこれ160回くらいは、お寺さんにお茶を出したりしてきたと思います。
お経を聞きながら、そのことを思い出して、よくやってきたなあ〜と思っていました。
ところが、終わりに来年のお参りの話しをお寺さんがし始めると、
90歳を超える同居の姑が、
「この先誰が死んでも、
うちは毎年6月にお参りをするようにしたいです。」
なんて言うのです!
えーっ!誰が死んでも〜?そんなこと言わないでよー!
まさか、自分がいなくなった後のことまで、決めてしまうなんて!
本当に驚きました。
昨年、「わたしの目の黒い間は、年に一度は…」と言っていて、
それは姑の若くして先だった夫への愛だと捉えていましたが、
それが今年は「この先誰が死んでも、毎年…」になりました!
「目の黒いうち」を調べると、
「強い決意を相手に伝えるとき、使われる言い回しです。」とありました。
それを上回るお参りに対する伝えたい強い決意とは、どれほどのものでしょうか?
わたしの「係り」がこの先も続くと思うと、更にストレスを感じて、
ドーンと気持ちが暗くなりました。
長くなりましたので、続きは次回に致しますね。
『今日のねぎらい』
※センターピースでのねぎらいは、結果だけでなく、
その前の気づきや意欲、行動も素晴らしいこと(いいこと)と認めること👌、
自分で自分をねぎらうことは、他者に頼らずに自己肯定感を得られます✨
・ストレスを感じていることに気づいて素晴らしい!
・今まで160回もお寺さんにお茶を出したり、話をしたりしてきた行動が凄い!
⭐️あなたのこのブログを最後まで読もうという意欲と、読んだ行動が素晴らしい!
あなたも、今日のあなたの気づきや意欲、行動、結果など、
小さなことでもいいので、ねぎらってみてくださいね!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。