人のことはあんまり言いたくないけど・・・ | ゆっくりのんびり行こか

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神社仏閣巡りが大好き。コロナが収まってきたので、慎重に再開しました。藤井風さんの音楽を知って、後悔の苦しみを手放し、小さな幸せに感謝する日々。「今」を大切に生きたいです。

「除夜の鐘がうるさい」との苦情があり、中止したり昼間に変更したりする寺があるという。

朝の情報番組「グッとラック 」では、スーパーの店でのトレー移しかえが取り上げられていた。

この2つに共通しているのは「自分さえよければ」の考え。

まず除夜の鐘の件。「近隣からの苦情」と書かれていたが、以前から住んでいる人が今さら言うとは思えないから、そこに移り住んできた人が言っているのだと思うけど、

苦情ってどのくらいの人が言っているのかな?例えば、100人の内3人が苦情を言ったら止めるのかな。残り97人は良いと思っていても。

良いと思っている人は言いに行かない。だから、苦情が気になるのかもしれないけど、少数意見で風情のあるもの伝統的なものを安易に止めてほしくない。できたらアンケート取ればいいのにと思うくらい。それで「止めるの希望が多数」なら納得できるけど。

すぐに自分の不満を主張する不寛容な人が増えているのかもしれない。

2つ目の、スーパーの店内で肉や魚をナイロン袋に移しかえてトレーを捨てる人については、初めて見たとき呆れてしまった。都会ではそういう人が増えているのかしら(シリーズ3回目くらいから見たので分からない)。

これは利己主義そのもの。どうしてあんなことが平然と人前でできるのだろう。他の人がしてるから?あのたくさんのナイロン袋だって「店ならタダ」と思っているのかな。

ああいう人にはなりたくない。

少なくとも、地元では一人も見ない。テレビの映像の姿を見て「みんなしてる」と思い込んで、この辺りでも始まったら嫌だなあ。袋につめる台も渋滞しそう。

電車の中で化粧する姿にも私は呆れるのだけど、それは人に迷惑をかけていないからまだ我慢できる。でも、トレーのポイ捨ては迷惑を被る人がいると思うので反対。(そのトレーを片付けるスーパーの人とか代わりにトレーを洗う人とか)

「公衆道徳」という言葉があるように、社会人なんだからある程度みんなが気持ち良く過ごせるような行いをしてほしい。「自分さえ良ければ」という姿は、見苦しいし情けない。